ただのサッカーブログ

世間知らずの人間が書くサッカーを中心とした個人ブログ。2020年からはサッカー以外の事も少しずつ。

fc大阪

2022-08-15 | Weblog

2020.09.10、09.11
「東大阪を日本のイングランドに」という壮大な夢 FC大阪が花園の指定管理者になった理由

今週は久々に、JFLのクラブにフォーカスすることにしたい。コロナ禍の影響により、今季のJFLは7月18日(第16節)から後半戦のみの開催となった。第19節(4試合)を終えての順位は、1位がHonda FC(勝ち点10)、2位FC大阪、3位ヴェルスパ大分、4位松江シティFC(いずれも勝ち点9)となっている。昇格圏内の上位4チームのうち、Jリーグ百年構想クラブの承認を得ているのはFC大坂のみ。今月末、J3クラブライセンス交付が認められれば、FC大阪はJ3昇格に向けて一気にはずみがつくことだろう。

「大阪第3のJクラブ」を目指すFC大阪が、J3ライセンスの申請を行ったのは6月30日。実はその11日前の6月19日、重要な決定が下されていた。ホームタウンの東大阪市が、花園ラグビー場を含む花園中央公園エリアの指定管理者を「東大阪花園活性化マネジメント共同体」に定める議案を、市議会本会議で可決したのである。同共同体を構成するのは、株式会社東大阪スタジアム(今年8月よりHOS株式会社)、天正株式会社、そしてFC大阪の3社。今年10月から運営が始まり、期間は2040年まで20年間に及ぶ。

 花園といえば、言うまでも日本ラグビーの聖地であり、昨年のラグビーワールドカップの会場のひとつにも選ばれた。公益財団法人日本ラグビーフットボール協会は、株式会社ヒト・コミュニケーションズとともに「ワンチーム花園」として指定管理者に名乗りを挙げたものの、あえなく次点。一方、指定管理者となったFC大阪は、花園第2グラウンドの改修整備の協定を市と結んでおり、5000人収容の試合会場とすることが決定している。早ければ来年にも、花園でJリーグの試合が定期的に開催されることとなるのだ。

 この件に関しての報道は、どうしても「ラグビーvsサッカー」という構図で語られることが多い。だが、それほど単純な話でもなさそうだ。FC大阪の疋田晴巳代表取締役社長は、ことあるごとに「花園がラグビーの聖地であることは歴史的事実」「ラグビーとサッカーが共存しながら、それぞれ底辺が拡大していけばいい」と発言している。FC大阪が東大阪市をホームタウンに定めてから2年。クラブは今、どのようなビジョンを花園に描いているのだろうか。疋田社長に話を聞いた。(取材日:2020年7月9日@大阪)

■「ラグビーもサッカーも、もともと同じフットボール」
──今日はよろしくお願いします。さっそくですが、今回のJ3ライセンス申請がFC大阪にとって、どのような意義があったのかをお話いただけますでしょうか。

疋田 ようやくここまで来たか、という想いですね。と同時に、ここがさらなるスタートでもありますので、もっともっと地域から認められる活動に厚みを持たせないといけない。クラブとして、より重い責任を担うことになったと思っています。

──おりしも、このコロナ禍での申請ということで、その意味でも感慨深かったのでは?

疋田 そうですね。百年構想クラブの承認を受けて、この勢いに乗っかろうと思っていた時にコロナの向かい風に見舞われました。われわれも試合が半分になってしまいましたが、社会全体がコロナの影響を受けている中、われわれのクラブに何ができるのか。われわれが社会に還元できる価値とは何なのか。あらためて考える機会にはなりましたね。

──のちほど、花園ラグビー場について詳しく聞きたいと思いますが、FC大阪は2018年から東大阪市をホームタウンにしています。私自身は、去年のラグビーワールドカップの取材で初めて訪れたんですけど、セレッソの大阪市ともガンバの吹田市とも明らかに異なる雰囲気を感じました。東大阪市の独自性というものを、東京から来た私にもわかりやすく説明していただけるとありがたいのですが(笑)。

疋田 東大阪市というのは今から50年以上前(1967年)、布施市、河内市、枚岡市が合併して生まれたんですね。このうち旧河内市というのが東大阪の中心でして、いろいろな面で大阪の色が濃い土地であります。また東大阪は「ものづくりの街」としても有名で、ここにはおよそ6000もの事業所があるんですね。これは大阪府でも突出した数で、中には人工衛星の打ち上げに関わっているようなベンチャー企業もあるんです。

──それはすごいですね。一方で地域の課題を挙げるとしたら?

