
ひどい顔になっております。
ご飯を食べるときには、たいていこんなふう。
さて、離乳食のその後のはなし。
「離乳食」なんて恐れ多くて言えないほどなのですが、それでも毎食食べようが食べまいが何かしら口に食べ物を運んでいます。だいたい朝と昼はほとんど食べず(ひとくち、ふたくち食べる程度)、夜は割とやる気を出してぱくぱくと食べます。まぁこんなものかなぁと大して気にしていなかったのですが、先日知人から頂いたゼリーをあげたところ、ものすごくたくさん食べるではありませんか。「これはもしや、ちゃんとした(食べやすい、好きな)ものをあげたら、食べるのではないか」と俄に気になり、試しに市販の離乳食レトルトパックを購入してみました。食べるかなぁ、どきどき。だってこれでもりもりと食べたらですよ、これまでこ初々さんが離乳食を食べなかった理由が、「母の怠慢」に他ならぬことになるじゃないですか。それはちょっと困る。とは思ったものの、まぁ食べたらそれはそれで嬉しいし、やりがいもあるってなもんだ、と覚悟を決めまして、恐る恐る!?あげてみたところ・・・やっぱりちょっとしか食べませんでした。ほっとした反面、ちょっとがっかりという複雑な心境。そしてそのあとにゼリーをあげてみたのですが、これもまた食べない。なーんだ、こ初々さんがゼリーをもりもりと食べたのは、ゼリーが食べやすかったからでも、好きだったわけでもなくって、ただ単にちょっとお腹がすいていただけなんだな。ということが分かってよかった、よかった。
しかしここで母は考えこむわけです。じゃあどうしたら、お腹がすいてご飯を食べるのか。それには二通りの方法があります。ひとつは活動性をあげて、エネルギー消費量を増やす。もうひとつは、おっぱいの量を減らしてエネルギー摂取量を減らす。前者は今後どんどん活動性もあがるでしょうし、保育所などへ足しげく通いつつあるので可能です。しかしおっぱいを減らすというのは、どうだろう。もちろんご飯の量を増やすことを第一の目的とするのであれば、計画的に減らしていくことは(難しいでしょうが)できない相談というわけでもありません。つまり、ここで選択をせまられるわけです。「おっぱいをベースにするのか、ご飯をベースにするのか」ということを。
少し話はそれますが、鬱病などでご飯が食べられない場合、生命に危機的な状態になると点滴が開始されます。(余談ですがこの点滴、私が勤めていた病院では「ベース」と言っていました)。口からご飯が食べられない以上、生命を維持するために必要な栄養を直接血管内に流し込んでいくわけです。そしてご飯が食べられるようになると、段階的に点滴の量を減らし、ご飯の量を増やしていく。しかしここでよく問題になるのが、「点滴がいっていると、お腹がすかない」ということ。お腹がすかなければ、ご飯の量も増えません。ですから一時的に多少栄養が足りなくなることが分かっていても、どこかで点滴の量を(必要量以上に)減らすか、なくしてしまわなければなりません。これはもうほとんど実験のようなもので、点滴をきってもご飯の量が増えなくて点滴を再開する、なんていうことも繰り返されます。でも、ずっと点滴をしているわけにはいかない。どこかで、「口からご飯を食べる」ことに移行することが必要です。
赤ちゃんも同じで、いつかどこかの時点で「ご飯を食べる」ことに移行しなければなりません。「ご飯を食べる」ことを目的と考えると、おっぱいは今点滴のようなもの。「それがあると、ご飯の量は増えない」んですね。しかしどこで切り替えていくか。
今後状況は変わるかもしれませんが、今のところ私は、断乳するまで「おっぱいがベース」でいこうと思っています。断乳の前から計画的におっぱいの量を減らし、ご飯をベースにしていくというやり方もあるとは思いますが、特になんの根拠もなく「おっぱいをやめるときまで、好きなように飲んでいたらいいじゃない」と、ほとんど気分で決めてしまいました。それは気分なので、またこ初々さんが(食べることに)やる気を見せたりすると気持ちは揺れるでしょうが、それでいいんだと思っています。赤ちゃんの様子をみながら、あれこれ実験!?試行錯誤!?してみて、方針もその都度変更していく。そんなふうにフレキシブルにいきたいと思います。
しかしまぁ、育児っていろんな選択をせまられるものだなぁ。