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京都生活手帖

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胎児デビュー

2006-07-31 17:35:28 | いのちをはぐくむ


右が今日の超音波写真、左が3週間前のもの。
たった3週間で、こんなにぐーんと大きくなっていてびっくり。
赤ちゃんの身長(CRL)は約2、6㎝。もう手足を活発に動かしていました。赤ちゃんの頭上にある、天使の輪っかのようなものは卵黄のうといって、赤ちゃんは胎盤が出来上がるまでそこから栄養をもらっています。

さて今の時期赤ちゃんの成長は個人差が小さく、赤ちゃんの身長を測ることで正確な妊娠週数と予定日を計算することができます。今日まで正確な妊娠週数と予定日が分からなかったのですが、今日の診察で10週に入ったことが分かりました。妊娠10週というのは、実は記念すべき日。妊娠9週までの赤ちゃんは「胚子」と呼ばれるのですが、妊娠10週からはほぼ全ての器官ができあがり、ヒトらしい外観を呈するようになるということで、ようやく「胎児」と呼ばれるのです。つまり、お腹の中の赤ちゃんは、今日が「胎児」デビュー。

ところで出産場所について医師に相談したところ、残念ながらやはり「病院がいい」と言われました。今のところ自己抗体が何をするか分からないこと、赤ちゃんの心臓に悪さをするかもしれないので定期的なチェックが必要であること、出産時にも赤ちゃんの心臓の状態をみなければならないことなどから、病院をすすめられました。残念な気持ちはありますが、もちろん赤ちゃんの安全が最優先ですから、今通っている病院でのお産をお願いしてきました。医師も人柄がよく信頼できますし、自然なお産を推進してフリースタイル出産を取り入れているような先進的な病院ですから、特に不満ということはありません。ただひとつ、地域や人とのつながりができるかなぁというあたりが気になるところです。

赤ちゃんは卵黄のうから栄養をもらって、スクスク元気なのですが・・・つわりに苦しむ私の身体は飢餓状態のようで、尿中にケトン体がおりているとのこと・・・医師から「甘いものをたくさん食べてください。」と言われました。そこで・・・



三条木屋町下がったところにある「キルフェボン」へ。
いちごのタルトを食べてきました。久しぶりに食べたら、おいしい~。血糖値もあがったことでしょう。

このお店、高瀬川沿いにテラスがあって、ロケーションもとってもいいんです。桜の季節なんて、高瀬川を覆うように桜のトンネルが出来上がって・・・私は鴨川も好きですが、高瀬川もとっても好き。あまり人のいない時間帯(午前中とか)に高瀬川を横目で見ながら、木屋町通りを自転車でぴゅーっと走り抜けるのも気持ちがいいものです。

さてさて、今日も医師は新たな暗示をかけてくれました。
「もうそろそろつわりも終わるよ。」
し、信じよう・・・
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助産院へ見学に。暗示によりつわり軽快!?

2006-07-22 21:16:38 | いのちをはぐくむ
今日は、山科まで助産院の見学へ行ってきました。
京都へ来て1年以上になりますが、東西線に乗って東へ向かうことはほとんどなく、行ったことがあるのは蹴上まで。今日初めて山科駅に降りました。駅周辺はひらけていて、「思ったより都会だなぁ」と思ったのですが、助産院のある山側へ向かっていくと閑静な住宅街が広がっていました。山がすぐ近く、琵琶湖の疎水もゆるやかに流れており、静かでのどかな場所。ものすごい坂道に閉口しながらも、街の佇まいが気に入って「いいところだなぁ」と思いました。

さて助産院へ着くと、助産師さん歴33年というベテラン助産師さんが出迎えてくれました。そして助産院の特徴を丁寧に説明してくださったあと、出産する場所(入院する場所)を見学させてくれました。助産院の外観自体、2階建ての「普通の家」なのですが、お部屋はそれと同じくらい「どこにでもある普通の部屋」。オットはあとで「何にもないんだねぇ」と驚いていましたが、部屋には医療設備は皆無。でも正常な妊娠と分娩しか取り扱わないのが助産院ですから、それは当たり前なんですよね。自然な経過のお産には、分娩台も分娩監視装置も必要ないということです。それはともかく全体的な雰囲気としては、「普通のおうちで、おかあさんみたいな人に助けてもらいながら、好きなように産む」という感じです。実際昨日出産された方が和室に入院されていて、赤ちゃんがぴーぴーと泣いていればどこにいてもそれは聞こえてきますし、それを聞いて「どれどれ、赤ちゃん怒ってるねぇ」と和室へ入っていくエプロン姿の助産師さんを見ると、「家族みたい・・・」と思ったものです。

それとは別に、今日説明を受けて思ったことは、助産院のよさを一言でいうと「継続的なケアを受けられる」という点であるということです。妊娠~出産~産褥の期間を通じて、同じ人が関わってくれるというのは安心につながるように思います。そうした継続的な関わりの中で生活指導や相談を受けられれば、より自分に合った準備のしかた、生活の整え方や赤ちゃんへの関わりを実践できるのではないかなぁ・・・そんなふうに助産院に対しては好印象を持ったのですが、なにしろ私には持病があります。その点をもう一度産科の医師と相談し、医療的な介入が必要なのかどうか判断してもらってから、決めようと思っています。

今日は昨日と同じくらい体調がよく、「もうつわりのピークを越したか!?」とひそかに喜んでいます。2週間前に産科の医師に、「(つわりは)まだまだ、これから!あと2週間!」と言われたので、「あと2週間・・・あと1週間・・・」と指折り数えて待ち、数日前から体調がよくなっていることを考えると、医師の暗示が効いているのかな?!暗示でも何でも、よくなればそれでいいです!