疋田 中小企業が多いということで、どこも後継者問題を抱えているというのが、まずありますね。それと市全体での課題としては、観光の目玉がないこと。もちろん「ラグビーの街」というのはありますけれど、どうやってスポーツツーリズムを盛り上げていけるのかというのは、行政の中でも課題としてずっとあったようです。

──そんな中、FC大阪はどのようにして、東大阪をホームタウンにするクラブとして、受け入れられるようになったんでしょうか?

疋田 もともとガンバさんが北摂、セレッソさんが大阪市ということで、われわれが最初にアプローチしたのは政令指定都市の堺市だったんです。まだセレッソさんのホームタウンになる以前、10年くらい前の話ですね。いちおう打診はさせていただいたんですけど、当時はわれわれも関西リーグのちっぽけなクラブでしたから、本気で受け止められることもなく、そうこうしているうちにセレッソさんに決まってしまったと。

──そこで方針転換して、東大阪にアプローチするようになったと。いつからですか?

疋田 これが8年前ですね。東大阪市は、ガンバやセレッソの影響は少ないですし、大阪におけるプロスポーツの空白地帯だったんです。しかも、堺市に次ぐ人口(約50万人)を持っています。何のつてもないまま、地道に通っているうちに市役所の方とつながりまして。

──東大阪が「ラグビーの街」という認識は、当然お持ちだったわけですよね?


疋田 もちろんです。でも、ラグビーもサッカーも、もともと同じフットボールだったわけじゃないですか。しかもイングランドに行けば、サッカーとラグビーのグラウンド、両方を持っている街も多いと聞きます。もともとラグビーが盛んな街に、われわれがサッカーを持ち込んだとしたら、東大阪市は日本のイングランドになれるんじゃないかと(笑)。新しい競技団体が加わることで、雇用が生まれて経済も回っていくかもしれない。そういう主張をしていたら、2018年にホームタウンに認められることになりました。

「競技ありき」ではなく「どう活性化させていくか」
──現在、クラブのオフィスは大阪市と東大阪市にあります。本日伺ったのは大阪市のオフィスですが、いずれはベースを東大阪に移すのでしょうか?

疋田 できれば今年中にそうしたいと思っています。ただ、今の東大阪のオフィスは若干手狭で、そこは何とかしないとあかんのですけど。ライセンスのこともありますし、そこは最初から計画に入っています。

──なるほど。そして、いよいよ本題の花園の指定管理について伺いたいのですが、FC大阪が獲得したというのはサッカー界にとってもラグビー界にとっても、なかなか衝撃的なニュースでした。どのような経緯だったのか教えていただけますでしょうか?

疋田 花園というのは、もちろんラグビー場が中心なんですけど、(隣接する)花園中央公園も市の中心にあってアクセスしやすいんですね。ここに良いコンテンツを提供することで、何か貢献できないということで、東大阪スタジアムさんと以前からお話をさせていただいていたんですよ。

──東大阪スタジアムというのは、それまで花園の指定管理をしていた会社ですね?

疋田 そうです。ラグビー場の他にも、フットサル場やゴルフ練習場といった、さまざまなスポーツ施設の指定管理をやっておられるところで「じゃあ、一緒にチャレンジしましょうか」という話になりました。

──ラグビー側から「FC大阪に袖にされた」みたいな報道もありましたけど(笑)。

疋田 ありましたねえ(苦笑)。決してそういうわけではなくて、単純に考え方の違いだったと捉えています。われわれは、もちろん花園でサッカーの試合を開催することを目指していますが、決して「競技ありき」というわけではない。むしろ花園中央公園を「どう活性化させていくか」という、そちらのほうがメインだったんですね。

──つまり「サッカーだ、ラグビーだ」という話ではなくて、スポーツを使ってどう地域を活性化させるかという話ですよね?

