Wind of Mind

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プログレッシブ・ロック編:キング・クリムゾンKing Crimson①

2006年10月11日 | 洋楽のルーツ
キング・クリムゾンは今までご紹介してきたプログレバンド、EL&P、Yes、ピンク・フロイド、ムーディ・ブルースのなお上を行く、ある意味カリスマ的な存在のバンドであります。

何といっても衝撃のデビューアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」(写真)(1969)はビートルズのアビー・ロードをチャートの1位から引きずりおろしたという神話を生んだ名盤で、「21世紀の精神異常者」などの音造りは今もなお斬新な感じがするぐらいです。

しかし、このバンドもメンバーチェンジが激しくオリジナルメンバーで全期間在世来ているのはギターのロバート・フリップただ一人。ゆえにプリップ=クリムゾンという感覚が私の中にはあります。

歴代メンバーの中には、のちにELPで成功を収めたグレッグ・レイクをはじめ、イアン・マクドナルド(後にフォリナー)、ジョン・ウエットン(エイジア等)、ビル・ブラッフォード(Yes)、ボズ・バレル(後にバッド・カンパニー)などが在籍。
私的には特にボズ・バレルがちょっとびっくり。
4thアルバム「アイランド」でベースとヴォーカルをとっているのがこのボズ・バレルでした。このアルバムではボズとだけ標記され、か細い感じのヴォーカルでバッド・カンパニーで受ける感じとはちょっと違っていました。
クリムゾンでヴォーカルをとっていた人がベースだけ参加しているバッド・カンパニーってなにもの!?という感じがしましたが、バッド・カンパニーのヴォーカルはあのポール・ロジャースですからね~(苦笑)

アイランド


バッド・カンパニー(右から2番目がボズ・バレル)

ハード・ロック編:ユーライア・ヒープUriah Heep:対自核(LOOK AT YOURSELF)

2006年10月05日 | 洋楽のルーツ
ユーライア・ヒープはブリティッシュ・ハード・ロック・バンドとして1972年ごろまではディープ・パープルとともに人気があったと思います。
何といっても「対自核LOOK AT YOURSELF」(写真)の洪水のような音量に圧倒されました。
またこの邦題はロック史上でもトップに入るのではないかと思います。
昔は邦題もこのような素晴らしいものが多かったような気がします。
その辺は、プロレスラーのニックネームにも共通するものがあると思います。

ジャケットも「対自核」はちょっと凝ったつくりでしたが、そのあとの「悪魔と魔法使い」からなんとロジャー・ディーンが起用されます。

「悪魔と魔法使い」はそのジャケットに負けないくらいの出来で、ハードの中にアコースティックな要素をちりばめた私好みのサウンドでありました。
次作「魔の饗宴」もなかなかにハードでいい出来栄えだったと思います。

ところが、このバンドはメンバーチェンジが激しく私も良くわからない。(苦笑)
オリジナルメンバーのミック・ボックスとデヴィット・バイロンがかろうじてわかるぐらいです。

そしてなんと、あのジョン・ウエットンが在籍していたことをかなり後で知り驚きました。
ジョン・ウエットンはロック界の流れ者といわれるほど色々なバンドを渡り歩くので有名だったのですが、キング・クリムゾン、U.K.、ウィッシュボーン・アッシュ、エイジアとプログレのイメージが強く、まさかユーライア・ヒープに在籍していたとは思いませんでした。

「魔の饗宴」以降はほとんど聴かなくなってしまいましたが、初期においてはブリティッシュ・ハードの人気バンドだったことは間違いないと思います。



グランド・ファンク・レイルロードGrand Funk Railroad (G・F・R)

2006年10月04日 | 洋楽のルーツ
70年前半のアメリカンハードロックといえばこのGFRです。

ギタリストでヴォーカリストのマーク・ファーナーを中心に「ハートブレイカー」で一世を風靡。
といっても、私がリアルタイムで知ったときはすでにグランド・ファンクと改名しており、(この辺は良くわからなかった)アルバム「アメリカンバンド」が結構ヒットしていました。
私もこのタイトルナンバーは好きでした。

