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京都生活手帖

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作文について(前篇)

2015-08-19 15:36:38 | 日記
昨日からオットさんとこ初々さんは実家へ帰省中。私は仕事があるためお留守番です。

この夏は、本当に忙しかった・・・町内の役員もそうですが、ある学会の立ち上げに関わり、学術大会の企画委員をしていました。学会の運営って、こんなに大変なんだなぁ・・・ということを身をもって思い知り・・・とはいっても私なんかは、中心になってとりまとめて下さっていた方がたのご尽力にはとうてい及ばない働きしかできなかったのですが、それでも最後のほうは「はやく、ぶじに、終わってほしい」ということばっかりを願ってしまうくらいには大変でした。このあと秋には別の学会のシンポジウムをお引き受けしているので、そろそろそちらの準備もしなくてはいけませんね。この春から研究生も辞めてしまい、研究活動もしていない無所属の人間がこんなに学会活動に関わっていていいんだろうかと申し訳ない気持ちと、肩身の狭い思いとでおります。・・・研究・・・まっっったく出来てません。出来てませんというか、してませんというか、する気がないというか。(←どんどんサイテイ度が増していく・・困ったもんです。)

そんな冴えない私の近況は置いておいて。

今日のテーマは「作文」。
いきなり自慢をするようですが、私は文章を書くことが得意な方だと思っています。「得意」というのはもちろん相対的なものですし、ここで私が比較の対象にしているのは「他者」ではなく、「自分の中にある他の能力」です。要するに、絵を描くのも酷い、手先が不器用、立体感覚がアヤしく手芸も造形も困難、極度の方向音痴、空間認識がまずい・・・とか色々のマイナス能力に比べると、言語能力だけはずいぶんマシであり、その能力に頼りながら生きている、ということです。細かいようですが、その様々な能力はイコール「好き、嫌い」に直結するわけでもなく、文章を書くのが得意とは言っても「好き」かと言われればさほどですし、手先が不器用で立体感覚がないけれども「ヘタの横好き」という言葉がありますように、手芸が好き。うまくいかなくて泣こうがなにしようが、「またやりたい」と思えるくらいには好きなんです。不思議ですね、人間て。

さてさて本題からずれてしまいましたが、とにかく私は言語に頼って生きてきたタイプなので、気づいてみると「作文」という課題で困ったことがありませんでした。何か特別な教育を受けてきたわけでも、自分で文章修業をしたわけでもなく、自分の感覚としては「もとから、今のよう」。もちろん小学生の時の文章能力と今とを比較したら「そんなことあるわけないだろう!」ということにはなると思うのですが、ベーシックな部分ではそんなに違わなかったんじゃないかなぁと思うんです。これってどういうことだろう?と考えると、もちろんテクニックであるとか表現力であるとか、語彙力なんかは今のようになかったと思うんですよ。でも小学生なりに思ったり感じたことを表現するのには十分だった、ということなんじゃなかなぁと思うのです。つまり、「言いたいこと、伝えたいことを、文章という形で十全に表現できていた」ということ・・・だから「作文が書けない!」と騒ぐことがなかった。思い、経験したこと・・・を表現する手段として、私は文章(言語)が最もフィットしていたという感覚が、「今も昔も、大して違いはなかった」につながるような気がします。きっと絵が得意な人、造形が得意な人も、それぞれの表現手段に対して、そう思うんじゃないかなぁと想像します。

また話がそれてゆきましたが、「作文を書く」ことに苦労したことがないので、「作文が書けない」という状況がどういうものであるのか、私には全くわかりませんでした。「別に、なんでも思ったこと書いたらいいじゃん。」という冷たい感じ。絵?どうやって描いたらいいの!?と思う私が、「別に、なんでも好きなように絵を描いたらいいじゃん。」なんて絵の得意な方に突き放されたら悲しい気持ちになりますが、正直教えようもない、と思っていました。それは思考のリズム。表現そのもの。そんな感じなのです。

しかし子どもの作文につきあってみると、逆にいろんなことが分かってきました。
と、ここからが本題なのですが、続きはまたのちほど・・・いいか悪いかは別として、作文を教えることはできるという気づきについて書けたらと思います。

