医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

人を動かすのは本当に情熱でよいのか

2010-12-29 21:58:24 | 日記
 人を動かし幸せにする人は品行方正で賢いやつではない、たとえ人間味にあふれすぎていても何かをよくしたいという情熱がある人だ。ただし熱過ぎてはいけない。

 正論をテレビでとうとうと述べる政治家やコメンテーターはそれだけでは結局人を社会を動かすことはできないですよね。理解するだけでは人は動かないのだから。たとえやろうとしていることが自分の思っているよい方向へ進まないものだったとしても、そして逆に悪い結果を及ぼすことになったとしても、よくなると信じて情熱を持って伝え動いてゆくほうがはるかに周りを幸せにするのだろうと。何せ自分のやろうとしていることが本当に良い方向へ向かうのか、などということはやってみなければわからないのだから。おそらくは田中角栄も野中広務も鈴木宗男もそういう政治家だったんだろうと思うのです。ただこの人たちに共通するのは熱過ぎたのだと思うのです。

 熱い風呂が本当に好きな人は限られていますから。入りたての身体が冷えている間は熱い風呂も気持ちいものですけど、だんだんのぼせてきてしんどくなるでしょう。だんだん煙たく感じる人も出てきて、敵も作ってしまうのだと思うのです。私も昔は熱い人に憧れていましたが、それにずっとついてこれる人は本当に限られているものです。このブログでは(特に初期のころには)人を動かすのは情熱だと、ずっと書いてきました。しかしどうもそれだけではいけないようです。もう少し熱過ぎず寒くない、丁度ころあいの良い暖かさを伴った感情。その暖かさで人が集まってくるような。イソップ童話で「北風と太陽」というのがありますよね、旅人のマントをはがすのに北風は強い風で失敗し、太陽は強く照らすことで熱くして脱がすことに成功した。どちらも無理やり脱がしてるんですよ、結局。この話には前座があって、旅人の帽子を脱がす勝負をその前にしているんです。太陽は強く照らして熱さで脱がそうとしたところ日照りが強すぎてかぶったままだった。北風は突風で一気に帽子を吹き飛ばした。勝負は1勝1敗だったんですね。結局強い力はうまくいかないこともあるということです。本当に勝つには春の陽気な天気で旅人に「この天気で帽子やマントいるか?」と思わせるようなのが一番よいのでしょうね。

 そもそも「情熱」という言葉自体が北村透谷によるpassionの訳だそうです。明治に入るまでこの言葉は日本になかったのですね。passion自体とても強い感情が込められています。そもそもがキリストの受難を意味する言葉ですから、相当強い感情ですね。恋愛感情をこのpassionに込める西洋の感覚、相当に苦しく激しい感情がうかがえます。ということで今日よりひとを動かすのは「情熱」ではなく別の言葉を選ばねばならなくなってしまいました。言葉探しの旅に出てゆくわけですが、それまでは「ただし熱過ぎてはいけない」と注釈つきで保留とさせていただきます。

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