その後は「ロコモーション」!なにそれ!?って感じでしたが、ゴールデンハーフのとは違いヘヴィーでした。

しかし、名曲「ハートブレイカー」のような曲は鳴りを潜め、ハードロック野郎(世界の女はご用心)(×写真)なんてマッチョなジャケットで???
私も2枚組みのライヴを買ったもののその後は自然にフェイドアウトしてしまいました。

最近、井上陽水の「傘がない」は「ハートブレイカー」が元になっているというような事を聞き、確かに良く似ていますが本当なのか疑問です。

とはいっても、当時はなかなかの人気バンドで上半身裸で演奏するマーク・ファーナーは由も悪しくもアメリカン・ハード・ロックの代名詞的存在でした。


ハード・ロック編:レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)③王者ZEP解散後の軌跡

2006年09月30日 | 洋楽のルーツ
zep解散後、ペイジは今はクイーンのヴォーカル、ポール・ロジャースとスーパーバンド、ファームを結成。かなり期待しましたが、今一売れませんでした。(苦笑)

さらに、ペイジ・プラント・ベックそしてナイル・ロジャース(シック)でこれまたスーパーバンド、ハニー・ドリッパーズを結成。(写真はファーストアルバム)
ハードロックを期待した私が聴いた曲はなんともあま~いプラントの歌声「シー・オブ・ラブ」でした。
ギタリストばかりで不思議だったのですが、見事な肩透かしでした。(苦笑)
ハニー・ドリッパーズの音楽はロックンロールやリズム・アンド・ブルースのオールディズでした。なるほどこれをやりたくてのバンド名か・・・と思ったりしました。(苦笑)

しかし、遂にペイジはまたハードロック路線に戻ってきました。
今度はなんと元パープル、ホワイトスネイクのデヴィット・カバーディル!
この「カバーディル・ペイジ」はなかなか新鮮な組み合わせでしたが、ちょっと遅かったかなという感じもしました。特にカバーディルのヴォーカルの衰えが目立ちました。
このユニットは1枚のアルバムとこの日本公演のみで解散。実は訳ありで来日公演を見に行っているのです。今にして思えば貴重な体験か。(苦笑)

いずれにしてもレッド・ツェッペリンは自他共に認めるロックの王者だったと思います。
その存在感は他のバンドにはない圧倒的なものでした。
彼らの残した作品をこれからゆっくり聴き返していくのもこれからの私の楽しみのひとつです。

ハード・ロック編:レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)②プレゼンス~熱狂のライヴ

2006年09月29日 | 洋楽のルーツ
名作4枚目がでるまでは「移民の歌」ぐらいは私でも知っていました。
これが、後にプロレスラー、ブルーザー・ブロディーのテーマソングとなり。
ブッチャーの「吹けよ風呼べよ嵐」とともに70年代ロックの底力?を見せつけます。

しかし5枚目の「聖なる館」が出たのが73年、中2の時で、このアルバムは当時あまり評判がよくありませんでした。
リアルタイムで印象に残っているのは75年の「フィジカル・グラフィティ」からです。この頃から私はZEPの初期のアルバムを聴きあさります。

76年の「プレゼンス」(写真)は初期の作風に戻ったなかなかにハードな出来でジャケットはヒプノシス、後期の傑作のひとつといわれています。
同年、映画『永遠の詩(狂熱のライヴ)』公開。これは当時はロックバンドの映像はなかなか観ることができず、特にzepはTVでの演奏も拒否していたので貴重な映像でした。MTVが出来てロックバンドの映像が見れるようになったときは画期的でしたが、段々とありがたみが無くなってきたことも事実です。

しかし77年以降はパットした活動もなく、zepに関しては遂にのめり込むことがありませんでした。タイミング的にアメリカンハードのモントローズやプログレのイエスに傾倒していた時期だったことも影響しているのだと思います。

ZEPはジョン・ボーナム(ドラムス)の死により1980年解散を余儀なくされますが、解散後もやはりただ者ではなく後にファームエイドでエディ・ヴァン・ヘイレンとサミーヘイガーが「ロックンロール」を共演!この夢の共演がサミーがヴァン・ヘイレンに参加する決定打になったと思っています。この映像は私の宝物です。
そして、2002年シェリル・クロウの来日コンサートではなんとアンコールでシェリルが裸足でピアノの上に立ちこの「ロックンロール」を熱唱!
金髪のシェリルがまるでロバート・プラントのように歌い思わず「おお~!!!」と発狂!いや狂喜しました。(苦笑)
他のアーティストに及ぼす影響も計り知れないモンスターバンドなのです。

