goo blog サービス終了のお知らせ 

京都生活手帖

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

え、虫歯?

2010-03-24 14:49:02 | 3歳の軌跡
や・・・やっぱり。
どうもこ初々さんの前歯の間に「隙間」が出来てきたなぁ、なんて悠長に思っているところへオットが「虫歯じゃない?」・・・えええ、虫歯?・・・なんて別に驚くことでもないのでしょうけれども、私自身が殆ど虫歯になったことがないので全然現実感がないのです。「私が虫歯になりにくいってことは、子もそうに違いない」という根拠のない自信があったので、虫歯予防にはそれほど力も入れていませんでした。それなのに、目の前に突然浮上した虫歯疑惑・・・ドキドキしながらお母さん友達(歯医者さん)にチラリとみてもらうと、「あぁ・・虫歯だね。」や、やっぱり!?虫歯になる時はなる、仕方ない。そんなことは百も承知ですが、意外なほどに動揺してしまい、その晩はあんまり眠れませんでした。こ初々さんに悪かったなぁ、もっとちゃんと気をつけてあげればよかった・・・そんな思いがぐるぐると頭の中をまわってしまうものなんですね。まぁでも悔いていても仕方がない。自分の未熟さを反省し、これからは専門家に色々と聞きながら、出来る限りのことをしていこう。それしかありません。

そしてお友達の歯医者さんのところへ、レッツゴー!とっても優しい歯科衛生士さんが上手にこ初々さんに関わってくれて、本人は新しい環境にびっくりしつつも嫌がることなく「歯磨き」したり「ぐちゅぺー」したりレントゲンをとったりできました。そして「○○ちゃんのママだよ~。」とお友達が診察しに来てくれると、笑顔まで見せたのでほっ。しかし診察の結果、虫歯は(前歯に)3カ所・・・がーん。まずは子どもが環境に慣れることが大切とのことですぐには治療をしなかったのですが、こ初々さんの様子を見て歯科衛生士さんが「このぶんだと、割と早く治療できると思います」とおっしゃって下さったので安心しました。治療しなければどんどんと虫歯が進行して穴がでっかくなっていくのではないか・・・という悪夢のようなイメージを描いてしまいますが、なんというか「専門家がついていてくれる」というだけでなんとなく安心しちゃいます。油断大敵、なのかもしれませんが。

というわけで、また虫歯治療や虫歯予防で学んだことはレポートいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お誕生日会と、卒園式と

2010-03-23 22:50:47 | 3歳の軌跡


自主保育にて、念願のお誕生日会。
4月に入園してから毎月お誕生日会があるのですが、ほかのお友達がお祝いされているのを見ながら常に「ボクは・・・???」状態。口には出さないものの、かなり羨ましそうに毎回見つめています。そして2月のお誕生日がやっときたのですが・・・なんと風邪で出席できず、卒園間近の3月にお祝いして頂けたのでした。自主保育には病気で抵抗力の弱いお友達もいるので、風邪をちょっとでもひいていると通園を自粛するということもあって、「どうかお誕生日会までに風邪をひかないで・・・幼稚園休ませたろか」とすら思った1週間でしたが、なんとか元気にお誕生日会に出席できてよかったです。お誕生日会では、ケーキ(ほんものではない)のろうそくに火をつけて、「ハッピーバースデー」の歌をみんなに歌ってもらってから吹き消し、その後はメッセージカードの朗読をして頂きます。このメッセージカードは両親からだけではなく、保育の先生からも書いて頂いているので、あたたかい言葉に思わず落涙しそうになりましたが・・・ぐっとこらえる。そしてプレゼントは手作りのきんちゃく(似顔絵の刺繍つき)で、これもまたすごーく丁寧に作られたかわいいもの。それから手作りのケーキをみんなで頂き、先生がたによる人形劇があり・・・と豪華な一日で、お誕生日会を用意してくださる先生がたとボランティアの方々の労は並大抵のものではありません。子どもが生まれてきたこと、無事にひとつ年を重ねられたこと・・・そのことをともに喜び、心をこめて、手をかけて、お祝いして頂けるということに感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、そんな素晴らしい自主保育でしたが・・・こ初々さんは、昨日卒園を迎えました。卒園を迎えての自主保育への思いは、「7人のサプライ(ズ)」のほうへ記事を書いておりますのでご興味のある方は読んで頂ければと思いますが、卒園式ではとにかくどんなことをしていても「この姿を見るのはもうこれで最後」と思ってしまって、涙、涙・・・通っていた頃は、当たり前のように、毎回「おへんじ、はい!」を聞いていましたし、それがずっと続くと思っていたのですが・・・終わりってくるのですね。そして一緒に通っていましたから、おへんじも初めは手を挙げることもできなかった、その次に黙って手を挙げられるようになった、そんな段階を経て今や「はーい!」と元気いっぱいにお返事できるようになっている・・・その「成長の過程」をずっと見ることができたことって、なんてなんて幸せなことなのだろう。そんな思いを噛み締めていると、おへんじだけに限らずどんな姿を見ても、「この子が見せる、この様子はこれが最後」というような気になってきて、哀しみがあふれてきます。その哀しみはとどまるところを知らず、卒園式の間じゅう泣きっぱなしで、ちょっと恥ずかしかったです・・・もう今更仕方ないのですが。

