
仕事をしているオットにはりついて離れない、こ初々さん。
最近は私が台所に立っていると、足にしがみついて離れなかったりします。とにかくくっついていたいんだなぁ・・・というわけで、ひたすら親子でくっついています。そうそう、つい先日「くっついた」という絵本も買ったっけなぁ。読み聞かせながら、「くっついたぁ!」と言ってくっつくと、とっても喜びます。まぁ喜ぶわりにはずっと聞いているということもなく、絵本のかどっこをガジガジと噛み始めてしまうので、絵本の趣旨は理解しておりませんが。むむむ。
最近はくっつき虫に泣き虫が加わって、気に入らないとすぐに癇癪おこして泣きます。助産師さんに「我が出てきてねぇ」とお話すると、「うちの子、最近性格が悪くなりました、って言わはったお母さんいはったわ。」と教えてくれましたが、ふふふ、その感じ、よく分かるぞ。今まで泣くというのは「お腹すいた、おしめぬれた、眠い」などの生理的な欲求に基づいたものであり、こちらの働きかけに対して「気に入らん!」と抗議の声をあげて泣くということはなかったんですね。例えばおむつがえや、持っていたものを取り上げるとき、これまではとっても受け身でされるがままでしたが、今は「いやだ!」とはっきり意思表明します。ですから「されるがまま」の時期が、「素直で(性格の)いい子」のように思えてしまうという感じ、なんとなく分かります。しかしもちろん「されるがまま」時代に性格がよかったわけではなく、おそらくまだ自分の意思というものが立ち上がってなかったり、何をされているのかという行為の理解がなかっただけにすぎません。なので泣いて嫌だ!という意思表明ができるようになったというのは、成長の証。嬉しいばっかり、のはずですが・・・そりゃあ、今までとは違った大変さが加わり、こ初々さんとの関係に転機が訪れたように感じました。つまり、「このヒトと、どう向き合うか」ということ。
しなければならないことをするときに(例えばおむつがえやお着替え)嫌がって泣かれると、ちょっとこちらにゆとりがなければ多少「イラッ」とするものです。実際嫌がって身をくねらせ、逃げ出そうとしてしまうので、時間も手間もこれまで以上にかかったりする。特にしなければならないことが山積みだったり、「○時までに出かけなければならない」などと時間の制約がある場合は、「もう~!じっとしてて!!」とイライラがつのるもの。もちろん私も生身の人間ですから、イライラしたり、嫌になったり、そういうネガティブな感情は持ってもいいのですが、あんまり気持ちのいいものでないのは確かです。仕事をしていた時に嫌というほど体験しましたが、思いがけずイライラしてしまうと、あとから「あんなにイライラしなければよかった・・・」と後悔することが多いのですね。なのでできれば、イライラなどせずにすみたい。そのためにはどうしたらいいのか?私は自然とふたつの対処法をとっていました。
ひとつは、ひたすら赤ちゃんに合わせるということ。こちらがお世話しやすいようにするのではなく、赤ちゃんの動きに合わせてお世話する。例えばおむつを交換するときにも仰向けにするのは諦めて、赤ちゃんのとっている姿勢でしてしまう。またいっぺんにしようと思わず、おむつのテープを片一方だけとめておいて、あとでもう片一方とめる機会を待つということもします。そしてそもそものお世話自体、その都度必要性を検討します。おむつかぶれもなく、赤ちゃんが機嫌よく遊んでいるのであれば、おしっこが多少出ていてもすぐにおむつ交換はしない。凍え死にそうだとか、うんちが口に入るとかでなければ、多少見栄えが悪くても無理に洋服を着替えさせない。そんなふうに、「まぁ赤ちゃんの好きなようにさせておく。(お世話は必要最低限)」ということにしておくと、イライラを感じずにすむような気がします。
もうひとつは、「からだをずらす」ということ。これはもちろん物理的にずらすという意味ではありません。うまく説明ができないのですが、癇癪をおこして泣いている赤ちゃんの真正面から、ちょっとからだをずらすんですね。そうすると赤ちゃんが癇癪をおこして泣いている!」という状況に自分が丸ごと取り込まれず、何となく横から冷静に状況を眺めることができる。ある種の解離状態に近いのかもしれませんが、そうやって状況と自分を切り離す(あるいは距離をおく)と、気持ちをフラットに保つことが可能になります。いや正確に表現すると、状況と感情の間に時差が生じ、その時差を利用して気持ちをコントロールしようとしているのかもしれません。それがいいことなのか悪いことなのか分かりませんが、ネガティブな感情の処理方法としては「あり」なのではないでしょうか。
繰り返し言いますが、私(つまり、お母さんとしてのわたし)も生身の人間。イライラも、悲しみも、怒りも、色々な生きた感情を体験するのは当然のことです。それを無理に「ない」ものにする必要はありません。たとえその対象が、お世話を受けなければ生きていくことができないという、立場上弱者であったとしても、そういう感情が「出てこないわけはない」。でも、ずっとずっと長い付き合いを続けていく人ですから、そういう感情を「やりくり」する必要はでてくるわけです。そして出来れば、やりくりした上で気持ちよく過ごしていたい。時にはイライラもし、悲しみもし、怒ったりもしながら~つまり、ビビッドな生きた感情も表現しながら~、「まぁトータルでいったら、ご機嫌でいられているかな」というあたりを目指したいな、というふうに思っています。