ハード・ロック編:レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)①天国への階段

2006年09月28日 | 洋楽のルーツ
ロック界の王者、レッド・ツェッペリンの登場です!
私がロックを聴き始めた70年代前半、すでにロックの王者として揺るぎない地位を築いていたのがこのツェッペリン(以下zep)でした。
メンバーはジミー・ペイジ(g)ロバート・プラント(v)ジョン・ポール・ジョーンズ(b,key)ジョン・ボーナム(d)
私の周りのロック野郎どももzepファンは多く、ハードロックの中でも別格という存在でした。
私はディープ・パープルの方に魅力を感じていましたので、それほどでもなかったのですが、パープルが崩壊し始めた74年頃からちょっと聴き始めました。
結果、今となってはCDはほとんど持っております。
その中で、やっぱり4枚目かな~
ブラック・ドッグ、ロックン・ロール、天国への階段この3曲は特に好きでしたね~
天国への階段のイントロはみんなコピーしてました。もちろん私も!
でも、レコードの音とチューニングが微妙に合わなかったような気がします。
やっぱり、アゴギでは無理か(苦笑)

ZEPの音は初期の「グッド・タイムス・バッド・タイムス」「ゴナ・リーブ・ユー」「幻惑されて」「胸いっぱいの愛を」「強き二人の愛」などペイジのギターにしてもプラントの独特の歌いまわしのヴォーカルにしてもなんかカチッと来ない感じがしました。やはりブルースが基調になっているからなのか?でも、これがハマルと病みつきになるのです、多分(苦笑)。
そしてビジュアル的にも文句無しにかっこよかった!やっぱりロックの王者ツェッペリン、貫禄なのです。

ハードロック編:モントローズ⑤反逆のジャンプ

2006年09月26日 | 洋楽のルーツ
4枚目のアルバムタイトルは「反逆のジャンプ(JAMP ON IT)」!(写真)

おお、これはなかなかハードロックバンドっぽいタイトルで期待できそうだ。
勝手に思いこんで発売日を心待ちに。

そして、その日がきました。
ホ○タデパートの「北斗電気」(だったと思う)に意気込んで買いに行ってジャケットを手にして、しばしボーゼン。
結局、高校生の私は買うことができませんでした。何と純な!(苦笑)
ラジオでタイトル曲を聴くもサミー在籍時の感動は得られず。
ついにモントローズは私のリストから消えることになるのでした。

しかし、このジャケット、ヒプノシスだったんです!
もちろんその後中古盤を購入、今は私の手元にあります(苦笑)

ロニーはファンがファーストのようなハードロックを期待しているにもかかわらずどんどん方向性を変えていきます。
そして、モントローズはついに4枚目で解散、ガンマというグループを作りますが、相変わらずヒットには結びつかず、ついにはクロスオーバー的なソロアルバムまで出してしまいます。ジェフ・ベックに似ていると感じたのはこの頃でした。

87年にはメンバーを一新して「モントローズ」を再結成し「ミーン」というアルバムを出します。
この頃私はレコード店でこのアルバムをい発見。まだやってたんだ~と懐かしく思ったものでした。

モントローズは期待すればするほど期待を裏切るバンドで、ある意味、毎回次のアルバムは楽しみでした。
しかし、私は大学時代は合唱に明け暮れたせいかあまりロックは聴きませんでした。
社会人になり、サミー・ヘイガーのソロ活動を知り私はサミー・ヘイガーのレコードを発掘すべくレコード店を駆けめぐることになるのです。

ハードロック編:モントローズ④サミー・ヘイガー脱退

2006年09月25日 | 洋楽のルーツ
ファーストアルバムはすばらしい内容だったにもかかわらず、モントローズの根拠地がハードロックに縁のないウエストコーストだったせいかアメリカではまったく売れませんでした。

2枚目の作成に当たり、ロニーは方向転換せざるを得なくなり、そのためにはブリティッシュハードっぽいサミーのヴォーカルが徐々に構想から外されていったというところでしょうか。確かに2枚目は何か中途半端な曲が多く、サミーのヴォーカルも不完全燃焼気味でありました。