それにしても、この自主保育でこ初々さんが愛情をいっぱい受けて、先生やお母さんたち、子どもたち、ボランティアの方たちと楽しく輝く時間を過ごせたことももちろんですが、私自身がいかに支えられてきたことか・・・支えられ、何とか未熟ながらも「母」になろうと背を押されてきただろうか・・・もしも自主保育に通っていなければ、私は成長の機会を与えられなかったでしょうし、おそらく神さまに出会うこともなかっただろうと思います。

そのことの感謝の気持ちを少しでもお伝えしたく、自主保育に関わる先生がたやお母さんたち(子どもたち)、ボランティアの方がたにクッキーを焼いて、おひとりおひとりにメッセージを添えてお渡ししました。そのこと自体はなんということもないことなのですが、家でこ初々さんと「みんなにあげようね!先生にもあげようね!」などと言いながらクッキーを焼いたり、おひとりおひとりのことを思いながらメッセージを書いていると、「こういう時間は、本当に大切だ」としみじみ思いました。もちろん感謝の気持ちの表し方は色々ありますし、何がいいとか悪いとかもありませんし、手をかければいいということでも、ないでしょう。でも私が手を動かしながら思っていたのは、「手作りで、なんだかんだと時間がかかるということは、その時間だけ相手のことを思っていられるということだ」ということでした。あぁこんなこともあった、あんなこともあった、この人はこんなことをしてくれた、言ってくれた、この子ははじめこんなふうだったのに今はこんなにお姉ちゃんになったなぁ・・・そんなことを、時間をかけて思っていられる。ですから相手のために何かをしたい(与えたい)というのは、「何か」の内容うんぬんよりも、相手のことを思う「時間」だったり、相手のためにさける自分の「時間」なのだなぁ・・・ということに気づきます。そしてその時間は「自分が与えている」ようでありながらも、「相手を思っていられるという豊かな時間を与えられている」とも言えるわけで、なんというかベタな言い方になってしまいますが、「与えるということは与えられることでもある」ということが実感できたように思います。三砂ちづるさんも著書で、「日本の文化では、(母親が)手をかけることで(子どもに)愛情表現してきた」ということをおっしゃっていましたが、育児も同じですね。「手作りすりゃいいってもんじゃない。自己満足ではないか」というような論調も最近はあるように感じますが、もちろんそういうことも起こりえることは否定しない一方で、「それ以外の方法で、相手のことを思う時間を確保するというのは非常に難しいのではないか。高度な能力が必要になるのではないか。」とも思います。なんやかんやと手間ひまかけている間に、相手のことを思う。相手の成長を願う。相手の健やかな毎日を祈る。そんな「時間」は、いろんなことをアウトソーシングして「自分の時間」をたくさん作る日常では、なかなか作りだせないような気がします。もちろんそれが「悪い」とは言いませんが、私自身はそれとはまた違う豊かさを指向しているのは事実です。

