父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年3月30日

2005-03-30 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
30日 (月) 晴れ 暑し

七時起床。山間の朝は涼しい。砲兵司令部に
連絡将校として来てゐても大した用事、連絡事項
なし。司令部事務室の傍へ通信所設置を命ぜら
れ、各隊連絡掛将校○所などを作って連絡者
は昼間は此方に待機してゐて下さいと言ふ。
午后は林軍曹を其処において僕は幕舎の方で
昼寝。昼間は殆ど用事なし。
16:00に会報、各隊指揮班長集合。西島少佐より
情報に関し説明がある。その后指揮班長のみ閣下
から何か説明されてゐた。うちは青木大尉が山から下りて
来る。六時頃帰った。
夕方入浴する。前にR本がゐた所の風呂が残して
あるのでそれを沸かして入る。砲兵司令部では閣
下もまだ入浴の設備がないらしいが僕の方は入浴
する。8saの連絡掛将校、斎藤中尉等も入る。
53期と言ふがおとなしい将校だ。
夜22:00命令がある。愈々攻撃実行に関する
命令だ。名31日から西海岸の16D方面では火力に
よる陽動を行ひ、4月3日から此方の重点方面が
攻撃開始。第一線陣地の攻略には六日
サマット南麓に到着してより第二線陣地攻撃
準備に十日の予定でマリベス攻略は29/4迄に
終るやうに○めると。大体四月一杯に終る
予定だらう。天長節には晴れてマニラへ入城
したいものだ。
今夜の命令は明朝届ければいゝと言ふので山は
明朝登る事にして十一時頃寝る。

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昼ねなどして 相変らず暇そうである
攻撃開始は近いのだが