73年のファーストが日本版で出たのは75年ぐらい。この当時としても珍しいタイムラグでモントローズについては情報量も乏しく、サミーが脱退したというのもこの頃知ったぐらいです。まあ、脱退を信じたくないという気持ちもありましたが。

当時はモントローズを見つけたことだけで興奮していたせいか、そんな事情はあまり理解できず3枚目を来して待ちました。
「ワーナーブラザーズ・プレゼンツ」を題された3枚目のアルバムはヴォーカリストがボブ・ジェームス(どっかで聞いた名前だ!?)というちょっと軽めのヴォーカリッストに変わりキーボードも前にもまして全面的に加わるなど中途半端に軽い感じで、ジャケット(写真)もいまいち。。。
しかしこの頃まではラジオでもシングル?「デーモン・クイーン」をかけるなど結構力を入れておりました。サミー・ヘイガー脱退のショックを受けながらも、私は、さらに、しぶとく4枚目に期待を寄せて待ちます。

ハードロック編:モントローズ③バンド帰りは出世する!?

2006年09月23日 | 洋楽のルーツ
この「ハード・ショック」でヴォーカルをとっているのがサミー・ヘイガー(当時の標記はサム・ヘイガー)でした。

やった~見つけたぞー!!!
と思ったのもつかの間、なんとロニーはサミーを2枚目限りで解雇!
理由はロバート・プラント(ツェッペリンのヴォーカリスト)との類似性を嫌った!?
たしかにサミーも金髪のカーリーですが歌いかたは全然違いますし、ヴィジュアル的にはプラント=ペイジの方が1枚上だと思いましたが。。。
また、サミーのステージでのリアクションがロニーは鬱陶しくそれが原因だという説もあるとか。。。

他のメンバーについていえば、ベースのビル・チャーチはサミー脱退後サミーと活動を共に。
ドラムスのデニー・カーマッシーは後に「アローン」のヒットなどで知られるハートで活躍。
この人のドラミングは非常にヘヴィーで好きでした。
74年にはビル脱退後、ベースとキーボードもこなすアラン・フィッツジェラルドが加入しますが、彼は後にナイト・レンジャー結成。
サミー・ヘイガーはソロで活動、全米ではつねにTOP30の常連として人気を博していましたが、1985年、ご存じヴァン・ヘイレンへの参加で一躍メジャーに。

というように、(プロレスの)日本帰りは出世するのジンクスよろしくモントローズにいたロニー以外のメンバーは結構メジャーになっているのも面白いところです。

写真左から、デニー、ビル、ロニー、サミー(サム)

ハードロック編:モントローズ(MONTROSE)②ハード・ショック

2006年09月21日 | 洋楽のルーツ
「ハード・ショック」と言う邦題がついたこのファーストアルバムはリリース前からFM等で特集され、私もそのギターテクニックとイアン・ギランを彷彿させるようなブリティッシュ色の濃いヴォーカルに1発でノックアウト!
ただメンバーが1枚目でやりたかったことはパープルではなくレッド・ツェッペリンだったということですが。。。(苦笑)

このアルバムは後に、渋谷陽一氏が1曲1曲が実によく作られていてシングル向き。ラジオ番組でどの曲をかけるか迷ったほどだ、というコメントを何かの雑誌に書かれていて読んだ覚えがあります。

レコードのライナーノーツでも、ビフテキ風ハードロックが多い中珍しく胃にもたれない生野菜風ハードロックであると書いております。

さらに、日本のハードロックファンは実に正直で、痛快で気持ちのいい音であれば無名のバンドでも探し出して買ってくる。最近ではクイーンが良い例である。いくらマスコミで騒がれても痛快でないものには見抜きもしない、実に頼もしい限りである。2枚目のペイパーマネーが売れたのも1枚目を輸入盤で聴いたファンが買っているらしい。やはりロックの主役はファンなのである。というようなコメントを残しています。

このアルバムは確かに名曲揃いで「ロック・ザ・ネイション」「スペース・ステイション#5」「バッド・モーター・スクーター」この3曲が特に私のお気に入り。
ちょっと何処かで聴いたようなギターフレーズなど気になるところはありますが、それは新人バンドのご愛敬ということにしておきましょう(苦笑)