・・・と話がだいぶんとそれてしまいましたが・・・
こ初々さん、卒園おめでとう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カンゴフさんごっこと、男性は大変です

2010-03-11 12:32:45 | 3歳の軌跡


最近よくぽぽちゃんと、カンゴフさんごっこをしております。
どういうわけかぽぽちゃんを丸裸にして、ボールペンで「お傷」を書き、その上にバンドエイドに見立てたマスキングテープを貼ります。写真ではちっちゃくて見えないかな?足の裏や胸のところにマスキングテープを貼っているようです。自分で傷を書くところがスゴいですよね、なんというかリアルすぎます。私の聴診器(←ホンモノ)を持ってこいと言って、お胸の音を聞いたりなんかもして本格的~。しかし実際のところ、彼女にはリアルなカンゴフさんのイメージって無いはずなんですよね。小児科にはほとんど行ったことがありませんし、病棟へも行ったことがない。しかし「おかあちゃんはカンゴフさん」という認識があり、「カンゴフさんとして白衣を着て働いている頃のおかあちゃんの写真」を見て自分なりにイメージしているんでしょうねぇ。そして彼女、この「白衣姿の写真」が大好きでして、「一緒に見よう」とアルバムをよく引っ張り出してきます。なんでだろう?今も仕事へ行くときは「ビョウインでカンゴフさんしてくるよ」と言って出かけるのですが、ある時「ビョウインでなにするの?」と聞いてくるので「うーん、何しているんだろうねぇ」と答えに困っていると、「みてみよっか!!」と喜んでアルバムを引っ張り出してくる・・・おお、そうか。彼女は私が白衣を着て、怪我の手当や注射をしていると思っているのか!これにはビックリ、でもそうだよねぇ、そうとしか考えられないよねぇ。ちなみに今の私は白衣も着ず、エプロンさえ着用せずに、見知らぬ患者さんからは「あなたは本当にカンゴフさんですか?」と疑念を持たれるのではないかと思われるくらいにラフな服装で、処置や検査をしております。そして処置や検査も多くはないので、基本的には通所者さんたちとおしゃべりをしたり、書道をしたり、お花をいけたり・・・子どもから「何しているの?」と聞かれると、カンゴフさんっぽいことをしていると言えなくて「うーん」と悩んでしまいます。いやはや。

ところで話は全然かわりますが、オットの嘆きにもありますように、世のオットさんたちは本当に大変だろうと思います。私も「オットという人たちは、頑張っていると言いたがる」とは言いましたが、それは「頑張っていない」と言っているのではなくて、心の底から「男の人が、女の人と一緒に生活するのは大変だろうなぁ。頑張っているなぁ。」と思っているのです。特に我が優しいオットさんのように、基本的に感情の起伏がなく穏やかで、物事に巻き込まれないタイプの男性からみると、女性の感情的な面を理解できないというか、途方に暮れてしまうだろうなぁと想像にかたくありません。正直なところ、オットがどうやってこの理不尽を耐え忍んでいるのかさえ分からない・・・と思うくらい、ずいぶん理不尽な目にあわせてしまっていると思います。このことを思うといつも思い出すのは、村上春樹氏の「ねじまき鳥クロニクル」の冒頭シーン。奥さんが仕事から不機嫌な様子で帰ってくるのですが、その時に主人公の男性は「クールにやろう。余計なことは何も言わないように。静かに、自然に、刺激しないように」と自分に言い聞かせる・・・それでも奥さんは夫が「柄のついたトイレットペーパーを買ってきた」ということに腹をたててあたり、「あなたは私と一緒に暮らしていても、本当は私のことなんかほとんど気にもとめていなかったんじゃないの?あたなは自分のことを考えて生きているのよ、きっと。」と非難する。ひえ~、気に入らないトイレットペーパーを買ってきただけで、なんと理不尽な。・・・と客観的にみたら思いますが、きっとそれと同じようなことを私もしているような気がして、しのびないことといったら・・・この場をかりて、改めてお詫びしよう・・・ごめんなさい。いつも言っているんですけれども。しかし「ねじまき鳥」の男性も、(生理の周期で妻の機嫌がかわるため)「実を言うと、僕は結婚したことによって初めて、自分がこの地球という太陽系の第三惑星に住む人類の一員であることをありありと実感するようになった。」と吐露していますが、うーん男性が女性の「大自然っぷり」に困惑する様子が伝わってきますね・・・本当にごめんなさい。