疋田 そうですね。(ラグビー)協会側との間で、考え方の相違というのはあったと思うんです。ですので「それでは、われわれは独自で頑張ってみます」ということになりまして、行政の方々に(指定管理者に)選んでいただいたと。

──なるほど。決め手となったのは何だったと思います?

疋田 これは推測ですが、行政の側も今後の活性化について問題意識をお持ちだったと思うんです。もちろん花園が「ラグビーの聖地」であることは、揺るぎない歴史的事実だし、そこにはものすごい価値があることは私どもも認識しています。そのことと、公園全体の活性化を考えていくこととは、何ら矛盾するものではないということですよね。そこの思いは、われわれのほうが行政に近かったのかもしれません。

──ちなみにFC大阪は、これまで花園で試合をしたことは?

疋田 一度だけ、去年の5月18日に、花園第3グラウンドで開催させていただきました。相手はヴェルスパ大分さんで、残念ながら0−1で負けてしまったんですけど、それでも2685人のお客様に来ていただきました。

──ヴェルスパ戦でその人数というのは、大健闘だと思いますよ!

疋田 そうでしょうね。しかもラグビーの街でありながら、Jリーグではないサッカーの試合でも、これだけのお客様が来ていただけたことに自信が持てました。それと以前であれば、セレッソのピンクのユニを着た人をちらほら見かけたんですが(苦笑)、その日はウチのライトブルー一色だったんですよ。ですから東大阪をホームタウンとしたことに、一定以上の手応えが感じられたのが、5月18日にあの試合だったんですね。

■花園第2の改修で「高校生ラガーにもよりよい環境を」
──結局のところ、東大阪市がラグビー協会ではなくFC大阪を選んだ理由のひとつは、疋田さんが8年かけて行政との関係性を築き上げたことも大きかったんじゃないでしょうか?

疋田 それもあるかもしれません。ただし、行政に常々申し上げてきたのは「われわれもラグビーの街を大切にしていきます」ということ。われわれのことをアピールするのではなく、サッカーとラグビーが一緒になったほうが、より広がっていくのではないか、ということなんですよね。「サッカーさえ良ければいい」という話ではない。サッカーとラグビーの共存共栄で、どちらも底辺が広がってファンが広がればいいという考え方です。

──なるほど、説得力があるアピールですね。そういえば神戸とか豊田とか磐田とか、Jリーグとトップリーグのホームタウンが重なっている自治体はありますけれど、共存共栄しているイメージってあまりないですよね。

疋田 プロ化の話もありますけれど、ラグビーはまだまだ企業スポーツですからね。サッカーもかつてはそうでしたが、Jリーグができてからはただプロ化するだけでなく、地域密着に軸足を置いて今に至っています。ラグビーも地域スポーツになっていけば、より底辺が広がっていって普及していくと思うんですよ。それを、われわれと一緒にやっていくことで、実現してほしいと思っています。

──花園といえば、トップチャレンジリーグの近鉄ライナーズが本拠としているわけですが、何かしらのコミュニケーションは取っているのでしょうか?

疋田 ライナーズさんとは、われわれと一緒にイベントもやらせていただきましたし、私自身もゼネラルマネージャーの方と親しくさせていただいていますね。ライナーズさんからも「一緒に盛り上げられたらいい」ということはおっしゃってくださっています。サッカーとラグビーの違いはあっても、地元に愛されていくために一緒に盛り上げていくというのは、お互いにとってメリットしかないと思いますし。

──本当にそう思います。それで来年、FC大阪が昇格したら、花園の第2グラウンドを改修してJ3の試合が行われるということでしょうか?

疋田 そうですね。現時点でのキャパシティは1372人しかないのですが、これを5000人にまで引き上げます。もちろんJ3基準ということもありますけれど、高校ラグビーの大会でも1372人はあまりにも少ないですからね。あと、第2には更衣室やシャワー室もなくて、第1と兼用になっているんです。それとプレスルームもない。そういったものを、この改修のタイミングで揃えていこうと思います。

──着工はいつからですか?

疋田 本当はこの夏から秋にかけて、着工したかったんですけど、コロナで止まってしまいまして。まあ、どこもそんな話ばかりなんですけど。われわれも今はプランを練り直しているところでして、状況が許せばなるべく早く工事を開始したいですね。

──FC大阪さんは、現在メインで使っている服部緑地陸上競技場の芝生の張替えも行っていましたよね?

