父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年3月8日

2005-03-08 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
8日 (日)曇り 夕立あり

四時半起床。指揮小隊は宮尾の小型貨車で
五時頃に来る。此方はニッサン貨車の準備がおく
れたので丸山中尉に先に行って貰ふ。5時半頃
出発。Rstへ寄って整備に来てゐる畦下伍長
と岡本上ト兵を連れて行く。昨夜おそくRstへ来
て連絡しておいたので道路上に来て待ってゐた。
大隊本部から小川信次のニッサン貨車は整備が
終ったから使へと中隊長は言ってゐたが出発してみる
とガソリンが塞がって何回停止した事か。燃料槽の
中にゴミが澤山入ってゐるらしい。何回掃除しても
閉塞してしまふ。Guaguaの辺まで数回停
止しながら後進し、時間は約二時間おくれてしまふ。
大隊本部の貨車が中村中尉が指揮して来た
のに会ひ、空気ポンプを借りてなほしたが駄目で
補助燃料槽の方を使用してからやっと調子がよく
なる。操縦手が腕のいいのがゐないので僕がや
って行く。60km/hourくらいの速度へ○。Manila
へ10時30分頃着く。先づ海岸まで行って海岸
を見物。東京の神宮外苑に海岸がついたやうな
所。なかなか立派だ。千屯位の船が数隻沈められ
てゐた。それから城内の楠見靴屋へ行き、古江
准尉のと僕の長靴を少し大きくして貰ふやうに
頼んで来る。此方で約一時間解散。ゴム長
の安いのがあったので買ふ。3円80銭だ。ウソのやう
な安い価。
十二時にEscorta街とRizal街との間の
処に車をとめて夕方六時迄自由解散。
僕は畦元伍長と長沢、野田を連れて先づ腹ご
しらへに支那料理。7ペソで四人で食べて満
腹。なかなかウマクて安い。満州ではとても比較に
ならぬ。食后エスコルタ街の日本バザーへ行ってみた
所12時から1時半迄休み。Escorta街のキネマを見に入る。
Alice Fayの舞踏映画をやってゐた。なかなかいゝ設
備だ。二時頃出てみると猛烈な雨。日本バザーへ行
ってみたが開店してない。別のIdeelバザーへ行ってみる。
此処は開店してゐた。日本人経営らしい。○用行
李の代りにトランクを一個買ふ。新調トランクではなくて
毛唐の言ふ所のトランク、革製でない奴だ。一番小さい
奴で75ペソ。少し値段は高いが内地へ帰って
も使へるので買ってしまふ。外に小さなスーツケース。
これも革製品はいゝのがないので革でないのを買
ふ。値段は却って革のよりも高い。22ペソ。
二時半頃からRizal街を散歩、お茶をのんで
お土産にウィスキーを買ひ、大隊長には生地を貰
ったお礼に四合入のを二本。あとは此の前に買った
Canadian clabも小瓶を二本、中隊長と古江
准尉。この前一門主計にはホテルに御馳走にな
ったのでウィスキイのいゝのを二本買って行く。通りがかり
の在留邦人に頼んで買って貰ふ。White Label
とか言ふ、極上物ださうだ。角瓶日本で10ペソ
集合時間の六時迄をCafeトキワで過す。
生ビールがあるとか言って行ったのだったがおそくてな
かった。上島中尉が一緒になる。Filipinoの女
か十数名ゐて内地のカフェに同じ、つまらぬ下品
な所だ。今日は所持してゐた軍票を全部使い
果たしてしまった。残ったのは一円の軍票一枚だけ。
日本紙幣が100数十円あるんだが使へないので
困る。主計も取り換へて呉れないし。
夕方六時半頃出発、帰路に着く。岡本に操縦
させたが速度が出ないので又僕がやって行く。
SanFernando附近でもう真暗になってしまふ。
SanFernandoはManilaから既に汽車が
通じ、電燈も煌々と輝いてゐる。
OraniのRstへは9時半頃着、一門主計と木村
中尉にウィスキーの土産を置いて行く。木村、長田両
中尉は増援師団の兵力輸送にDamorutis
へ数回往復しノビテヰた。4Dを輸送したとか。
中隊段列へは10時半頃着。前線へ近くなると
燈火をつけられないので月のない時は全く走れない。
昨夜傷がなほって退院して来た橋田上ト兵を連
れて帰る。放列到着十二時。今日は疲れた。
明日から新陣地への移動準備で又掩体工事
ださうだ。前の五中隊の放列へそのまま入るのだと。
明朝八時から工事にいくのだと。明日は眠いことだらう。
壕の中を整理等したので就寝二時頃。