そういえば河合隼雄先生も、「結婚は、宗教の入り口」とおっしゃっていたような・・・完全には理解しえない他者とともに生活するということは、そのような側面もあるのでしょうね。いやはや。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みんなでわけましょう

2010-02-25 22:13:29 | 3歳の軌跡


ここ数日、「もう春がきた~♪」とウキウキしてしまうくらいにポカポカ陽気の京都・・・なのですごーーーく久しぶりに植物園へ行ってきました。するとやはり!もう梅が結構咲いているんですよね~。もちろんほとんどがまだ3分咲きくらいなので、これからが楽しみです。やっほーい、植物園の季節がやってきたよ。

・・・と日中は割と元気にしていたのですが、その日の夜は「いつぐらいぶり?」というような夜泣きに悩まされました。いや本当に「夜泣きがつらい」と言っていたのはいつの頃だったのか・・・というくらい、ここのところずっと「夜は一度も起きずにぐっすり」のよい子ちゃんだったのです。しかもお昼寝を全くしなくなったかわりに、夜は8時前後に寝て、朝は7時くらいまで寝ているのですから、ぐんと楽になりました。「ねない~!!!」と泣いて激しく抵抗し、寝かしつけに数時間かかっていたのは嘘のよう・・・朝4時とか5時とかに泣いて起きていたのは幻だったのか・・・それくらい、「睡眠問題」があっさりと解決されてしまっていました。夕方の6時にこてっと寝てしまっても朝6時過ぎまではきっちり寝るなんていうこと、「憧れて、憧れて」いましたが、最近では1週間に1回くらいそんな奇跡的なことも起こります。幼稚園に行って身体を使うようになったからなのか、彼女の成長なのか。いずれにしても、早寝早起きのよいペースが出来上がっていたのですが・・・

ここ数日またちょっと風邪をぶり返しているせいか、夜にグズグズと言う日が続き、私はちょっぴり睡眠不足。そして昨晩は何度も夜泣きをして起き、一度は夜中の2時に「朝ごはん」を要求・・・久しぶりの睡眠問題のせいなのか何なのか、私はグッタリと疲れてしまって、こ初々さんに全然優しくしてあげられませんでした。いや優しくないどころか、自分でもウンザリするくらいに冷たくあたってしまった。そんなふうに冷たくしている間にも「これではいけない」と何度も思ったのですが、気持ちが冷えきってしまっていてどうしようも出来なかったのです。あぁ久しぶりだなぁ、こういう「見たくない自分、醜い自分にがっかりして傷つく」感じ・・・幼稚園へこ初々さんを送りに行って帰宅したら、もう嫌になって嫌になって、オットの前で「うわーーーん」と大泣き。「なにがそんなにかなんの?」と聞かれても、「自分。がっかりするよね、自分に。」としか答えようのない私・・・情け無いですね。