疋田 そうなんです。かれこれ50年くらい、放ったらかしの状況だったので、芝生だか土だかわからない状況だったんですね。私も豊中市出身なので、あの周辺の状況は昔から知っているのですが、そこにきちんと芝生を敷き詰めて試合をさせていただくと。あそこはもともと府営のグラウンドなので、われわれが使用させていただくだけでなく、地域の皆さんにも喜んでいただければというのはありましたね。

──それと同じことを、東大阪でも実現させようということですね?

疋田 おっしゃる通りです。われわれが第2グラウンドを改修することで、ラグビーの環境も間違いなく良くなります。去年のワールドカップで第1は立派なものになりましたけれど、第2と第3は老朽化していく一方でした。そこもわれわれが入ることで、高校生ラガーにとっても、より良い環境を提供させていただければいいかなと思っています。



前身は大阪府5部の『ナイスサッカーチーム』?
──ここからFC大阪の成り立ちについて、立ち上げ当初から関わってこられた疋田さんにお話を伺いたいと思います。「大阪3番目のJリーグ入りを目指すクラブ」ということで、何だかぽっと出のようなイメージもありますけど、実はFC大阪の設立は1996年。セレッソがJリーグに参入した翌年に誕生しているんですよね。

疋田 そうなんですよ(苦笑)。といっても、もともとは純然たる草サッカーチームでして、今はない大手人材派遣会社の社員がレクレーションで始めたのがスタートです。それが私の前職でして、今は買収されてバラバラになってしまったんですけど。

──ちなみに、当初からFC大阪という名前ではなかったと。

疋田 最初は『ナイスサッカーチーム』という名前でした(笑)。大阪府5部で登録しまして、私みたいな素人でも試合に出ていました。社員だけでなく「周りにサッカー経験者がいたら連れて来い!」みたいな感じで、舞洲の土のグラウンドを抽選で確保して週末に試合をするという感じだったんです。

──そういう牧歌の時代を経て、府リーグ1部、さらには関西2部から1部と上がっていくわけですが、どこから「さらに上」を目指すようになったんでしょうか?

疋田 府リーグ2部だった2006年からですかね。前職の会社が買収されて、私が立ち上げたアールダッシュという会社がチームを引き継ぐことになったんです。その頃から、サッカー経験者を積極的に採用していたんですよ。当時のメインの仕事は広告やプロモーションで、楽天資本になる前のヴィッセル神戸さんのお仕事もしていて、その関連でJリーグキャリアサポートの方とも知り合ったんですね。そこで「若くして引退した選手の受け皿を探している」という話を伺ったんですよ。

──なるほど、今の副社長の近藤(祐輔)さんも、その流れですか?

疋田 そうです。それまでザスパ草津でGKをやっていて、バンディオンセ(加古川)を経て09年にウチに来てくれたんですよね。07年に監督だった小川雅己さんもそう。

──小川さんは、ツエーゲン金沢の初代監督だった方ですよね。

疋田 そうです。その後は女子サッカーの指導を続けて、去年はスペランツァ大阪高槻レディースの監督をされていましたね。

──そうですか。そして府1部に昇格した08年からは、なんとアトランタ五輪メンバーだった森岡茂さんが監督に就任! これには私も驚きました(笑)。

疋田 森岡さんもJリーグからご紹介いただいたんですよね(笑)。私も最初は「え、あの森岡さんですか?!」って驚きました。でもアトランタ戦士を監督に迎えられれば、間違いなくクラブに箔が付きますし(笑)、森岡さんの指導を受けられるということになれば選手も喜ぶだろうと。そこからですね、私も「こうなったら行けるところまで上に行こう」と考えるようになったのは。さすがにJリーグというのは、まだまだ雲の上の存在でしたが。

──森岡さんにお給料払うのって、けっこう大変だったんじゃないんですか?


