父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年3月6日

2005-03-06 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
6日 (金) 晴れ 暑し

相変わらず静かな日が続く。友軍は来るべき総攻
撃に着々準備をしてゐる事だらう。前線の歩兵は
新鋭と交替したとか言ってゐる。工兵隊が工事をし
てゐた道路も大分出来たやうだ。今度こそは一撃
にBataan半島を席捲して比島全土に日の丸を
あげてしまわねば。
午前は野田伍長の指揮で弾薬補充路の工事を
やらせる。午后は休養。
僕の腹工合は相変わらずなほらぬ。昨日の絶食
もどうも効き目がないやうだ。今朝からオカユ
を食べてゐるんだが、食べなければ身体が衰弱
して動けなくなってしまふから仕方がない。薬も下痢
止めが効かないので今度はクレオソート丸で直すつ
もり。
午前に部下の功績の調査をやる。大して功績
のあるものはなく殆ど同じやうなものだ。列次をつける
のに苦労する。功績の調査なんて嫌なものだ。全部
皆同じやうにしてやるわけには行かず必ず列次をつ
けるには最後尾が出来てしまふんだから、人事とか
功績とか言ふ仕事は嫌な仕事だ。
此の頃はドラム缶の入浴が毎日沸かせるのでなか
なか工合がいゝ。戦線には勿体ない位。
今日の夕方は久しぶりに敵砲弾の唸り声を聞いた。
実に敵弾の音を聞かないのは幾日ぶりだらう。放列
の后方の道路を撃ってゐるらしい。あの道路は
敵方に暴露してゐるので工事の台湾義勇軍の
姿でもみつけて敵が撃ち出したのだらう。砲声を聞
いてやっと戦争らしくなった。
夜ラヂオを聞くとニュースは12月8日のハワイ・ホノルゝ
軍港に海軍が決行した攻撃に於ける特殊潜
行艇の特別攻撃隊の威勲の発表で一杯だった。
此の壮挙に散華した将校以下特別進級で二階
級進級、若干27歳の湯浅大尉が中佐に進
級、大したものだ。27才で数十人の部下を率いて
敵地深く侵入、此の大戦果。ラヂオでは彼等の
偉勲を褒めるのに大童の態。

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