父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年3月1日

2005-03-01 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
三月

1日 (日) 曇り 小雨あり 暑し

三月の声を迎へた。戦線膠着はもう何日になる
か。来る総攻撃は陸軍記念日だと言はれて
ゐるが此の総攻撃を以て敵を一挙に撃滅して
しまひたいものだ。我々の掩体も殆ど完成、砲手は
壕の中へ入って寝てゐる。
掩体構築も終ったし、これから総攻撃に移るまで
兵達は退屈で困る。それまで十分休養せねばなら
ないのだが、何もしないで食べて寝てばかりゐるので下痢
患者とデング熱患者が発生して困る。今日も又二分
隊の井上が発熱、一分隊の村林は下痢から
続いてデング熱、而しまだ三中隊はいい方だ。二中隊
はあれから又新患発生し全部で戦砲隊だけで40
名位の患者があるやうだ。
午后ドラム缶の入浴をする。
夕方新編成の命令があり、戦砲隊全員集合して電話
で中隊長からの命令を伝へる。主要変更は、吉木兵長は
中隊長付属伝令へ、野田伍長は第一分隊弾薬車長、八木
兵長第二分隊弾薬車長、畦元伍長第三分隊弾
薬車長、菅兵長第四弾薬車長と決定。第四分
隊長、長沢伍長。兵の進級者が出来るために編
成にどうしても無理が出来る。長沢伍長の分隊長
はまだとてもどうかと思ふが己むを得ぬ。
今夕七時にラヂヲニュースを聞くと、陸海軍が南洋ジャワ
方面で活躍してゐる。今日の戦果は海軍によって敵米
英、蘭の聯合艦隊をジャワ海に迎へ撃ち巡洋艦
五、駆逐艦ロク撃沈、巡洋艦四大破、外に米大型
巡洋艦及濠巡洋艦各一を撃沈と言ふ。大戦果だ。
此れで残存してゐた敵艦隊の主力は殆ど殲
滅されたものと思はれる。陸軍の方は空軍の活躍で
やはりジャワ海に於て3000屯級敵艦一、巡二、駆一に
直撃弾を浴びせ多大の損害を与へたと。いつも乍ら我が
陸海軍の威力に感心する。
Bataan半島の攻撃は三月十日頃から総攻撃が
行われるらしいが今夕里村軍曹が中隊段列へ連絡に
行っての話によると増援軍が既に本日Herumosaに迄
到着したと言ってゐる。何でも北支から来た部隊で福井の
兵隊だとか。約一ヶ師団到着したと言ってゐる。此の頃は
敵も友軍もさっぱり静かになってしまって戦争をしてゐ
るのか何か分らない。砲声は一寸も聞えない。只毎日友軍
の爆撃行だけが行われてゐるだけだ。我々の放列は此
処へ来てから到って呑気な生活で退屈しきってしまふ。
海軍ではBataan半島攻略の陸軍に協力して空軍を
以て爆撃するさうだ。マニラへ今1000㎏爆弾を準備し
てゐるとか。マニラへ行った時にも海軍の貨車が相当動いて
ゐた。