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1年も経ってしまいましたが・・

2015-08-17 11:39:54 | 日記
ブログを放ったらかしにして、はや一年・・・
もう読んでくださる方はいらっしゃらないだろうとは思いつつ、やっぱり記録しておくことが大事だと思い直して、備忘録。こ初々さんももう3年生(8歳)になり、個としての人格ができてきつつあるので、彼女のプライバシーに関わるような込み入った話もあんまり書けないなぁと思うのですが・・・数年前には想像さえしていませんでしたが、彼女はもうこの記事を読むことができるし、「そんなこと書かんといて!」と異議申し立てをすることもできるんですよね。

今更この1年を振り返る・・・なんてことはできそうにないので、夏の出来事を中心に大きなトピックのみ書いておくこととします。

1.今年のピアノの発表会
一人で弾いたのは、エルメンライヒ「つむぎ詩」。本人の実力以上の作品でしたが、よう頑張りました。親子連弾は(ハハ念願の)バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」。私が緊張しすぎて、当日のリハーサルがズタボロ。一度家に帰って猛練習。本番直前もガタガタふるえ、「もう一回楽譜を確認しなくちゃ」と私が言うと、「もうそんなんやめときな!」と娘にぴしゃっと言われる始末。なんとかミスタッチなく弾き終り、「もう二度とするもんか」とその時は思ったのですが・・・「今度はバレエの曲を一緒に弾きたい」とこ初々さんが懲りずに言ってくれるものだから、なんとなくまたその気になるワタクシ・・・きっと後悔するだろうなぁ。

2.今年のバレエの発表会
バレエ、頑張って続けておりまして、今年も発表会が無事終わりました。
バレエの曲を集めたCDをお小遣いで買い、それに合わせてオリジナルバレエを踊る・・・のがお気に入り。バレエを観るのも好きで、先月はキエフ・バレエ「眠りの森の美女」を観に行きました。1月にはロシア・ワガノワ国立バレエの「くるみ割り人形」を観に行く予定。

3.科学の学校に通い始めた
お友達に誘われて、単発の実験教室へ行ってみたところ・・・楽しかったので月1回通うことにしました。親のほうも見ているだけで楽しかったので、「週に1回通ってもいいよ♪」と言ってみたのですが、本人は「月1回でいい」とのこと。確かにこれ以上習い事が増えると(親も)大変ですから・・・子どものほうが現実的。実験を見ながら、「へぇ~なるほど!」と親が学び直しできるのも楽しかったのですが、「仮説」「実験(仮説の検証)」「結果」「考察」・・・という論理的思考って恐ろしく大事だなと思ったのも大きなところ。親(ワタクシ)が現象学的研究なんていうことをしていて、科学的思考を批判する立場にいるのであんまり声を大にして言えないところもあったりなんかしちゃいますが、科学の思考法は基本ですよね。それと、先生たちも素敵だなぁって思ったんです。「お友達と一緒に(課題に)取り組むっていうのも大事なんですが・・・中には一人でやりたいっていうマニアックな子もいるんで、それはそれで。」ここで先生が「マニアックな子」と仰ったのが素敵だなぁと。それこそ細かすぎてマニアックな観点かもしれませんが、いろんな子がいて、それぞれの思いを(自然に)尊重されておられることが伝わってきたのでした。

4.夏の水泳教室
2年続けて同じ短期水泳教室に通ったのですが、今年は「5日間で25メートル泳げるようになる!」と謳う別の水泳教室へ。学校の検定でも「10メートル」をクリアしていなかったので、どうかなぁと思っていたのですが・・・なんとまさかの「背泳」で、25メートル達成!これまで一度もチャレンジしたことがなかった背泳で25メートルとは・・・本人のガッツポーズに、別に泳法は何であったって目標達成できてよかったと、胸がきゅんとなったのでした。
ところで話が戻りますが、なんとか学校の検定で「10メートル」をクリアできるよう、検定前にしょうざんプールへ特訓をしに行きました。そこでハハ、つるっとすべってしりもち、お尻をいやというほど強打。電撃が走って(なんの比喩でもない!肉体的にも、精神的にも電撃)、今もなんだか調子いまひとつ、です。

