
お友達のおうちで、マイク握って歌っている。
まぁ昨日のオットの記事にもありますが、歌が大好きですねぇ。作詞作曲こ初々さん、という歌もかなりの数がありますが、絵本の一節を歌いあげていることも多い。最近のお気に入りは「あたまのなか」に加えて、「めっきらもっきらどおんどん」の中から「ちんぷく まんぷく あっぺらこのきんぴらこ じょんがら ぴこたこ めっきらもっきらどおんどん」・・・文字を読めない彼女がどうやってこの長い歌詞?を覚えているのか分かりませんが、すらすらと出てくるのだから不思議です。最近は絵本も「こどものとも」だったら年少版では飽き足らず、ストーリー展開のあるワンランク上の「こどものとも」を読んでいます。「こどものとも」はしっかりとお話がありますから読むのにも時間がかかりこちらの体力もいるのですが、とにかくもう絵本が大好きで大好きで、パンダ園に行ってもお外遊び以外は絵本を読めと持ってきてしまいます。この絵本好きは筋金入りで、この間などお昼寝から起きたとたんに「ない、ない!」と何かを探しているので「何がないの?」と聞いたら、「ともこ」。ともこって何じゃ!?と一瞬怖くなりましたが(想像力の逞しい母なので)、よーく考えてみたら「ともこのかいすいよく」という絵本だったんですねぇ。しかし起きてすぐに絵本を楽しみたいって、何だかなぁ・・・もちろん寝る前には必ず絵本で、昨日などはじめから10冊近く選んで寝室へ持っていき、その後も「もっと、もっと」と一体何冊読まされたのか(失礼!)数えたくないほどでした・・・
そんなこんなで往生はしていますが、最近は「ゴンタ期」をようやく抜けて、やや穏やかな日々が続いております。やっぱり1~2週間のサイクルなんですよねぇ。ぷちぎ。まぁゴンタ期には「やれやれ」と思うこともありますが、こちらに耐性がついたのか、あるいは対応がうまくなったのか、ずいぶんのらりくらりと楽に過ごせているような気がします。そうして肩の力を抜いて彼女を見ていると、彼女の発する「いやだ」にはグラデーションがあることに気づきました。つまり「何がなんでも絶対いやだ!」という濃いいやだから、「いやだと言ってみたい」という薄いいやだまで、ちょっとずつ段階的に濃淡があるような気がするんですよね。そこをこちらが上手に汲み取って、いやだが濃いときには「いいよ、しなくていいよ。」と一回受け止めてあげる。そうして気分がかわった頃を見計らって再度促すと、思いのほかあっさり自分でしたりします。またいやだが薄いときには、「じゃぁ~したくなったら教えてね~」とサラリと言っていったん離れてみる。そうすると本人も「本当にそれがしたくない」わけではないので肩すかしをくらったようになるのか、「する、する~!」と言いながらやってきたりします。もちろんこちらがその濃淡を汲み取り間違えることも多々あるので成功例ばかりではありませんが、「危ないこと」以外は無理にさせずに「ちょっぴり待つ」のが一番手っ取り早かったりするものですね。そう、待っている時には「永遠に待っている」気がしなくもないですが、そんなことはなく、結果的にはちょっぴりの時間だったりするということが分かってくると、平穏な気持ちで待てるようになりました。ええ、常にというわけではありませんが。
こうしてやっと少しずつではありますが、気持ちにゆとりを持つことができるようになったところに、幼稚園のほうから「2月のお誕生からではなく、新学期の始まる1月から通って下さっていいですよ」とのお申し出・・・え~1月からといったら、「こ初々さんとの母子密着24時間生活」もあと5ヶ月!?そう思ってかなり寂しくなったのが、自分でも意外でした。そして「パンダ園に通うのは、(夏期休園があるので)あと4ヶ月・・・」そう思うと目頭まで熱くなってしまうのですから、どうも感傷的でいけません。でもね、「あ~やっと幼稚園に行ってくれた」と思うのではなく、「幼稚園に行ってしまうのが寂しい」と思えてよかった、幸せだ、とすごく思いました。なんだかんだと大変なこともたくさんあり、危機も訪れたりしたものの、それでも最後には「一緒にいたい」と願うような日々を送れたのだな。ありがたいことだ、と思います。そんな母は、「パンダ園の通園カバンを大切に保管しておき、10数年後にその箱からパンダ園の通園カバンを取り出してみている図」なんかを妄想して号泣したくなる困った人なのでした。