
出汁昆布を、はみはみはみはみ・・・
2週間ほど前、助産師さんに「そろそろ離乳食をつぶさないで、さいの目状くらいにしてあげるようにして。」と言われたのですが、「ひえ~とんでもない!ちょっとドロっとしたものをあげるだけで、オエっと吐いてしまうんですから~」とびっくりしてお答えした私。しかし助産師さんは、「でも噛む練習をぼちぼちせんなんし。そやなぁ、出汁昆布持たせて噛ませといて。」と言うので、噛みごたえのありそうな、固くてちょっと上等の出汁昆布をあげてみました。すると結構気に入ってガジガジ、はみはみと飽きずに噛んでいるので「これはいい!」と思ったのですが、口の周りが昆布のヌルヌルだか、わずかな塩分だかでかぶれて赤くなってきてしまったので、あえなく中止に。うーむ、うまいこといかんもんです。
そう、困ったことに、こ初々さんは離乳食をしょっちゅう吐いてしまうのです。食べ物を舌でべぇっと押し出してしまう、なんていうかわいらしいものではなくて、少しまとまったものやドロっとしたものをあげると「オエ」っと嘔吐反射が出て、その後もちこたえられなくなると、「ゲロ」っと胃の内容物(主におっぱい)まで出してしまうのです。液体や、割とさらさらとした形状のものは入っていくのに、トロリとしているものは全くだめ。これまで高齢者の嚥下(注:飲みこむ)訓練はしてきましたが、加齢や脳障害による嚥下機能低下ないし障害の場合はさらりとした液体が一番ハードルが高く(むせやすい)、とにかく何にでもとろみをつけて食べてもらっていました。ですから何故こ初々さんが液体のものは食べられて、とろみのあるものが食べられないのかちっとも理解ができなかったのです。
まぁでもそこは、考えなくちゃ。
ということで、こ初々さんの「食べること」に関わる問題についてアセスメントしてみました。
まず「食べること」~食べる、という営み~は、1)「身体的」側面と2)「心理・社会的」側面とがあります。まずは1)「身体的」側面のアセスメントから。
1)身体的側面
人が「ものを食べる」ためには、a)目で見て食べ物を認識し、b)食べ物を口まで運び、c)食べ物を飲み込める大きさにまで咀嚼(かみ砕き)し、d)食べ物を嚥下する(飲み込む)、という一連の動作が必要になります。a)b)は赤ちゃんが自分で出来ませんから保護者の役割になります。(ほら美味しそうなお豆腐だよ~食べてみようね~と声をかけながら(a)、食べやすい大きさにすりつぶして口の中に入れる(b)。)またc)の咀嚼は段階的に練習が必要になりますが、すりつぶしや裏ごししたものを食べる場合には省略されます。というわけでこ初々さんに問題がありそうなのはd)の「嚥下(飲み込む)」です。そしてこの嚥下に問題があるとすれば、イ)形態的な問題と、ロ)機能的な問題が考えられます。イ)形態的な問題には、「食べ物が入っていく入り口が狭くなっている(食道が狭窄している)」という可能性が考えられますが、順調に体重が増えていけるほどおっぱいを飲むことができるのですから、病的に狭窄しているとは考えにくい。ではロ)機能的な問題があるのか?嚥下というのはとても複雑な機能なのですが、簡単に言ってしまうと、食べ物がのどに入ると空気の通り道である気道に蓋がされ、きちんと食道に食べ物が入っていくように調整されています。そして気道に蓋をするのは意識的には行えず、脳が食べ物を感知し反射として行っているので、脳に障害があったり、加齢によって反射に遅延がみられると、気道に蓋をするのが遅れてしまい、結果食べ物が気道のほうへ入っていってむせるということにつながるのです。こ初々さんの場合、食べたときにちょっとむせて、そのむせた勢いで「オエ」っと嘔吐反射が出てしまうということもありますが、だいたいはむせるより先に「オエ」っとしてしまう。そのことを考えると、「むせ」と「嘔吐反射が出てしまう」ということは別々に考えたほうがよさそうです。ですから、脳に障害があって嚥下が出来ないという可能性も否定してよさそうだ・・・
では・・・
2)心理・社会的側面
当然のことながら「食べること」というのは、単に生理的な現象ではありません。まず「食べたい」という欲求がなければ食べられません。そしてひとは一人で食事をするだけではなく、社会の中で他者と食を共にしますから、その社会や文化が求める(食事の)ルールを身につけていくことも必要です。それが、「食べること」が生命を維持する生理的な営みであるとだけは言えないゆえんです。さてこ初々さんに関して考えてみると、「そもそも彼女は、食べたいという欲求があるのか?」というところに疑問が生じます。もちろん「おっぱいを飲みたい」という欲求はあります。つまり、「おなかがすいた。空腹を満たしたい。」という欲求はある。しかしそれはおっぱいで満たされればよく、ほかの食べものである必要を感じていないのではないか・・・?
そこでふと思ったのです。実はこ初々さん、山羊さんのように「紙きれ」はよく食べてしまうんですよねぇ。ちょっとそこら辺に広告やら新聞やら、雑誌などを放っておくと、知らないうちに舐めて食べているんです。それも米粒ほど小さい、というのではなく、大人の親指の先くらいありそうな大きさもざら。そんな大きさの食べ物をあげたらとたんに吐いてしまうのに、紙きれの場合は何の支障もなく飲み込んでしまう。ということはつまり、身体的に「ある一定以上の大きさの固体」を飲み込めないというわけではないじゃないか。では何故紙きれなら「オエ」っと嘔吐反射が出ずに食べられて、カボチャやら薩摩芋やらは吐いてしまって食べられないのか。
結論。
これって、彼女の「意思」の問題なんじゃないかなぁ。自分で口に運ぶほど興味のあるものは食べるけれど、人から与えられる(彼女にとっては)わけのわからないものは食べない。さらっとした液体は、彼女の意思の力が働く前に入っていっちゃうけれど(気づかないうちに入っちゃった?)、どろりとしていて通過するのに時間がかかるものは彼女の意思のほうが先に働いて、「食べない」と決断を下す。つまりこ初々さんが離乳食を吐いて食べないのは、彼女が「食べたくない」からという「心理的」な問題なんでしょう。
でも何で食べたくないのかな?
「食べたい」と思うには、それが自分にとって安全であり、毒やら危険ではないという確信が持て、かつ「美味しそうである」と思えなくてはなりません。また、自分にとって大切な人と食を囲みたいという気持ちも大切です。こ初々さんが生物として「それは今、いらない」という意思を表明している、そのことは受け止めながらも、「でもね~、そうはいってもこ初々さん、食べるっていいことだよ~。これも、あれも、すごーーーく美味しいんだよ~。お母ちゃんもお父ちゃんも、こ初々ちゃんが参加してくれるのを待っているからね~。」と誘惑!?は続けていこうと思っています。彼女の意思を無理矢理変えることは出来ませんが、彼女の意思に「働きかける」ことはできる。こ初々さんが生物ではなく「人間」の営みに参加していけるように、「美味しいな」「楽しいな」を共有できるように、そう願いながら働きかけを続けていきたいです。