自由学園幼児生活団の通信グループに入りました。自由学園とは羽仁もと子さんが創設した教育機関になりますが、幼児生活団は幼児にとってとても大切な「よい生活習慣を身につける」ことに主眼をおいた教育を実践しています。京都には「4歳児グループ」という週1回通園の幼児生活団があるにはあるのですが、これは未就園児が対象となっているのでこ初々さんは参加できません。残念に思っていたところ、「かぞくのじかん」誌面で「通信グループ」があることを知り、早速入団!?1年間を通じて、月に2回こ初々さん宛にお手紙と教材が届くことになっています。
そして第一回目の教材が、これ。「てあらいはげみひょう」です。あさごはんの前、おひるごはんの前、おやつの前、ゆうごはんの前にきちんと手を洗えたら、「おてて」 のシールが貼れます。「がんばったね」シールが大好きなこ初々さん、とっても楽しく励めていますよ。このほかに「おててでなにができるでしょう」という手作り絵本や、幼児生活団のお友達が全国(海外も含めて)にどれだけいるのかを表した地図、こいのぼり作りセットなども届いていて、こ初々さんは思った以上に喜んでいました。そしてね、私が「いいなぁ」と思うのは、こ初々さんに語りかけるお手紙が入っていること。こどもにとってはずいぶん長く、そして難しいように思える内容なのですが、こ初々さんは真剣に聞いていました。「あなたは今日から自由学園幼児生活団通信グループのこどもになりました。そのおしるしに名札をあげます。この名札をいただいたこどもは、おかあさまやおとうさまに甘えないで、元気なこどもになってください」から始まる手紙・・・ここまで読むだけで分かると思いますが、言葉づかいが丁寧で、かつ「子どもへの敬意と信頼感」がにじみ出ているように感じるのは私だけでしょうか。子どもだからといって馬鹿にしない・・・「子どもだから分からない」と考えるのではなく、「子どもは、子どもなりの仕方で考えて、理解する」というところを信じて、丁寧に語りかける手紙からは、子どもへの敬意と愛情が伝わってくるように思いました。きっとそれをこ初々さんも感じているから、最後まで真剣に耳を傾けられたのでしょうね。
ところで幼児生活団では、とにかく「自分でできることは自分でする」ということを励んでいくのですが、こ初々さんも少しずつその「誇り」を実感しているようです。親のほうもこ初々さんが何かできると、「さすが、幼児生活団の人は違うね」と言ってみたり、手を洗うまえに「幼児生活団のひと、はーーーい!」とのせてみたりしているせいもありますが、「幼児生活団の私は、できる!」という自信と誇りを持ちつつあります。そしてそれこそが、生活を励むことの本質的な「ねらい」なのではないかと思うのです。子どもというのは遅かれ早かれ身の回りのことをひとつひとつ出来るようになっていくものですが、「あれしろ、これしろ」とがみがみ言われてなんとか技術を習得していくやり方と、新しいチャレンジに出会ったときに「自信と誇り」を基盤にして取り組むのとでは、ずいぶんと違います。子どもにしても、大人にしても、世の中には「自分の知らない、未知のこと、できないこと」で満ち満ちている。しかしそれらに出会ったときに、「自信と誇り」さえあればきっと自分の身につけてゆくことができるでしょう。ですからあるひとつのことが「できる」ということが大切なのではなく、それを通して自信と誇りを持つこと。それがこれからの人生に「普遍的に、永続的に、役立つ」事柄なのだというふうに思います。
というところでタイムリミットが。
そうそう、幼児生活団をめぐって可笑しかったことをひとつ。オットに「幼児生活団の通信グループに入る」と話すと、「へ~そんなのがあるんだ。」と言っていたのですが・・・お義母さんにも報告すると、「○(オット)も入っていて、励み表をつけていた」とのこと。親子二代で幼児生活団!なんとも、不思議で、おかしいですね。