ですが、まだまだスーパーへ行くと「酔って」しまいます。何がだめって、「食品の山を見ると気分が悪くなる」のだから不思議です。臭いでも、人ごみでもなく、「食品」という視覚的情報が嘔気を誘発するのですから、人の身体って面白いものですね。そして今私が好んで食べるのは、「カレー」「ドリア」「ナポリタンスパゲティ」「ハヤシライス」・・・デパートの洋食屋さんに並んでいそうなお子ちゃまメニューばっかり。謎です。今日はスーパーに酔ってダウンしてしまった私のかわりに、オットさんが腕をふるってハヤシライスを作ってくれたので、おいしくおいしく頂きました。

ごちそうさまでした!
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今日の赤ちゃんは、きっとこんな感じ

2006-07-20 21:34:34 | いのちをはぐくむ
胎動があるわけでもなく、つわり以外で赤ちゃんの存在を感じることはないのですが・・・

「赤ちゃん、どうしてはるんやろう?」
これは毎日思うことです。
お腹で感じることも、あけて見ることもできないので・・・



こんな学生時代のプリントを引っぱり出して、眺めてみるわけです。
多分、今私のお腹の中の赤ちゃんは、一番右下「42日」くらいに育っている見込みです。
このような詳細な成長過程は「たまごくらぶ」なんかには絶対に載っていませんが、「日々、どこかが成長している」と実感できて面白いものですよ。それに、見えない赤ちゃんとのコミュニケーションにも、想像力を助けるという意味で役立っているような気がします。というのは、理屈で考えすぎかな。

ただ単に、
「赤ちゃんの身体はどうなっているんだ?」
と知りたくなる看護師の性なのかもしれません。
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私のつわりDays

2006-07-12 21:53:34 | いのちをはぐくむ
つわりDaysもはや2週間、慣れてきたというか飽きてきたというか・・・
つわりと一言でいっても、そのありようは千差万別。今日は私の「つわりの不思議」について。

私のつわりは大きく分けると、①むかむか&臭いに敏感、②眠い、だるい、③頭痛です。頭痛に関しては日ごとに軽快して、今ではあまり感じないようになったのですが、①②は相変わらず続いています。眠いというのは尋常な眠さではなくて、起きているのがしんどいくらい眠い(から、だるい)。とにかく呆れるほどに眠れます。12時間くらい余裕で眠れます。何ででしょうねー?

そうはいってもやっぱり一番こたえるのは、①むかむか&臭いに敏感、です。まず真っ先にダメになったのが、昨日オットもお話していた通り、あったかいご飯とお味噌汁の臭いです。そのあとしばらくあらゆる温かい食べ物の臭いを受けつけなくなり、街へ出ていくのも試練でした。街って、本当に色々な食べ物の臭いで充満しているんですね。そしてあっさりとした和食や、みずみずしい野菜など、普段食べているようなものが全く食べられなくなったかわりに・・・かろうじて食べられたものが、フライドポテト、冷めたケチャップライス、ピザ、ナポリタンスパゲティなどなど・・・ジャンクなものばっかり!そしてケチャップに対する執着が激しいですね、我ながらびっくり。有機だ、無農薬だ、なんてどこ吹く風。これこそ宗旨がえです。赤ちゃん、ごめん・・・でもきっとまだ(胎盤も出来ていないし)卵黄のうから栄養をもらっているはずだから、大丈夫だよね?

それとは別に、つわりDaysの心強い味方がこれ。


梅ぼし純、ペリエ、お義母さんの小梅。
どれも口~胃にかけた消化器官がすきっとします。梅ぼし純は、私が小学生の時に流行っていた梅干しのタブレットで、気持ちの悪い日々の中でふっと思い出したもの。オットに阪急の駅の売店で買ってきてもらいました。売店のおばさん曰く、梅ぼし純は隠れたヒット商品だそうですが、なかなか置いてある店がないとのこと。健康食品として、ネットで売られてはいるんですけどね。

ところでつわりについて、母性看護学の教科書を開くと・・・
「つわりは12週ほどでおさまると妊婦に伝え、暗示にかけるとよい」
なんて書いてあるじゃないですか!うー読まなければよかった。だってこれじゃあもう、暗示にかかりようがないじゃないですか。「12週でつわりがおさまるってみんなが言っているのは暗示なんだ」なんてね。

誰か、別の仕方で私に暗示をかけてください。
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また突然・・・妊娠レポート