よくよく考えてみると、この気持ちの崩壊の背景には色々なことがあったように思います。幼稚園へ行くようになってからフリーの時間が増えたには増えたのですが、空いている時間には仕事へ行ったり、ボランティアをしたり、幼稚園関係の集まりへ行ったりしていて、「今日は何にもない、私だけの時間」のようなものはあまりありませんでした。しかし夜泣きの続いた翌日は、珍しく「何をしてもいい時間が5時間」。あれしよう、これしようと、別にたいしたことではないのですが計画のようなものをたてていて、それなりに楽しみにしていたのですね。しかし夜泣きに直面してどんどん消耗していくと、楽しみにしていたことが「もうそんな気力がないわ」という感じにしぼんでゆき、その悲しみがおりのように沈殿していくような感じがしました。でもね、本当のところ何が嫌かって、「自分のやりたいことが出来なくなった」ことそれ自体ではなくて、「自分のやりたいこと」を目の前にいる弱い人よりも優先させていた自分に気づくこと、なんです。なんというか、別にどうでもいいような「自分のやりたいこと」に絡めとられてしまって、そこから自由になれない自分に気づいて悲しくなる・・・最近三砂ちづるさんの「タッチハンガー」という著書を読んでいたのですが、女性が家事をアウトソージングして残る時間を「自分のやりたいこと」のために使うのではなく、家族の健やかな生活のために使わなくてどうするのだという論旨に「耳が痛いが、そうだ」と共感したばかりだというのに、あぁ何故に私は「自分、自分!」と相も変わらず言っていなければならないのか。そこから自由になることは、できないのか?一生・・・

そう思ったら、泣けて泣けて。まぁでもオットにブツブツと言っているうちに気持ちも落ち着いてきて、あとはお祈りしておこうと思えました。こういうときに「あ、わたし変わったな」と思うのですが、自分を責めて責めて、言葉で(思考で)何とかしようという自虐的な傾向は弱まり、「自分にできる以上のことはできない」と割にあっさりと思えるようになった。だからといって、してしまったことの重さは変わりませんし、後悔してもしつくせないものではあるのですが、それでも「そういう弱い自分を、自分でゆるす」必要がなくなったことの楽さというのは感じます。どんなに「こうありたい」と思っていてもできなかったり、できないで後悔したり、悲しんだりする弱い自分。それをゆるすのは自分にできなくても、もうすでにゆるされてここに在るのだと思ったら、「こうありたい」に近づく努力をするよりほかはない、のですよね。

そんなときにカーステレオから、大好きなブルーハーツが聴こえてきて・・・
「すべてのつみは・・・」
「みんなで、わけましょう! みんなで、わけましょう!!」

また泣けそうでした。罪というと分かりにくいかもしれませんが、それは「弱さ」と言っていい。弱さを一人で負うなんて、できない。みんなでわけるしか、ないのだろうと思うのです。

そして私に冷たくされたこ初々さんですが、幼稚園のお迎えにオットが行くと、「おかあちゃんは?」と言って泣いたそうです。おとうちゃんて損な役割・・・妻にも子どもにも泣かれ・・・という話ではなくて、弱いお母ちゃんでごめんよとまた頭をたれるしかないのでした。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

代替的要求のスペシャリスト

2010-02-19 10:17:38 | 3歳の軌跡


両親からのお誕生日プレゼントは、メイシーちゃんのおうち。ずいぶん大がかりなしかけ絵本なのですが、本屋さんへ行くとこれにへばりついて遊んで離れない・・・ドールハウスみたいで楽しいのでしょうね。

