父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年2月28日

2005-02-28 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
28日 (土) 晴れ 暑し

昨夜は暑くて少しも眠れず。ベッドのクッションが
やわらかすぎて壕の中と異ふからか。
熟睡せず。七時に帳場から電話で起して呉れ
る。七時半に本部の乗用車が迎ひに来る。公園の所
へ行ったがまだ各貨車は来てゐないで兵站宿舎へ
行ってみる。朝食中。自動車部隊が宿泊すると
自動車の工具其の他を持って行ってしまって困ると兵站の
老少尉がコボしてゐた。うちの部隊がやった事許りでは
あるまい。三中隊の貨車は糧秣受領のため貨物廠へ
行くので僕が乗って行き他は十五時迄解散する。集合
位置はマニラの入り口の記念碑のあった所。
貨物廠へ行くのは九時半でまだ時間があるので
その間に兵隊の羊かんを買ひに行く。東京堂とか
まだ早すぎて寝てゐる。兵隊を残して貨車は貨物
廠へ行く。何処か分らず、散々探す。昨夜聞いた所
がなかなか分らぬ。何回となく往復してやっとの事
で貨物支廠を探す。マニラの野球場のStandを
貨物廠の倉庫に使用してある。皆敵性物資の占
領したものらしく大した積荷だ。九時半に貨物廠に行
ったが主計の江波戸中尉はなかなか来ない。約一時間半
待って十一時頃やっと来る。来てもすぐに用が足りず、時間が
か々りそうなので現在主計の貨車に積んである荷物をう
ちの貨車に積んであとの貨物廠からの荷物は積まない事
にする。先に帰る。それでなければ我々の用が足りぬ。
兵站宿舎の近所の靴屋へ寄って長靴を注文して来る。
榊原曹長に聞いて知った靴屋だ。注文して25円。三月七
日に出来ると。革脚袢の注文は間に合わず。ホテルの
ある大通りに車に置いて解散する。此れから約一時
間で買物。忙しい事。主計達に遭い支那料理を御
馳走になる。十四時半にホテル附近を出発して記念
碑の所に十五時に着く。各隊集合しあらず。集合終っ
て出発したのは十五時40分貨車七輌指揮、主計、軍
医等は乗用車であとからゆっくりと来る事だらう。道路は良し
車の調子も良し。約三時間でOraniに到着する。
此処で解散、中隊段列に寄って荷物を下ろし、放列
へ帰ったのは九時頃、中隊長に異状なき事を報告、大
隊本部に報告して貰ふ。塩崎主計がダラシなくて此方
が苦労した事を言ったが却って言って工合が悪かった。僕
の注文した長靴の受け取りを塩崎主計に頼んであるので
一寸工合が悪かった。
流石ヤンキーの統括下の町だけあってMnilaは大し
たものだ。大きさは東京の1/4もないかも知れない
が設備建物等、実に立派なものがある。又前線へ
帰って来て見ればManilaの一夜はまるで夢のやう
だ。壕の中の起き伏しが嫌になる。
二月も終了。Bataan半島は遂に二月迄に陥ち
なかった。陸軍記念日にも駄目。三月には終る
だらう。

昭和17年2月27日

2005-02-27 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
27日(金) 晴れ 暑し

   マニラ行

六時起床。星野の車輌でstまで行く。
片岡准尉も行く事になってゐるのださうだ。
八時にSamalの塔の所に集合し出
発する、我々の外にR本、江波戸主計
Rstの一門主計、佐藤軍医、白神
軍医等大変な人数だ。本部、Rstは
先に行ってManilaの入り口で待って
ゐて貰ふ。
七輌の貨車を指揮してGuaguaで
小休止し、Manilaまで行く。11.30
頃着く。先に行った主計達が示した
所に迎へに出てゐないので二時間も探
してしまふ。午后2時頃兵站支部へ
行って宿舎を頼む。将校は○○旅
館のAvenue Hotel。
下士官以下午后六時に兵站宿舎へ
入るやうにして自由行動を許す。
僕は片岡准尉と榊原曹長と三人で町
を歩く。Escorta StreetのKodack Ltd
へ行ったが写真班の福原さんは怪我
入院と。フィルムも何も貰へず。
町を散々歩いたが何処に何があるか分
らず大した買い物も出来ず。90ペソの腕
時計を買ふ。5時頃宿舎のAvenue
へ行く。実に立派なHotelだ。僕なぞは
こんな立派なのに泊った事はない。十畳位
の部屋を一人で占領。電ワ、シャワー、洗面
W.C.等一切ついてゐる。これが兵站給与
かと思ふと日本軍隊も大したものだと驚く。
○○の給与と比べたら比較にならぬ。
食事に食堂へ行くと、Service Girl
はゐるし、Musicはあるし、フラダンスは
ホンモノがみられるし、あゝManilaな
るかなと感嘆これ久しくする。一門さん
と一緒なので高雄の事を知ってゐられるので
無理にSenoritaをつけられる。ロクなの
でなくがっかりする。
コーヒーをのんだせいか眠れぬ。Manila
にゐる兵隊と前線にゐる兵隊と何と
差異の甚だしい事よ。もう前線へ帰る
のが嫌になった。Hotelの窓から
Mt.Marivelesがみゑる。コレヒド
ル島もみゑる。彼処で戦争をやっ
てゐるとは思へない。

