ただのサッカーブログ

世間知らずの人間が書くサッカーを中心とした個人ブログ。2020年からはサッカー以外の事も少しずつ。

ラモス瑠偉が連れてきた障がい者の子ども、「サッカーでは当然」…北沢豪が描く「障がい者サッカー」の未来

2024-05-25 | Weblog

https://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/20240520-OYT1T50154/

ラモス瑠偉が連れてきた障がい者の子ども、「サッカーでは当然」…北沢豪が描く「障がい者サッカー」の未来
2024/05/21 10:00

 サッカー元日本代表で日本障がい者サッカー連盟会長の北沢豪さんが

読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演し、

今年8月に開幕するパリ・パラリンピックと来年11月に開幕する東京デフリンピックについて語った。

2万人の観客はほとんど外国人


 北沢さんが日本障がい者サッカー連盟の初代会長に就任したのは2016年。

障がい者サッカーの代表チームに初めて関わったのは、

2002年日韓ワールドカップ(W杯)の年に開催された

知的障がい者サッカーの国際大会「もうひとつのW杯」だった。

 大会に向けて日本代表が編成されたタイミングで、当時現役だった

北沢さんはテクニカルアドバイザーに就任。代表選手としての

マインドを選手に伝える役割を担ったという。

 決勝はイングランド対オランダ。選手たちがフル代表と同じ

デザインのユニホームを着ていたのが印象に残ったという。

「日本代表のユニホームは(フル代表と)違った。だけど

イングランドとオランダはフル代表と同じユニホームを着ていた。

ということは、同じサッカー協会に加盟してるんだなと思った」

 試合会場の横浜国際総合競技場には2万人を超える観客が詰めかけた。

「めちゃくちゃうまいんですよ」。試合はイングランドが2―1で勝利し、

初優勝を飾った。「(観客は)外国の人たちがほとんどで、

日本の人たちはそこまで関心があるものではなかった。

まだ日本ではスポーツは限られた人のもので、

全ての人のものになっていないというのをその時に思った」

きっかけはラモス
 障がい者サッカーは七つのカテゴリーに分けられる。

足や腕に切断障がいがある人の「アンプティサッカー」、

脳の損傷による運動障がいがある人の「CPサッカー」、

精神障がいがある人の「ソーシャルフットボール」、

知的障がいがある人の「知的障がい者サッカー」、

自立歩行が困難な重度の障がいがある人の「電動車椅子サッカー」、

視覚障がいのある人の「ブラインドサッカー」、

聴覚障がいのある人の「デフサッカー」。

 サッカーを通じて障がい者と交流するきかっけは中学生の頃。

「(当時所属していた)読売サッカークラブのラモス(瑠偉)が

障がい者の子どもたちを連れてきて普通にサッカーするの。

耳が聞こえない子とか、目が見えない子とか。だから中学の時に

『それがサッカーでは当たり前なんだ』という見方をしていた。

だから2002年の時もそういった世界をつくるのは当たり前だと思っていた」

釜本さんの姉が支えた「ブラインドサッカー」
 ブラインドサッカーとの出会いは、メキシコ五輪・

男子サッカー銅メダリストのストライカー・釜本邦茂さん。


 「釜本さんから『目が見えない人たちのサッカーを立ち上げたい』と言われた。

チームがいくつかできるとリーグ戦ができて日本代表が編成できるから

協力してほしいと言われて。それがブラインドサッカーとの出会い」

 都内のグラウンドに視覚障がい者を集めて体験会をしながらチームに勧誘した。

運営を取り仕切っていたのは釜本さんの実姉で、日本ブラインドサッカー協会

(当時・日本視覚障害者サッカー協会)初代理事長に就任することになる釜本美佐子さん。

「(美佐子さんは)将来的に目が見えなくなる病気で、

『目の見えない人たちの支援をしていきたい』」と協力を求められたという。

 日本のブラインドサッカーはこのような草の根活動から生まれた。

2003年3月、東京都多摩市で初の全国大会

「第1回日本視覚障がい者サッカー選手権」が開催され、4チームが参加した。

サッカー入り口に社会を変えたい
 北沢さんが障がい者サッカーに関わり始めた頃、障がい者が

スポーツに親しむ文化はまだ浸透していなかった。「どちらかというと

『できないだろう』と思われていたから。フィールドを用意することで、

どんどん『できるだろう』に変わってきている。

そのきっかけが東京パラリンピックだったのではないか」

 日本障がい者サッカー連盟の会長として7カテゴリーの団体を統括する。


 「まずは知ってもらうこと。認知してもらうことで、

理解につなげていくことです。あと、日本サッカー協会が持つ

サッカーの資産を生かしていきたい。ピッチを用意しないと

サッカーができないから、ピッチを提供したり、レフェリーにも

大会に参加してもらったりしています。(各カテゴリーの)団体は

規模が小さいので、各団体が一緒になってやることで知ってもらえる機会は増えるのではないか」

 今後は異なるカテゴリーの障がい者サッカーが

同じ会場で開催される機会が増えるかもしれない。さらに、

「耳が聞こえない人たちと目が見えない人たちと一緒に試合をしてみるとか。

ちょっと難しいトライだけど、やってみたら結構できるんですよね」。

 ブラインドサッカーのボールには金属が入っていて音でボールの位置が分かる。

デフサッカーではレフェリーの笛が聞こえないから旗を使ってジャッジをする。

障がい者サッカーはカテゴリーでルールが異なるが、「ルールさえ

変えれば誰でもできる。ルールを変えるとみんなが楽しめるものになる。

サッカーはそうしてる。だから社会もルールさえ変えれば、

みんな同じように生活していける。サッカーを入り口に社会を

変えていきたいというのが、一つの目的でもありますね」

 

 

 

5月24日(金)
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