5.まんが家になりたい
いつの頃からか漫画をかくようになり、「まんが家になる」と申しております・・・夫婦とも言葉のヒトなのでわが子もそうだろうと思っていたのですが、どうも彼女は違うらしい。絵をかくのも好きですし、学校で一番好きなのは「図工」・・・へぇ~と思いましたが、ちまちまと独創的な絵をかいてみたり、作ってみたり。ちなみに記念すべきマンガ第一作目は「パカマンガ」。アルパカの家族が主人公。絶賛連載中です。
さて、かくだけではなく、読むのも好きなこ初々さん・・お気に入りは、朝日小学生新聞に連載中の「パパモッコ」です。全7巻しかありませんが、放っておくとひたすら「パパモッコ」を繰り返し繰り返し読んでいるので、時々「漫画禁止令」がしかれてしまいます。でも「夏休みにはマンガミュージアムに行って、漫画をひたすら読みたい」ということだったので、親子で漫画デイ@マンガミュージアム。こ初々さんは「銀のトゥシューズ」というバレエ漫画、ハハは、「イチエフ」という福島の原発漫画を読みふけりました。

6.国際平和ミュージアムへ
ミュージアムつながりで・・・今夏は色々と思うところがあり、戦争と平和について少しずつ考えていってもらいたいという気持ちから、立命館大学の国際平和ミュージアムに行ってきました。今年の自由研究はスクラップをしているので、彼女なりに関心をもったところ(空襲と原爆でした)を絞ってスクラップにまとめ。一緒に作業をしていたら、余計な気持ちがむくむくと。「ちょっと、お母さんも書いていい!?」びっくりしたこ初々さん、「お母さん、なに書くの?」「憲法9条について。・・・あかんか。あかんな。どんな思想のご家庭や!?と思われるか。」・・・と自粛したハハでした。
ちなみに、井上ひさしさんの「子どもに伝える日本国憲法」はとてもいい絵本です。日本国憲法の前文と9条を、やさしい言葉で説明してくれていて、読んでいたららあまりにあたりまえのことなのに、涙がポロンと落ちそうになりました。こ初々さんにも読んであげましたが、ぽつんと一言。「なんで戦争するの?」あまりに素朴な疑問ですが、ちゃんと答えてあげられない・・・一緒に考えていくしかないなぁと、思いました。

7.キャンプ、夏祭り・・・もうすぐ地蔵盆
今年は町内の役員をしておりまして、夏休みはとーっても体力のいるイベント続き。まずラジオ体操当番。その次は、小学校のキャンプのお手伝い。私は一部分しかお手伝いに行っていませんが、猛暑の中クーラーのない部屋で流しそうめん用のそうめんをゆがく・・・小学校の夏祭りでは、炎天下の中数時間にわたってたこせん売り。これ、ほんとに死にかけました。汗かきすぎて、目が痛かったくらい。とはいえ私は平の役員なので、言われるままに分担作業を担っていたにすぎないのですが、本部の役員さんたちはこれを毎年、準備から片づけまで全部してくださっているんです。子どもたちがすごく喜んで楽しそうにしているのを見ると、本当に頭が下がります。過酷すぎてヒーヒー言ってしまいますが、私なんてほんのちょっとしかお手伝いできていません。あぁほんとにもうみなさん、すごいなぁ・・・(遠い目)。でもたぶん、こういうことも向き不向き、好き嫌い、得意苦手ってあるんだろうと思うんです。アウトドアで体つかって働くのが好きだったり得意だったりする人もいれば、私みたいに「資料つくって」とか「記事書いて」「文章書いて」と頼まれるのが苦にならないタイプもいたりで、いろんな人がいるのがいいのでしょうね。ないものねだり、したくなっちゃいますが。私の「ないもの」?もちろん、体力です。今週末は、1日がかりの地蔵盆(もちろん、役員なのでフル出場)。体力もつかしら?ていうか、これだけ感謝しておいてなんですが、もうこの酷暑にイベントってどうですか?秋にまわしませんか・・・??

