父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年3月7日

2005-03-07 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
7日 (土) 晴れ 暑し

今日は午后被服検査をやる。検査中に中隊長が
来る。明日又、Manilaへ兵をやるから僕に指揮
して行って呉れと。丸山中尉と貨車二輌で行くのだ
さうだ。
戦状況は十日頃からそろそろ攻撃になるが眞
当の攻撃は十五日頃からだと。我々三中隊は今の陣
地を棄てゝ十日頃にもっと前進して此の前の陣地附
近に変換するかも知れないと。其処はもう歩兵第一
線のすぐ後だ。我が三中隊の直協方面のOrion山の
方向を射撃するにはどうしても前に出なければ射撃
出来ないと言ふのだ。折角作った立派な掩体も壕も
一発も射撃せずに陣地変換するんでは実に惜しい。
兵隊はがっかりするだらう。前の陣地附近へ行っ
たらあまり敵から遮蔽された所はなく総攻撃
となったらさぞ敵砲弾のオツリが来る事だらう。
腹工合はやはりなほらぬ。もう慢性の下痢だ。
Manilaへ行くために戦砲隊は残りの下士官全
部と各分隊二名宛を連れて行く事にする。指揮小
隊は明朝早く来ると。今夜は段列へ泊る。野犬
がウルサクて寝られぬ。戦砲隊の菅伍長と中西と
が車輌整備に段列へ下がったまま発熱してしまって
寝こんでしまふ。デング熱らしい。

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