父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和16年12月31日

2004-12-31 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
大晦日も行軍は続く


31日(水) 晴れ 

昨夜はCauanatuanのh南方で夜明け
迄宿営と言ふので準備をした所が明方一時半
頃起されて出発と言ふ。
今日は午前中はのんびり休止してゐて又夜になると又
行動を起してS.RosaとS.Leonardoの中間の
橋梁通過には鉄道の鉄橋を通過する。数十
名の使役兵を使用してレールを外したり踏板を敷
いたり、通過終ってGapanに着いて24.00やっと
過ぎる。
考へてみれば今日は大晦日だ。内地を遥遥出て
三年目の正月をフィリッピンで迎へるとは、感慨無
量だ。Gapanの南方数粁の地点で又休止。
先がつかへてゐて進めぬ。兵隊は連日の行軍で
すっかり疲れてしまってちょっと休止すると皆のびてし
まってぐっすりと眠ってしまふ。出発の合図が分らな
くて中隊長が怒って飛んで来る。敵を前にして一人
の警戒兵も立てずに線砲隊全員眠ってしまった
のだから少し無茶には違いなかったが。
此の附近は橋が澤山あるので進行状態は到って
遅々たるものだ。橋と言ふ橋は皆破壊されてゐるの
で全く手に負えぬ。


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戦争には暮れも正月もないらしい

昭和16年12月30日

2004-12-30 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
昼夜の行進は眠くて危険
敵の攻撃はない



30日 (火) 

  バロック着

SanJose出発明け方の2.00。Munosを通って
Baolocへ。此の間約20粁を二時間で来てし
まふ。随分速度を出した。Balocで大休止、4.00
頃からずーっと休止しで朝食、昼食は此処で取る。
午后になって、又二食分準備を命ぜられ準備す
る。出発は今夜になるらしい。
Binalonanを出発して以来此の附近は殆ど
戦斗は行はれないらしく、敵の死体等は殆どみない。
AgnoRの傍に一寸あったヾけだった。敵は殆ど抵
抗せずにマニラ迄逃げてしまったのだらう。ルソン島の
南から上陸した北上軍と我々南下軍と何
方が先にマニラを陥れるか、その先陣争ひでこん
なに忙しい行軍をやるのだらう。もうCavanatuan
まで40~50粁だ。大隊副官中佐中村中尉の話
によれば又右縦隊のTarlak方向へ進行す
るらしいと言ってゐる。道路の状況で右の方へ転進
するのか。
此処Balocでは朝から夕方迄充分に休養した。又今
夜から夜行軍で24時間位続いて行進するのだらう。
昨夜などは分隊長以下全部眠ってしまひ操縦手も
時間眠って牽引車が路外へ落ちさうになる。自分も
眠くてし方ないが、危険で眠る所でない。
Balocは午后出発。1SAはtarlack方面へは転
進せず、8SAの一部が此の方面へ行ったらしい。
Taranerla - Cavanatian - S.Rosa -
を経てGapanに至る。例の如く○○所の橋梁は破
壊され通過するに大変時間と兵力を要する。
Cavanatuan附近の橋梁は立派な橋だが
完全に破壊され、工兵の手になった仮橋を通過
する。行進は殆ど100m行っては一時間休止し
また200m行っては一時間休止すると言うやうな工
合で一日に僅かに30-40km位きり走れぬ。そ
の間道路には他隊の貨車、戦車等副奏し、こんな
所を敵機に爆撃されたら大損害を蒙るに決っ
てゐるが幸ひにも敵の空中勢力が全く壊滅に
状態にあるためか殆ど敵機は飛来せず、対空
には殆ど顧慮外なので助かる。実際我々は戦争
をしてゐるんだか、難路行軍の演習に来てゐる
んだか分らぬ。敵弾がとんで来るわけではなし我
々が前進するよりも前に歩兵はどんどん進んで行っ
てしまふし、こんな呑気な戦争はない。兵隊がのんび
りしてしまって仕様がない。此の頃は月がだん
だん大きくなって今夜辺りは十二、三日頃か、道路
が明るくて工合よい。
Cavanatuanを過ぎて停止。夜明けまで
休止。食事は大概昼に乾パン、朝夕は米を
炊く。お菜の配給がないのでかく編成毎に勝
手に鶏などをつかまへて殺して食事にしてしまふ。 
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昭和16年12月29日

2004-12-29 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
夜を徹しての行軍
橋は徹底的に壊されているらしい



