種まき後2日目。
上から見る限りではまだ何の変化もありません。
うまくいけば、写真のようなはつかだいこんに育ってくれるはずです。
永田野菜づくりでは、栄養分の少ない水はけのよい土を使って、必要最低限の水と肥料で野菜を育てます。乾燥がち、栄養不足気味にしたところで、タイミングよく肥料(栄養)と水を与えることによって、野菜は必要な栄養と水分を効率よく吸収し、成長していきます。永田野菜づくりの創始者永田さんは、毎日畑に「植物の声を聞きに」いき、最良のタイミングをぎりぎりのところで見計らって水と肥料を与えるのだそうです。つまり野菜たちの本来持っている育つ力を信じて、野菜たちの状態を見極めて、必要なときに必要なだけの手助けをしている、というわけですね。
私はそのことを考えるとき、「看護と同じだな」と思うのです。「本来持っている力を信じ、状態を見極め、必要なときに必要なだけの手助けをする」、これはおそらく誰か、何かを世話するということの本質なのでしょう。つまりはケアの本質ですね。
看護という仕事は、病気や障害によって出来なくなったりしづらくなったりした日常生活上必要なことをお手伝いする仕事です。その人が、どこまで出来て、何が出来ないのか、そこを見極めることから始まります。そこを見極めることをしないで何でもかんでもお手伝いしていては、その人が本来持っている力を奪ってしまったり衰えさせてしまうことになります。ですから、病気や障害の知識に基づき、観察/情報収集してその人の力をアセスメントすることが看護の大切な仕事です。ときには植物の声を聞くという永田さんのように、「声にならない声」を拾わなければならないこともあります。
例えば何でも「出来ない」と言うおばあさん。身体能力的にも、認知的にも、やればできるという実力はあります。それなのに「出来ない」と言われたままに何でもお手伝いしてしまったら、おばあさんはどんどんとほんとうに何でもする力を失っていきます。そんなときは、「何で出来ないって言うのかな」ということに焦点をあてて、耳をすますのです。そうすれば、「出来ない」の裏側から「かまって欲しい」「そばにいて欲しい」なんていう声が聞こえてくることもあります。それが分かれば為すべきことが決まってきますね。実際に手を出すのではなく、そばにいて見守ってあげるだけでいいのです。
とはいえその見極めは難しく、「この方はズポンの上げ下ろしは出来ないので、介助してあげてください」なんて他のナースに申し送って「え、この人ズポン自分で脱げるよ」なんて言われたときのショックといったら。「がーん、実力ありなんだ~。やられた~。」と思います。患者さんも人をみて送るメッセージを変えますからね。そんな駆け引きも、楽しくはあったのですが・・・
野菜づくりは初心者。土や野菜の「声にならない声」を拾えるとはとうてい思えませんが、まずはしっかり観察することから始めたいと思います。