まだまだありそうですが、本日はここまで・・今日はこ初々さん、大学生が企画運営している子どもキャンプへ行っております。とてもおぼこいタイプなんだと思いますが、キャンプとかイベントとか、大好きなんですよねぇ。これがまた、お友達と一緒に、とかいうんじゃなく、お友達がいようがいまいが、「行く、行く♪」。一応、お友達誘わなくてもいいの?とは声かけるのですが、なんで?とばかりにキョトンとして、「別にいい。だってそこでお友達になったらいいから。」・・・こう見えて!?人見知りのハハには衝撃発言なんですが、誰とでも友達になる自信があるというか、その大らかさというか・・・すごいな。わが子ながら尊敬しています。「○○ちゃんと遊んでくる!遊ぶ約束してるから。」と飛び出していくのはいいんですけれど、○○ちゃんまだ1歳ですよ・・・年齢も性別も関係ないっていう感じが羨ましくもありますが、女子的グループの世界とかにちゃんとついていけるのかなぁと不安にもなります。まぁついていかなくってもいっか。それこそマニアックな子として、生きていってもらおう。

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ダンスはできなくても生きていけますが

2014-09-27 13:58:32 | 日記
今日は運動会。
幼稚園の運動会は一日仕事で大変でしたが、小学校は「教室でみんなでお弁当」ですし、出番のところだけ観に行くのみですから、ぐっと楽になりますね。とりわけ我が家は小学校の目の前なので、アナウンスを聞いてから出発、でも全然間に合います。

こ初々さんはあまりかけっこが得意なほうではないですが、みんなでダンスする種目は大好きで、めちゃくちゃ張り切って踊っていました。運動会の練習も熱心にやっていたみたいで、家でも歌って踊って楽しそう・・・聞くところによると、「こんな踊りは子どもっぽくてイヤ。」なんて言う同級生もいるようでびっくり。でも確かに授業参観へ行ったときも、帰りの会で先生がダンスの音楽を流してくれると、ノリノリで踊っているのはこ初々さんとその友人たちだった・・・おぼこい仲間たちがいてくれてよかった、と、ややほっといたしました。もちろんどっちがいいとかいう問題ではないんですよ。それぞれの子どもに特性があって、その特性を共有できる仲間たちがいれば、それでいいんです。

ところでこ初々さんは歌って踊ってするのが好きですが、基本的には「身体のぶきっちょ」だと思います。バレエのレッスンを見ていて思いますが、視覚的な像を理解して自分の身体に反映させるのに時間がかかります。でも出来ないわけじゃなくって、ただ時間がかかる。見ていてハラハラするんですけれども・・・私なんぞは、時間かけたって「できない」種族です。つい最近も職場で、患者さんたちと一緒にダンスをしてビデオ撮影するっていうことをしたんですけれども・・・ビデオをまわしている同僚から、「やばい。初々さんが一番やばい。ぎゃはは。」・・・出来ないとは思っていましたけれども、こんなにできないとは。ショックを受けつつ、開き直り。そうだそうだ、私は認知に障害があったんだった。出来んもんはできーん。

そして、つくづく思うわけですよ。開き直れるって、ありがたいなって。だってもしダンスを習得して上手にならないといけない世界に生きていたとしたら、私は頑張って頑張って、苦労して苦労して練習しても、「人並み」以下にしかならないでしょう。「やればできる」「努力は必ず報われる」「夢を持ち続けて」・・・巷にはこんな文言が溢れていますが、人の身体的特性というのはちょっとずつみんな違う。人より多く努力したとしても、身体的特性に合わない努力が報われるとは限らない。おそらく多くの人の現実は、特性として弱点を抱えながらも、それを補いうる別の力(これもまたその人の特性)を使って、やりくりしているというところにあるのではないでしょうか。

ただこの弱点がたまたま「ダンス」という、今の私の生活にとって必要不可欠というわけではない部分に現れているので、「出来んもんはできん」と開き直れてしまうわけです。もちろん私の能力的弱点は、「車の運転がヘタである」とか、「地図が読めない・方角がわからない」とかいう部分にも現れてきています。でもそれにしたって、私はタクシードライバーになりたいわけでも、出張族にならないといけないわけでもないので、これもまた「出来んのよ。」と言っていればいいだけです。ですが、これがいわゆる「コミュニケーション能力」と言われるものに現れてしまうような特性を持っていたとしたら。ヒトは、望む・望まないに拘わらず、人と関わって生きていかなければなりません。それは、人の生活、営みの上で、(今のところ)必要不可欠なシチュエーション。そういった必須な状況で、弱点を抱えなければいけなくなってしまったとしたら、どれほど大変なのだろう、そう思います。

