集合写真が撮れるのは、「何か食べている」時だけですよねぇ。そういや、パンダ園でも一番静かで平和な時間は「おやつの時間」だったりします。
さて、ここのところ就寝時刻がなんと9時前後!もちろんそれには秘密が・・・というほどのものではなくて、ただ単に「お昼寝カット」しているからにすぎません。今まではお昼寝を全くさせないと、お夕飯どきに「こてん」と寝てしまうことのほうが多かったのですが、いいのか悪いのか体力がさらについてきて、眠そうなそぶりは見せるものの夕方に「こてん」とは寝なくなりました。そんなわけで早めに寝てもらおうと8時頃には寝室へ行って、9時頃に寝るというスタイルにしてみました。そして朝は大体6時半~7時に起きますので、まぁトータルすれば睡眠時間はあまりかわりありませんが、早く寝てくれると気分的には楽ですね。しかし一日中一緒にいると、お昼寝という「インターバル」で少しはリフレッシュできるものですから、日中「お昼寝させたい」という誘惑に打ち勝つには強い意志が必要です・・・でもねぇ、本人の様子を見る限りにおいては、もうそれほどお昼寝が必要そうではありません。今日なども昼食後本人に、「お昼寝してもしなくてもいいよ。どうする?眠い?」と聞いてみましたが、「ぜんぜん眠くなーい。わんちゃん見に行く!」と元気もりもり。もちろんそれでも時折眠たそうにはしますが、「眠くて眠くてどうしようもない。ゆえに不機嫌極まりない」という感じでもありません。きっともうこ初々さんには、「まとめて寝る」時期がやってきているんでしょうね。あと半年もすれば幼稚園にも行きますし、きっとお昼寝なし生活の準備期間に突入しているのでしょう。そうやって、「お昼寝というインターバル」への未練を断ち切ろうとしている母なのでした。
それにしても・・・「おかあさんいなくなっちゃうよ」というのを今ではちらつかせることもなく、大体1時間ほど絵本を読んだりうだうだするのにつき合ってあげるだけで、「ぼくが電気消す!」なんて言って「寝るモード」に入ってくれるようになったのには驚きです。(注:なぜかこ初々さんは、自分のことを『ぼく』と言います。兄弟がいないのになんで?とよく他のお母さんたちに聞かれますが・・不明です)その変身ぶりの根底に「おかあさんがいなくなってしまう恐怖や不安」があるのかもしれませんが、そういう様子は今のところあまり表面には出て来ていません。それよりも私が強く感じたのは、「無制限だった欲求に枠ができた」ということです。今までは、何だかんだと欲求をぶつけても大体のところ思うようになり、それゆえに欲求そのものがエスカレートしていっていたのですね。そんなふうに欲求が肥大化していけばいくほど、「だめよ」と言われたときの怒りや「自己を否定された」感覚も増してゆく。だからストレートに「だめよ」と告げると、まるで感情のたがが外れていまったかのように激しく抗い、泣き叫んで手のつけようがなくなっていたように思います。そんなところへ、「だめよ」と言うかわりに「おかあさんいなくなっちゃうよ」という形で「これ以上つきあわない」ことにすると、欲求がエスカレートする前にぼこんと枠ができてしまうんですね。それがいいのか悪いのか、何度も言うように私には分かりません。本当はそんなふうにはぐらかすことなく、「だめなものはだめ」と言うべき場面なのかもしれませんし、そもそも子どもの不安を使って枠を作るやり方が「いい」とはとても言えない。しかしまだ「寝なくてはいけない」という理由すら理解する力のない子どもに(寝たくなくて仕方の無い子どもに)、どうやって枠を作っていいのか私には分からないのです。なので今はただ、「おかあさんがいなくなっちゃうという不安が、『おかあさんは寝る前のうだうだにずっとつき合ってくれるわけじゃないんだ』という理解にすり替わっていてほしい」と願うばかりです。
それにしても、子どもってこんなにごねごねするものだとは正直知りませんでした・・・幼い頃の記憶なんて全然ないのに、なぜか「私は絶対こんなにごねごねしていなかった」と確信していたのですが、本日母に聞いてみたところ、やはり「わがまま言ったことがなかった」そうです。それというのも年後の弟がいたせいだと思うのですが、1歳半にして片道30分の道のりをもくもくと歩いていたそうですから驚き・・・こ初々さんなんて、ものの数分で「だっこ~!!!」ですよ。しかし「わがままも言わせてもらえなかった自分がかわいそう。この子にはわがまま言わせてやりたい。」と思うことなく、「このままではわがまま放題に育っていくに違いない・・・」と危機感を持つ私は度量が狭いのか何なのか。いやはや、子どもと一括りに言ってもいろいろなんですね。