父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年3月18日

2005-03-18 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
18日 (水) 晴れ 暑し

今朝は七時に起床。少し早い。夕食に塩気が利
きすぎてゐて水許りのんだので昨夜は夜中に小便に
四回も起きてしまった。
今日も退屈な一日。全く何もする事がなくて困ってし
まふ。マニラへ行った者がゐないので放列は僅かきり
人員がゐない。皆飲んで食って寝てゐる許り。こんな
事をしてゐたんではダラシなくなる許りだ。
今日第二分隊の井上を段列へ下げる。段列へ連絡
の今井の貨車で。うちで敵弾にやられた貨車二輌
の代わりに自動車廠から九四貨車二輌呉れると言ふ。
明日Rstから呉れるから取りに来いと。どんな車を呉れ
るのか。調子のいゝ車を呉れればいゝが。
夕方七時半頃マニラ行が帰って来る。先に連絡に
やった今井の車で帰って来る。故障した星野の車は
明日までになほして帰ると。段列の病人は大部
分がマラリアでデング氏病は数名きりゐないと。快く
なったものは段列へ戻さうと思ったが一旦よくなった
者でも二三日経過をみないと又熱が再発す
るオツリがあるので直には放列へ戻せない。
今夕七時のニュースを聞くと米比軍総司令官
マックアーサー大将は今度豪州方面及枢軸国
聯合軍総司令官に任命されて豪州へ行って
しまったさうだ。来るべき我々の総攻撃を前にし
ていゝ所で逃れてしまった。Bataan陥落の憂目
を見ないで、運のいゝ奴だ。比島に於いて数ヶ月
もBataan半島に日本軍に抵抗し得たので米陸
軍首脳部からマックアーサーなら日本軍をよく支へる
とでも思はれて豪州へ廻されたのだらう。豪州へ
日本軍が上陸したら忽ち敗れるくせに、まあ、命
が少し長くなったヾけだ。米比軍の後任司令官は
米比軍北部軍司令官の何とか言ふ少将。今度は
Bataan半島も愈々落ちるだらう。
うちの陣地変換は25日頃とか。こう病人が続
出では仕様ない。戦闘に差支へる。他の中隊の
状況はどうなのか。うちばかりか。

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