もちろん、私の能力的弱点も、コミュニケーション場面で現れてしまうことがあります。例えば私は人の顔の認知と記憶が弱いようで、状況が変わると「どなたでしたっけ?」ということがしばしばあります。つい最近も、子どもの幼稚園時代のおかあさん友達(と言ってもあまり会話を交わしたことがなかったですが)にばったり出会って声をかけられたのですが、「えーーーと?」・・・内心焦りますが、結局「○○の母です」と言われるまで、思い出すことができませんでした。いやほんとに、自分の振る舞いを「失礼だなぁ」と思ってガックリきますし、「どう思われただろう?」と悶々としてしまいます。人の顔(と名前)を覚える、なんて、社会的な生き物としての人間には必要不可欠な、初歩的な力であるはずなのに、なんで?とも思います。いまだに「あーあ」という気分と、「こんなことが続いたら、いずれ社会から疎外されないだろうか」という不安とを引きずってもいます。ただ・・・それと同時に、そういうネガティブ思考だけではなく、「きっとそんなんでも、悪意に受け取られないはず。」とか、「悪気はないってこと、分かってもらえるはず。」とか、もっと言ってしまえば当人に嫌がられたり嫌われたりしても、「それでも私には、弱いところもあるけれどそれだけじゃないってことを知ってくれている人たちがいる(から大丈夫!)」というような楽観的な思考も発動しています。もしこれがなかったら、失意のどん底だったでしょう。

いわゆる「コミュニケーション障害」を抱えているとされている、いわゆる「精神障碍者」と言われている方々への支援を考えるとき、どうしても「できない」部分や弱点を何とかしよう、というふうにとらえがちです。でもそうではなくって、弱点ゆえの失敗を、むしろ「安心してできる」くらいの環境、「え、またやっちゃったの?しゃあないわなぁ。でもあんたにはこれがあるんだから、ええやん。」と言ってあげられる関係。そういうものを志向したいな、というふうに思います。

患者さんに言われたことを「ちょっと待ってな、私すぐ忘れるからメモしとくわ。」と慌てて手の甲にメモする私のことをよく知ってくれてか、最近では「覚えてたら今度会った時に教えてあげるわ。」と私が言っても、「初々さんより私のほうが絶対覚えてるわ。」と患者さん。失敗してもいい(忘れてもいい)というわけでは決してないし、失敗しないための工夫(メモしておくとか)も必要だけれども、その上でどうしたってカバーできなくてしてしまう失敗を、悪意として読みこむのではなく許容しあえる。それはきっと、誰にとっても生きやすい社会なのではないだろうか。そんなことを、考えています。
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もうルーのカレーにはもどれない・・・

2014-09-26 11:17:45 | 日記
あぁ、年だなぁ。
と思うことがどんどんと増えている今日このごろですが、ある時から家でルーから作るカレーを「あ、油っこい・・・」と思って食べられなくなってきたということにも、「年」を感じずにはいられません。こう思うのは私だけではないようで、同年代の同僚も「カレーにトマト入れんと食べられへん。」と言っていたので、なんだか安心。でも「カレー」そのものは好きな部類に入るので、カレーが食べられないのは残念で仕方がない。というわけで、「スパイスから作ったらいいじゃん。」と思い至り、「3スパイス&3ステップで作る はじめてのスパイスカレー」(水野仁輔)という本を買って、スパイスカレーなるものにチャレンジ。これがまた、おいしいんですよねぇ。油が減っているのかどうかというのは(客観的な指標もないので)よく分からないんですけれども、スパイスがしっかり効いているっていうのは本当に食べやすい。子どものためにすこーし(辛い成分が主の)スパイスを加減しなくてはいけませんけれども、それでもじゅうぶん。子どもも多少辛くても、ひーひー言いながら「おいしい!」と食べていますし。ルーにはもうもどれません。

この本がいいなと思ったのは、もちろん「3スパイス&3ステップで作る」というところです。もともと手の込んだ料理は作れない質(たち)ですし、スパイスの調合にはまれるような性格でもありません。男の人が休日に、「よーし、カレー作るぞー」と大量にあれこれスパイスを買ってきてこだわりのカレーを作る・・・というような感じにも興味がないので、シンプルな材料で簡単に作れる、ことに越したことはありません。そういう意味でこの本に惹かれたわけですが、でもね、シンプルだけれどもとってもおいしいカレーが作れます。そこに行きつくまでに著者の方の血のにじむような努力があることを思うと、おいしい結果だけ頂けちゃうことに感謝の念がわいてきます。

