父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年3月5日

2005-03-05 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
5日 (晴れ) 暑し

今日は放列は僕一人。此の頃は兵もする事がなく
だらしなくなるので日課時限を定めて規律を正しく
させる。今日は戦線で始めて兵器検査を実施
する。携帯兵器のみ。十四時より。戦陣間だけあ
って手入れは十分でない。
遂にまた腹をこわしてしまった。朝食は食べたが
昼と夕は食べない事にする。少し苦しいが絶食
療法でなほそう。僕の下痢は慢性になったのか。
何も悪いものは食べたおぼえはないがそれで
下痢をする。
今日は昼間からManilaのラヂヲを聞く。いつも
ジャズ許りやってゐるmanila放送局も朝は
クラシックな純音楽をやる。今朝はパデレフスキー
のピアノ等をやった。午后は四時から対敵放送か
と思はれるのをやってゐた。バタアン及コレヒドール島
の米比軍に告ぐとでも言ってゐるのだらう。英語で
盛に日本軍の強い事、軍紀の正しい事、親切な事
等を宣伝して、お前達も早く降服して来いと言って
ゐるらしい。女のアナウンサーでその間に日本の音
楽を聞かせてゐる。さくら、春雨、越後獅子、或ひ
は童謡テルテル坊主、端唄、梅にも春等を聞か
せては盛に降服勧告をしてゐるやうだった。
夕方四時頃から里村軍曹の指揮で弾薬補充路
の補強工事をさせる。中隊長がもっと完全に
やれと言ったのだが此の道路をあまり使ふつもりは
なかったのでそのままにしておいたのだ。
manilaへ行ったものは夜の十二時頃帰って来る。僕
の注文した靴を持って来て呉れたがやはり穿く時に
足の甲の部分がつかへて少し小さい。穿いてしまへば十分
にゆるいんだが。甲高の足と言ふのは不便なものだ。
靴は長くて格好はいゝ。

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