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○ *は 読めない漢字 不確かな文字などです

昭和17年2月26日

2005-02-26 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
26日(木) 晴れ 暑し

昨夜里村軍曹は今日来られる侍従武
官御迎へのためstまで下がる。明日丸
山中イと兵隊一名とでHermosaまで行
くのださうだ。
今日も相変わらず掩体作業、もう数日
やってゐるので相当立派なものが出来
た。
三月一日に兵の進級に伴い、編成替へが
あるが中隊長のやり方がどうも感心せ
ぬ。僕を小隊長に止め置いたやうに、今
度は畦元伍長を後任の長沢伍長より下げ
弾薬車長にすると言ふ。僕は反対したが
駄目だった。人の使い方をしらない中隊では
仕方がない。
侍従武官を迎へに行ったものは夕方帰っ
て来る。三十分間位不動の姿勢で暑かった
さうだ。
明日Manilaへ行く者の中、今井兵長と
宮尾が放列へ来て泊る。あとはstへ行
って泊った。

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昭和17年2月25日

2005-02-25 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
25日(水) 曇り 暑し

今日も掩体作業、各分隊立派な掩隊を作ってゐるの
でなかなか完成せぬ。この掩体なら命中弾のない限り
安全だらう。午前やって午后は休養又夕方から少しやる。
今朝一、四分隊の貨車牽引車はstへ下げて整備を
させる。古江准尉は歯科治療に行くとて一緒にRst
まで行く。
中隊長が夕方来る。三月一日に兵、下士官の進級者が
ありそのため中隊の編成を変えねばならず、一苦労だ。
今度第四分隊長に長沢伍長、吉村は伝令となる。
砲手も移動し、一分隊から優秀な砲手が他へ行って
しまふ。又里村が憤慨するだらう。
中隊長はそれからstへ行きおそくなって帰って来て放列
へ泊まる。
下痢は相変わらずだが夕方から少しはよくなったやうな気
がする。早くなほって呉れないと困る。
昼頃、患者数名にブドー糖の注射をやったので僕
もついでにやって貰ふ。20ccを注射したが期待して
ゐた程元気はでない。

昭和17年2月24日

2005-02-24 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
24日(火) 晴れ 暑し

相変わらず掩体構築作業。弾薬砲手、自動車
手は前車の位置の車輌の壕を工事させる。
午后の暑い盛りは休ませる。
午后軍医が来て患者の診断をやって呉れる。
佐藤軍医と今度谷内軍医の交代に来た
白神軍医。患者は約十名ゐたが大部は
もう快復期にあるもの許り。四分隊の谷口と工藤
はまだ悪かったが。白神軍医の手並みはなかなか鮮
やかなものだ。流石は軍医学校出だけある。佐藤
軍医はやっぱり感心せぬ。患者の大部分は
デング氏病で蚊の媒介によるものと分る。明日
ヱ生兵にブドー糖の注射をさせると言ってゐた。
熱地では我々はもっとVitaminをとらねばい
けないと。下痢患者は絶食が一番いゝ方
法だが体力が衰へるなら粥食にして決して
砂糖湯等をのまない事と言はれた。僕の下
痢のなほらぬのもコーヒーやココアを飲む為か
も知れない。
午前に二中隊の石井少尉が来たが二中隊で
は患者が30名位出たさうである。十数名
は段列に下げて休養させ外に十数名が放
列で寝てゐると。それでは射撃など出来は
しないだらう。一中隊も相当に患者は出たら
しい。三中隊が十名内外と言ふのは成績が
いゝ方なのだ。
今日は昼頃頭を刈り顔を剃り身体を
洗ふ。すっかり気持ちがよくなる。やっぱり昼
間は元気が出ない。昨日から粥を食べて
ゐるのだがコーヒーやmilkをのむためか
未だに下痢は止まらぬ。早速砂糖の
食ふのは禁止だ。
四時頃段列から砲手として陰山と井上が
来る。薮田と菅野が入院したその代りだ。
段列も此の二名とられてしまっては優秀な
のが少なくなって困るだらう。古江准尉がな
かなか文句を言って中隊長に請求するので
中隊長も古江准尉の言ふ事なら止むを
得ず聞くらしい。而し中隊付属なぞは
人員が多すぎる。中隊長はラッパ手の外
に専属の当番として補充兵を一名使用
してゐるし他には曹長、伝令、給与、自動
車操縦手三名、こんなに使用してゐて
外になほ中峰を戦砲隊から持って行ってしま
ってゐる。中隊長もあまり勝手すぎる。
今夜はいゝ情報が入る。大体副官から僕に電話だと
言ふので出てみると、僕にManilaに行って貰ふと言ふのだ。
下痢がひどければ他の者に行って貰ふと言ふのでこんな
いい情報なら下痢なんかなんでもないと、笑ってしまふ。各隊
の貨車五輌を指揮して来る27日一泊の予定を以ってマニラ
へ出張を命ずとある。僕の日頃のご苦労を謝す意味だとあ
るがManila行きで又当分ご苦労を続けさせられる
んでは敵はぬ。