ルーのカレーがつらくなってきた方、どうぞお試しあれ。

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最近のヒット作

2014-09-24 14:02:33 | 日記
「寝たくないーーー!!!」
と、泣き叫んでロングスリーパーのハハを泣かせていたのは、こ初々さん1歳のとき。でもいまだに、「寝たくない~!だって、つまんないから。」と、毎晩おふとんの中で言ってウダウダしております。睡眠をこよなく愛するワタクシにはまっっったく理解できないこの言動&心境ですが、起きている間どれだけ楽しいんでしょうね。それ自体はハハとしても歓迎すべきことなんですが、夜ちっとも起きていられない身としては「はやく寝ろーー!」と叱りつける・・・どころではなく、こ初々さんより先に寝息をたててしまうなんてことがしょっちゅうです。でも甘えん坊なので、一人では寝られません。おかーさんが力尽きて寝てしまうと、おとーさんを呼びに行って、「10分ごとに様子を見に来てね。」としつこく言います。別に「怖いから」ではありません。こ初々さんは超現実派なので、お化けも暗闇も怖がらない。ただただ甘えん坊の寂しがりで、一人で寝られないっていうだけ。そんなこ初々さんと過ごすお布団の中の1時間ほども、「こんなふうにしていられるのもあと数年。(←数年もあるか!?ただの願望か?)」と思って満喫しているんですけれども、ええ、私はすぐに寝ちゃうことが多いです。

それはさておき。寝る前には、今でも本を読んであげています。「なんだ、こりゃあ。」というヒドイ本・絵本も多々ありますが、最近のヒット作は・・・
「紳士とオバケ氏」たかどのほうこ作・飯野和好絵
子どもにとって面白いかどうかはちょっとわからないんですけれども(こ初々さんは、面白かったね♪と言っていましたが)、大人は思わず「ぎゃはは」と笑ってしまう場面がたくさんあります。とってもまじめなマジノ・マジヒコ氏と、その家に住む(マジヒコさんそっくりの)オバケとの交流を描いた本なんですけれども、(オバケとの出会いと共同生活によって)マジヒコさんが恋でもしているかのように変化していく過程は、うーんとなんていうんですかねぇ、胸キュンしてしまうような感じ。というふうに書くとまるでハートウォーミングな展開のようですが、最後マジヒコ氏とオバケは交代で会社へ出勤するようになり、「ちょっとずつ世間に出る、というのが、ちょうどいいところですねぇ。」と言い合っているオチなんかは、シュールすぎて笑えないというか(現実には大笑いしてしまいましたが)、あまりに風刺的でぞくっとくるものがあります。これでは何を言っているのかさっぱりわかりませんね。ぜひ、ご一読ください。

本を選ぶっていうのも難しいもので、2週間に一度図書館へ行って10冊かりてきますが、「これはいいな」と思える本にはあまり出あえないものですね。そういうこともあって、今は「クレヨンハウス」さんから、月に一度本を届けてもらっています。「紳士とオバケ氏」との出会いも、クレヨンハウスさんを通してのことです。

ところで「紳士とオバケ氏」より以前のヒット作は、「スプーンおばさん」シリーズ。これもだいぶ笑いました。スプーンおばさんと、ご亭主との関係が、なんともいえずほほえましいですよね。そしてスプーンおばさんシリーズにもシュール感が漂っていて、一番好きな話は「おばさんのごていしゅ」。おばさんに内緒でご亭主が子猫を捨てに行ってしまうお話ですが、猫をつめた袋からスプーンおばさんの声が聞こえてくるんですよね。ご亭主は小さくなったスプーンおばさんの声だと思うわけですが、最終的には分からず、「ふくろの中でしゃべってたのはだれだったのかな?」とご亭主は聞きます。するとおばさんは、「あれには、いろんな名前があるのよ。」「むかしは、あれのことを、良心なんていってたわ。」・・・ここで大爆笑。すごい話だなぁ。まだお読みでない方は、ぜひ。

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