2006-07-10 20:03:40 | いのちをはぐくむ


突然ですが・・・
2週間前に、赤ちゃんを授かっていることが判明しました。
写真は、今日の超音波写真(妊娠6週)。黒い楕円形部分が「胎のう」という赤ちゃんが入っている袋で、その中に白くうつっているのが赤ちゃん(胎芽といいます)です。まだ赤ちゃんは7㎜ほどでしたが、もうすでに心臓がドクンドクンと力強く動いていました。2週間前に病院へ行ったときは、赤ちゃんが入っている胎のうという袋自体がまだ5㎜ほどだったので、2週間で驚くほどの成長ぶりです。この2週間、くしゃみをしても、トイレに行っても、「赤ちゃんがお腹から飛び出してきてしまうんじゃないか」とヒヤヒヤして過ごしたものですが、元気に育ってくれているようなのでほっとしました。

ところで私は、抗SS-A/Ro抗体という自己抗体が陽性の自己免疫疾患を持っています。外からの有害侵入物に対して働く免疫システムに何らかの異常をきたして、どういうわけか自分自身の細胞を攻撃してしまう「自己抗体」をせっせと作り出してしまう病気です。この自己抗体は妊娠期間中にもあれこれと悪さをして、胎盤をつまらせたり、赤ちゃんの心臓に障害を負わせたりしてしまう可能性のある厄介もの。そんなわけで妊娠が判明した時から、胎盤をつまらせないよう予防的に抗(血液)凝固剤を処方されて内服していたのですが・・・今日、前回の採血結果を知らされてびっくり。抗SS-A/Ro抗体は「検出されず」でした!医師は「体調によって出たり出なかったりするのでしょう」との判断でしたが、免疫システムはホルモンの影響を受けやすいもの。妊娠によりホルモン環境が変わったことにより、一時的に病状が好転したのではないかというのが私の見立てです。いずれにしても病気から解放されたわけではありませんが、赤ちゃんにとってよりよい環境になったことは確か。そのことにほっとし、とても喜んでいます。

およそ1年前、自分が自己免疫疾患を患っていることが分かったとき、病気であることに対しては「仕方がないな。なるようにしかならない。」と思えました。しかし自分の持っている自己抗体が妊娠/出産へ及ぼす影響について知ったときは、動揺して涙したものです。赤ちゃんを授かりにくいかもしれないこと、流産のリスクが高いこと、生まれてくる赤ちゃんに「心ブロック」という重大な障害を負わせる可能性が高いこと・・・それらを予防するために、透析などの侵襲の大きな治療が必要になるかもしれないことなど・・・そこから自分の気持ちを立て直すのに、オットやお義母さん、そして看護師の先輩や同期たちの存在が非常に大きかったです。

そのとき自分を支えてくれた言葉は、表現こそそれぞれ異なりましたが、どれもただ一点で共通していたように思います。それは、「いのちのことは、私たちにどうすることもできない」という、いのちへの敬意や畏怖とでもいったらいいのでしょうか・・・決して現実レベルでだけいのちをとらえることのない態度や信念。それは、信仰をもつもの、ケアに携わるものとしての態度や信念だったように思います。

「夫婦二人だけの人生も悪くないよ。」
というのは、現実的なレベルでの話です。いのちというもののままならなさ、あるいは奇跡、そういったものをくぐり抜けたのちに、私が腹の底からそう言う。そのことに意味はあっても、他人からぽんと言われることには(慰められることには)何の意味もなしません。そうではなくて、「授かるかもしれないし、授からないかもしれない。障害を持つかもしれないし、持たないかもしれない。いのちのことだし、それは分からないが、たとえどんな状況になっても、きっとそれは意味のあることだ」と信じて、祈り願ってくれている人たちの存在に、私は力づけられたのです。

生まれてくる赤ちゃんに大きな障害を負わせてしまうかもしれない可能性を知りながら、それでも子どもが欲しいと願っていいものなのだろうか・・・私は悩んで、お義母さんに聞きました。そしてお義母さんと話をするうち、私の中ですぅーっとわだかまりが消えていくのが分かりました。障害を負わせてしまうかもしれない可能性を知りつつも子どもが欲しいと願っている私のところに、必要であれば障害の有無に関わらず子どもはやってくるし、そうでなければやってこない。「それは、私が決められることじゃないんだ。」しごく当然のことではありますが、私はその時に初めて理解したのです。それは、私が考える問題じゃないんだ、と。そのことが理解できて、本当にどれだけ気持ちが楽になったでしょうか。

そうやって神さま、というか、人間以上の存在にお任せすることにして1年。私のお腹の中に、新しい命が宿りました。お任せしていると言いつつ、根が小心者の初々さんは「赤ちゃん、無事に元気にしているんだろうか」「抗体が悪さして、流産しちゃったらどうしよう」と心配しまくり。その都度、「なったよう、なったよう。(let it be の意らしい)」と私をなだめるオット。そんなふうにしてこれから約8ヶ月、お腹の中のいのちをはぐくんでいきたいと思います。
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