ハードロック編:モントローズ(MONTROSE)①ペイパー・マネー

2006年09月20日 | 洋楽のルーツ
いよいよ、私的高校時代最後のビッグバンド?
モントローズを紹介します。
サミー・ヘイガーを語る上で絶対にはずせないバンド。
それがモントローズです。私はこの新しいアメリカン・ハード・ロック・バンドにかなりの期待を寄せていました。

中学時代、ディープ・パープルが崩壊したあと、ハードロックバンドといえば御大ツェッペリンを始めユーライア・ヒープそしてアメリカンハードのGFRぐらい。
ですが、いまいち新鮮さがない。

何か新しい活きのいいバンドはいないのか?
そう思っていたところににわかにミュージックシーンを騒がせていたのが「モントローズ」でした。

モントローズはその名のとおりロニー・モントローズが73年に結成したアメリカン・ハード・ロックバンドです。
ロニーはあのエドガー・ウインター・グループのリック・デリンジャーのあとのギタリストで名作「フランケンシュタイン」など当時すでに名うてのギタリストとして注目を浴びていました。彼はモット・ザ・フープルの誘いを断って(ミック・ラルフスの後釜、ということはミックはバッド・カンパニー参加のため脱退か!?)まで自分のバンド「モントローズ」を結成。かなり力を入れていたことがわかります。

日本ではなぜか2枚目の「ペーパー・マネー」の方が先にリリースされ、このLPが予想外に売れたのです。
このヒットによりもっといいという噂の1枚目があとからリリースされました。

2枚目「ペイパーマネー」には「灼熱の大彗星」という大げさなサブタイトルが付いている割にはいまいちインパクトが感じられずファーストアルバムを心待ちにしていたのです。

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プログレッシブ・ロック編:Yes③(「究極」going for the one)

2006年09月10日 | 洋楽のルーツ
77年発表のウェイクマンの復帰した「究極」(going for the one)(写真)は予想どおり(以上に?)メロディアスでポップでハードさも兼ね備えたロックアルバムで大ヒット。

しかし、昔のような幻想的で壮大な音楽を期待していた私にはちょっとポップ過ぎるように感じました。ジャケットも今までの幻想的なロジャー・ディーンからシュールな感じに変わっていましたのである程度予想はしていましたが。。。
でも、それ以上にイエスにウェイクマンが復帰したことは嬉しかったし、やはりイエスにはウェイクマンの存在が不意可決だと誰もが認識した作品であったと思います。

その翌年にはよりコンパクトでポップなアルバム「トーマト」を発表。
しかし、それ以降またイエスは分裂し、しまいにはイエスの顔ボーカルのジョン・アンダーソンまでが脱退。それでもイエスにこだわるクリスとハウは当時「ラジオスターの悲劇」をヒットさせていたバグルスのトレバー・ホーンとジェフ・ダウンズを加入させイエスを継続。
アルバム「ドラマ(80年)」ではイエスとバグルスの合体と酷評されながらも、音楽的にはなかなかのものを残しますが、ジョン・アンダーソン脱退の波紋は大きく遂に解散。

その後、スティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズはジョン・ウエットン(キング・クリムゾン、UK)、カール・パーマー(ELP)とエイジアを結成。
クリス・スクワイアーとアラン・ホワイトは南アフリカの売り出し中のマルチ天才ギタリスト、トレヴァー・ラビンを迎えシネマを結成。後の「ロンリー・ハート」の大ヒットの基礎がここで築かれるのです。

プログレッシブ・ロック編:Yes②(第3期:リック・ウエイクマンの加入)

2006年09月09日 | 洋楽のルーツ
イエスの音楽は第3期(71年)で確立されたと思います。
この時のメンバーは、ボーカルのジョン・アンダーソン、ベースのクリス・スクワイア、ギターのスティーヴ・ハウ、ドラムスのビル・ブラッフォードとテクニシャン揃い、しかし、何といってもキーボードのリック・ウェイクマンの加入が大きなターニングポイントであったと思います。