疋田 JFLと比べれば、府リーグや関西リーグは、そんなにお金はかからなかったですからね。それに本業の利益は上がっていましたし、森岡さんが来ることで営業面にもプラスになりましたから。現場のほうにも効果があって、地元の大学とのつながりもできて、有望な卒業生が入団してくれるようになりましたね。

──ところで、FC大阪を名乗るようになったのは2007年からだそうですが、それまでずっとナイスサッカーチームだったんでしょうか?

疋田 その前に『1.FC大阪』の時代があったんです。実は大阪2部の時に「FC大阪にしたいんですけど」と大阪府の協会にお伺いを立てたんですが「府の2部で大阪を代表する名前はおこがましいわ!」と言われまして(苦笑)。だったら1.FCケルンみたいに「1.FC大阪ではどうでしょう?」と言ったら「それならええやろ」と。それで1部に上がった時に、ようやくお許しが出て「1」がとれました。

奈良クラブとの切磋琢磨があったから今がある
──府リーグ1部時代は、09年から11年まで3年連続優勝していますが、府県リーグの壁は高く、関西2部に到達したのは12年。でも、ここからは勢いがありましたよね。1年で関西1部に昇格し、さらに2年で地域決勝を突破したわけですから。

疋田 これはやはり、奈良クラブさんの存在が大きかったと思います。13年はウチが優勝しましたが、14年は奈良さんが優勝。関西2位に回ったウチは「なにくそ!」という思いで全社枠を獲得して。そうしたら地域決勝の決勝ラウンド初戦で、再び一緒に戦うことになりまして(苦笑)。ここではPK負けでしたけど、最終的に一緒にJFL昇格できたのは、本当によかったと思っています。

──決勝ラウンドの初戦のことは、私もよく覚えています。試合前にJリーグの村井チェアマンが視察に訪れていて、奈良の岡山一成と握手していたじゃないですか。でもFC大阪には一顧だにせずそのまま帰って行ったというのが衝撃的で(苦笑)。覚えています?

疋田 覚えています。まあ、そこまでの存在じゃなかったんですね(笑)。奈良さんはライバルであると同時に、われわれのお手本でもありましたから。私らよりも先にJリーグを目指すという目標を打ち出されていて、運営面でもいろいろ参考にさせていただきました。例の水増し問題は残念でしたけれど、JFLとなった今でも奈良さんはわれわれにとって大切な存在です。ですから今度も一緒に、J3に上がりたいと思っていますね。

──個人的に関西リーグというのは、他の地域リーグの中でもコンペティティブなリーグだと思っていまして、奈良クラブとFC大阪が抜けて以降もレベルが極端に落ちることはありませんでした。逆に今も「上を目指すクラブ」がひしめているわけですが、不思議なことに関西からなかなかJクラブが出てこないんですよね。1997年に昇格したヴィッセル神戸が最後ですが、前身の川崎製鉄水島サッカー部は中国リーグ所属でしたから、そうなるとセレッソにまで遡らないといけない。

疋田 私はバンディオンセ(現Cento Cuore HARIMA)さんが行くと思ったんですけどね。それこそ、ウチで監督をやっていただいた森岡さんが現役時代、あと一歩のところで地域決勝を抜けられたんですけどね。

──ファジアーノ岡山が優勝した07年大会ですね? よく覚えています。

疋田 あの大会を勝ち抜いて、さらにHonda FCという門番がいるJFLを突破するというのは、並大抵のことではありません。それを5年で達成したFC今治さんは、やっぱりすごいと思いますね。もちろん、岡田武史さんの力量というのはあるでしょうし、私も経営者として足元にも及ばないのが非常に悔しいんですけど(苦笑)。

──その今治も、JFL時代はFC大阪を苦手としていました。そもそもJFLに昇格して以降、ずっと1桁順位というのは素晴らしい結果だと思います。2年前は2位まで上り詰めましたし、その前も4位でした。ライセンスさえ獲得できれば、J3昇格はかなり現実味を帯びてくると思うのですが、クラブとして意識するようになったのはいつからですか?