29日 (月)晴れ 暑し

夜は大分冷える。ぢっとしてゐると寒い位。
今日は一日中行軍。殆ど休止もせずに行軍。大部隊の
行進なのでなかなか速度が出ない。戦砲隊の最後
尾を続行する3中隊は行進しにくゝて、休止としても先頭
部隊が休止する時間だけ休止出来ず。苦労する。橋梁
と言ふ橋梁は皆破壊されてゐて、工兵が作った假
橋を通るのだが此の度に我々重車輌は苦労する。敵
の奴、よくこんなにまで橋をこわして逃げたものだと感心す
る。今日の行軍は50粁進んだが殆ど敵影をみず。
Cavanatuan附近で敵は一大抵抗をするかとみえたが
これも断念したらしい。我々は敵を急追、急追して一揆
にManilaを衝く如く南下すると言はれた。
Binalonan-S.Manuel-Asingan-
Tayug-S.QuitinーUmingan-Lupao-
S.Jose-Munos-Balocと言ふ経路を取って
南下、食事の為にも僅か10分位の時間きり休止wpせ
ず。Uminganでは軽車両が準備した湯茶で喉を
湿す。此の町はなかなかきれいないゝ町だ。古い教
会や大きな建物等がある。住民も大分帰って
ゐる。S.Joseで夜の10時30分、12時迄の間
に食事二食分を準備と命ぜられで急いで飯
を炊く。此の町もなかなか大きい。鉄道の終点
になってゐるらしい。昨日から行軍続きで自動
車手は疲れてゐるので少しの時間でも假眠させる。
SanJose出発明け方の2.00 Munosを通って
 (以下 30日に連続)
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昭和16年12月28日

2004-12-28 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
米軍は撤退 我が軍は前進!



28日 (日) 晴れ 暑し

  ビナロナン出発

七時起床、今日は午前中は兵器の手入れ、整備を
やらせる。今日は午后か、明朝早く出発するとか言ってゐ
たが 17.00出発と決る。今迄の前進方向はTayugから
Covanatuan方面。右継隊*に入って前進だと。
昨夜ISTで貰った陣中新聞 ”南十字星”によると、敵は
動揺の色濃く、マニラの軍隊は撤退を準備してゐるらし
い等と報じてゐる。米政府はマニラを無防備都市と宣
言するやう考慮中たとか。とに角敵はCavonatuam
附近に陣地を構築シ此処で主抵抗をなしその間
にマニラの軍隊を船に依り撤退するらしいと見られる。
マニラには輸送船が40数隻準備してあるとか。いくら
船で逃げやうとしてもマニラ湾外には我が潜水艦が
腕をさすって待ってゐるだらう。
此れからの主なる戦斗はCavanatuan附近で行
はれ此処が終ったらマニラは無抵抗に陥るだらふ。
今日、土橋兵団長より皇軍の徳を発揮せよとの訓示が
ある。土民をいたはれ、民家を荒らすな。等々。
毎日、よく晴れて暑い日が続く。フィリッピンの十二月はこん
な気候なのかと思はれる。土民は昨日あたりから続々
帰って来てゐる。顔をみると真黒で目ばかりぎょろぎょろと大
きく、身体はやせて細い手足をしてゐる。我々日本軍をみ
ると、日本指をあげてそれから両手をあげる。日本万才
と言ふ意味だらう。考へてみると土民等も可哀想な
ものだ。アメリカに踊らされ日本と戦ひ敗戦の憂
き目に遭ひ、兵隊は殺され妻子は困窮する。敗戦
国にはなるべからず。だ。
出発は午后になる。17.00出発と言ってゐたが段々おくれ
て20.00になる。早く夕食を済ませて暗くなってから出発。
指揮小隊は大隊指揮班と供に行動する。我々の方
面は左縦隊で我々は第二梯団。梯団長は入江
大佐、ISA、8SAの各一大隊が主力だ。各二大隊は右
縦隊でUldanedaの方向に今日昼頃出発した。
今日の命令では我々第二梯団はAsiuganを先頭
として決められた行軍部署により行軍隊形を作るべしと
言ふのだ。Asugan出発は明朝になるのに部署につく
各隊の車輌が混雑して今夜一晩中かゝってしまふ。
明方二時間位の休止があったが休止とも何とも命令され
ないので少しも休まず、兵は疲れてしまふ。8SAの貨車が溝
に落ちて操縦手が怪我をしたとか。

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「敗戦国にはなるべからず」
負ける戦はしてはいけない 戦争には勝たなければいけないのだ。
しかし勝ち続けることは不可能だ。数年後には正に「敗戦国日本」となった。
そのとき父は何を思うのだろう?