彼の在籍した時期に発表した「こわれもの(71)」「危機(72)」「海洋地形学の物語(73)」はイエスミュージックが完成された時代でありました。

しかしメンバー交代はこの頃から結構激しく、中1の72年にはドラムスのビル・ブラッフォードはアラン・ホワイトに交代(第4期)
アルバム「リレイヤー(74)」からはウェイクマンからパトリック・モラーツ(第5期)に替わり、ウェイクマン在籍時によりもハードな一面を見せますが、間もなくグループは分裂してしまいます。

つまり、私がイエスにはまりだした高校時代はすでにリック・ウェイクマンは脱退していたのです。

そして、私が聴くようになったもう一つの理由にはリック・ウェイクマンがソロで発表したアルバム「地底探検」と「アーサー王と円卓の騎士達」がなかなかいい感じだった、からなのです。
とくに「地底探検」(写真)は原作が私の好きなSFの名作ということもあり、オーケストラと共演したその壮大な音楽に魅了されてしまいました。

私はウェイクマンが脱退した頃、在籍時のアルバムを聴き始めたということになります。

そんな中で、やはり時代は第3、4期のイエスの音を、ウェイクマンの復帰を熱望していました。
そして、遂に(というか意外にあっさりと)ウェイクマンがイエスに復帰します。

プログレッシブ・ロック編:Yes①Yessongsにはまる

2006年09月08日 | 洋楽のルーツ
さて、ようやくイエスまでたどり着きました~

今となってみると一番好きなプログレバンドはこの「イエス」なんですが、中学生の頃はその良さがまだ判りませんでした。
友達にイエスとムーディ・ブルースの大ファンがおり、色々聴かせてくれたのですが、兎に角長い曲が多い。それだけであまり好きになれませんでした(苦笑)
それと、ボーカルのジョン・アンダーソンの声が綺麗すぎて、楽器の一部という感じがして、その当時ハード・ロックのボーカルに魅力を感じていた私にはちょっと違和感がありましたし、外見的にもいまいち違和感が(苦笑)

さらに、ちょうどリアルタイムで黄金の第3期、第4期から第5期に入り音楽的に変わってきた時期だったことも大きな要因でした。

当初はそんな感じで、聞き流すことが多かったのですが、高校生になってから変化が現れます。
きっかけは友人から安く譲ってもらった「イエスソングス」(写真)だったと思います。

「イエスソングス」とは3枚組みのライヴアルバムでその中の「シベリアン・カートゥル」という曲が特に気に入ってしまいました。
「シベリアンカートゥル」はイエスの外の曲と違い短めの曲で、メロディもノリのいい特徴的な曲でした。一般的には「ラウンドアバウト」の方が名曲とされていますが、私的にはこちらの方が合ったのかもしれません。

第5期のイエス

プログレッシブ・ロック編:ピンク・フロイド(アニマルズ~Wall)

2006年09月06日 | 洋楽のルーツ
彼らのアルバムは非常に個性的な作品が多く「原始心母(70)」「おせっかい(71)」「狂気(73)」は初期の名作と呼ばれておりました。

このバンドは時代の流れに乗って元々あったポップな面も織り交ぜながら、その後も「アニマルズ(77)」(写真)や超大作「ウォール(79)」といった名作を残しますが、1985年ベースのロジャー・ウォーターズがソロになり分裂。
ギターのデビット・ギルモアを中心としてバンド活動を続けます。

ロジャーは「ウォール」の作者でもあり、ソロで8年ぐらい前に東京国際フォーラムでコンサートをやりました。2部構成の4時間ぐらいの長時間のコンサートでしたが、非常に良かった。私は中学・高校とフロイドの音楽にはそれほどのめり込まなかった方ですが、生で聴くとやはり良いです。

それにしても、前述した「吹けよ風・呼べよ嵐」はブッチャーにぴったりの曲で、マスカラスの「スカイ・ハイ」とともにプロレスの入場曲の走りともいえる曲ですが、最初にこの曲を聴いたときはピンク・フロイドの曲という驚きと選曲者のセンスに思わずニンマリとしてしまいました。

最近、オリジナルメンバーのシド・バレットが亡くなり、彼を追悼してピンク・フロイド再結成の噂があるそうですが、是非実現して欲しいところです。

「原子心母」