疋田 やっぱりJFLに昇格してからですね。あと1つでJリーグなわけですから。それまでもコツコツとカテゴリーを上げてきて、そのたびにファンの数も地域に還元できることも増えていきました。これがJ3だったら、さらにJ2だったら、もっといろんなことができるんじゃないか。そう考えるようになりましたね。サッカーというのは人と人をつなぎますし、さらには地域や経済、もっと言えば国と国とをつなぐスポーツだと思います。

 われわれは海外のクラブとも提携していますので、海外進出を考えている地元企業さんをマッチングできるかもしれない。あるいはラグビーとサッカー、さらにはパラスポーツをつなげることだってできるかもしれない。ただ単に「Jリーグに行きたい」のではなく、そこに到達することで、さまざまな可能性が広がる。そこにわれわれは、大きな魅力を感じているからこそ、Jを目指そうと思ったわけなんですね。

グレミオとの提携でクラブカラーが赤から水色へ
──今、海外の提携クラブのお話がありました。具体的にはブラジルのグレミオ、ポルトガルのマリティモ、そしてトルコのアンタルヤスポル。グレミオといえば、トヨタカップでも来日した名門クラブですが、どこからつながったんでしょうか?

疋田 やっぱりサッカーが取り持つ縁ですよね。たまたまポルト・アレグレ出身のブラジル人と知り合うことになって、その方から「提携する意思があるならグレミオを紹介するよ」って言われたんですね。「あのグレミオ?」って、思わず聞き返しましたよ。草野球チームがヤンキースと提携するような話ですから(笑)。

──その話を信じたんですか?

疋田 まあ、サッカーに関わる以上は、ブラジルには一度は行っておきたかったですし、ウチの会長の吉澤(正登)はブラジルでサッカーをやっていたんですね。ポルトガル語も話せるということで、一緒に行ったんです。でも、なかなかアポイントが取れなくて。やっぱり無理かなと思っていた3日目になって、いきなり「今から来てくれるか」と連絡があって。そこからトントン拍子に話が進んで。

──すみません、それっていつの話ですか?

疋田 関西1部だった2013年ですね。これは余談ですけど、この年までクラブカラーは赤だったんですね、強そうだからという理由で(笑)。でも、グレミオは水色ですし、大阪は「水の都」ですから、それで14年から今の色になりました。

──そんな経緯があったとは知りませんでした。私が初めてFC大阪の試合を見たのが14年の全社でしたから、まさにその年から水色になったと。そういえば、あの頃は声出しのサポーターは2人くらいしかいなかったんですが、今はどれくらいですか?

疋田 服部緑地で試合をしたら、いつもコアなファンの方は7~800人くらいは来ていただいていますので、サポーターの数も間違いなく増えていると思います。ただ、これまでは試合会場が転々と変わっていたのがハンディとなって、なかなかサポーターが増えなかったという課題はありました(編集部註:昨年の平均観客数は1098人)。今後は花園での試合を増やす方向で考えていて、今季は7試合の予定だったんですが、コロナでリーグ戦が半分になってしまいましたからね。結局、3試合にまで減って、そのうち2試合はリモートになってしまうと思います。

──仕方ないとはいえ、ちょっと残念ですね。花園第2に関しては、改修しながら試合を行うということになりますか?

疋田 そうなりますね。先ほども申し上げましたように、コロナ禍で工事の開始が遅れてしまいましたので、来季は改修しながら全試合を花園第2で開催したいと思っています。その間、お客様にもご迷惑をおかけすることになりますが、今回決定した指定管理の契約は20年間です。ですので、目先のことにとらわれずに、じっくりとFC大阪とサッカー文化を東大阪に根付かせていきたいと思っています。

──これまで花園といえばラグビーだったわけですが、20年後には「ラグビーもサッカーもある街」になっているかもしれないわけですね。先ほどおっしゃったように、東大阪がイングランドのようになったら、本当に素晴らしいことだと思います。

疋田 花園を中心に、東大阪にスポーツ文化が広がっていって、そこからさらにスポーツツーリズムが発展していくことを目指したいと思います。そしてサッカーでは、ガンバさんとセレッソさんの一角に、何とか割って入っていきたい。今の大阪ダービーは、4万人近いお客さんが入っているじゃないですか。将来的には、それくらいのお客さんで花園のスタンドが埋まるのが私の夢です。

──20年もあれば、十分に可能なんじゃないですか?

疋田 私が今年還暦で、20年後は80ですからね(苦笑)。何とか自分が生きているうちに、夢が実現できるよう頑張っていきたいと思います。

<この稿、了>

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