「土民をいたはれ 民家を荒らすな」にはホッとする
土民とはどういうことか。
侵入しておいて いたはれ と言っても...

昭和16年12月27日

2004-12-27 | 昭和 (父の日記 昭和16年) 
27日(土) 晴れ 暑し

  本日ハ射撃セズ  午后原隊復帰  ビナロナン宿営  

夜は冷えて蚊帳だけでは寒い。朝暗い中に2分隊を
元の位置に入れなほす。七時頃、また中隊命令で車輌
をみつけに行く。今井上ト兵、森田上ト兵を連れて○○で、昨
日来る時に道路上に遺棄してあった敵の車載砲兵の
自動車を取りに行く。見ると機関を破壊して逃げたら
しく修理の見込みなし。火砲はこはれてゐるし、MGも
こはれてゐる。後車輪はカタピラの立派な火砲搭載
車輌だったが使用に耐えぬ。あきらめて帰る。今度は
前の方へ行ってアグノ河の橋まで行ってみたが前の部
隊が皆取ってしまったかやはり駄目だ。昨日の第一線の
アグノ河をみて帰る。この橋梁は鉄橋の立派なものだが
やはり昨日の戦斗中に爆破してしまった、二ヶ所こはれてゐ
る。帰って九時頃飯を食ふ。
今朝の命令によると、昨日アグノ河を渡河してカルメン
に突入した第一線は○○困難なるため一旦アグノ河
の右岸に撤退し、ヴィラシスに田中支隊の兵力結集を
待って攻撃に出るのだと。我々砲兵隊の今日の任ムは
敵の后方攪乱だ。田中支隊に属する我々はI/8SA長
の指揮下に入ってゐる。現在十時半でまだしゃげきの命
令は来ない。
今日は結局射撃をせず、午后もずっと休み。今
夜もまだ此処に泊まりさうなので段列等ものんびり
炊サン等をやってゐた所、三時頃急に放列撤去
Binalonanに向ひ帰還と言ふ。第一線歩兵が
Carmenを奪守と同時に砲兵隊は田中支隊長
の指揮を離れ原隊復帰の命令だ。Carmen
奪守が何時か分らず、その命令があってすぐカル
メンを奪取したらしいので段列で食事の準備を
してゐる最中に放列撤去で○○等弾薬砲手が
慌ててあと始末をして来たが少し時間がかかった。中
隊長は一人でプンプン怒ってゐる。四時頃出発、
帰路に着く。第一線歩兵はアグノ河を撤退せず
そのまゝCarmen、Rosalesを占領したやうだ。
我が十五榴の威力におそれをなした敵は
もう戦意もないらしい。今日は午后8SAが攪乱
射撃を重数発射撃したヾけだった。18,000で
○鋭弾を撃ったと、金子軍曹(昭和14.6.ISA
補充隊に召集されたΔ、伍長、此のあいだCampone
で偶然会ふ)が言ってゐた。
帰路は又Urdanedaの破壊された橋梁の
所を通る。同じやうに火砲は二車牽引で通過す
る。途中で戦車聯隊が一緒に向ふのに会ひ行
進交叉を起こし、戦車聯隊長があまり勝手な事を
言ふので喧嘩してしまふ。Binalonanには暗くな
って到着。一昨日の宿食した傍に宿営、もうISA
は全部来たさうだ。今夜はぐっすりとねる。
今日本部から次の如き歩兵よりの感謝の辞を受ける。
26日23.30.i大隊長ヨリ砲兵大隊長ニ左ノ如ク無電
アリタリ。
 1.威力絶大ナル貴隊の御協力ヲ感謝ス。微小ナ
   損害ニヨリ無事Carmenヲ奪取ス。
 2.Rosales東方地区敵歩兵72R、Carmen21シ
   ノーケ大隊 BauTesuk附近ニ13i Camilin
   附近。21iが配備アリタルモノノ如シ
 3.田中支隊ハ橋梁上流を渡河シ現在Carmen.
   Rosales地区ヲ確保セリ
 4.昨日ノ戦果 十五榴中隊正面ニ対スル十五榴
   ノ有効ナル射撃ニ依リ 敵大隊長を捕獲ス。
   尚 TK194大隊、A中隊ハ逃亡、中一台ハ閣
   座セリ。A戦車中隊長を捕獲セリ。
                       以上

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