ところで話は全くかわりますが、こ初々さんは「代替的要求のスペシャリスト」・・・なんて表現すると、どれだけカッコいいことをしてくれるのかと思われてしまいますが、要するにいつでもどんな時でも「うんこ!」「おしっこ~」なんですよ。別にうんちやおしっこがしたいわけでもないのに、ちょっとかまって欲しいとき、こちらの注意をひきたいときにはいつでも「うんこ!」「おしっこ」と言うのです。これには、さすがの精神科ナースも参る。「うんこ」「おしっこ」と言っているのに無視するわけにもいかないのでトイレに連れて行きますが、出ない。そしてゴンタになって大号泣のときにも、必ず「おしっこ~!!」と泣き叫ぶのですが、これを外でやられると「おしっこと言っているのに、連れていってあげない鬼母」みたいに見られてしまうのではないかとヒヤヒヤ。だけれども一番困るのは、いつでも「うんこ」「おしっこ」と言っているので、「本当にそれがしたいとき」と「そうでないとき」の見分けがつきにくくなるということ。本当にうんちやおしっこがしたい時にも、母に「はい、はい。いつものことでしょ。」と軽く受け流されてしまうことも多々あり、そうなってくるとディスコミュニケーションの悪循環なんですよね。

なんでこんなことになっているのか?もちろん、からくりは分かります。おそらく「うんこ」「おしっこ」と要求することが、最も他者の注意をひくのだということをこ初々さんは知っているのですよね。経験的に「うんこ」「おしっこ」と言えば、時間をおかずに相手にしてもらえるのだということを。だからちょっと寂しいとき、遊んでもらえないで放っておかれているときなどに、本人が意識的にしているかどうかはともかく、「うんこ」「おしっこ」と言ってしまう。しかしそれを頻回に繰り返すので、要求される方も「また言っている」くらいにしか受け取らなくなるのですが、そんな程度の関心でも「関心をひくことには成功している」と言えます。ですから相も変わらずに、「うんこ」「おしっこ」と言い続けているのだと思うのですが・・・うーん、まずこちらが思ってしまうことは、「そんなにまでしないと、私ってこの子の言うことを聞いてあげられていないのだろうか?」というネガティブなこと。別に「うんこ」「おしっこ」以外の要求だって~例えば「遊ぼう」とか「これして」という直接的な要求だって~聞いてあげているではないか。それなのに、まるで「そう言ってもかまってもらえない」と諦めているかのように「うんこ」「おしっこ」と言われ続けるのは、正直なところ切ない。おまけに「また言っている」とウンザリしているような時に、「本当におしっこがしたかったんだ」ということが分かったりすると、「ちゃんと聞いてあげられなかった」なんていうふうに自責的にもなります。そして代替的要求の行き着く先の姿をたくさんたくさん見てきた精神科ナースとしては、「寂しいから看護師さんにかまってほしくて、『おなかが痛い』とナースコールをバンバン押すおばあちゃんになってしまうのではないか」なんて余計なことを心配したりだって、そりゃあしてしまうというものです。

いやぁこのディスコミュニケーションからどう抜け出していけるか・・・たぶん、「正解」はあるんです。「うんこ」「おしっこ」と言っているときに、「本当はどうしたいのか」ということを言葉で表現するように促し、それが自分で出来ない場合にはこちらが言語化してあげる。そして「うんこ」「おしっこ」だけではなくて、そのほかの要求にだってちゃんと耳を傾ける用意ができているのだということを言語的にも非言語的にも伝えていく。そうやって直接的な要求がきちんと聞き届けられる経験を積んでいければ、安心して言いたいこと、したいことを表現できるようになっていくだろう・・・というようなことは私にも分かるのですが、一度しみついてしまったコミュニケーションパターンを変容させることがいかに難しいことか!ということに直面しているというのが実際のところです。大体、目の前にドーナツがあっても「なんか食べたい」としか言えないヒトですからね・・・「なんか食べたいじゃないでしょ、ドーナツが食べたいんでしょ!」なんてイラっとしてしまう私もたっぷり反省しないといけないのですが、ひどいときには「なんか食べたい」「なんかじゃ分からないよ。何が食べたいの?」「えーとね、(そこに)見えてるもの。」「なあに?」「ひとつだけ。」「ひとつだけ、なあに?」「ひとつだけ。丸くて、穴があいてるやつ。」・・・核心のまわりをぐるぐるぐるぐる回って、出口のないコミュニケーション。ま・・・まわりくどすぎる・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする