父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年3月2日

2005-03-02 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
2日 (月) 晴れ 暑し

又続く放列の退屈な日、但し前のやうに敵弾は一寸も
来ない。まるで休戦状態のやうな静かな戦線だ。
暑い日が良く続く。
午后大隊長が来られる。退屈で各中退視察に来ら
れたのだらう。古江准尉に買って来たウィスキィを出したら
機嫌がよくていい気分になってしまったやうだ。近く約二ヶ
師団の増援が到着し、Bataan半島の攻略もその中に
終るだらうなどと言ってゐる。もう我々は大した射撃は
ないやうな事を言ってゐた。掩体もこんなに立派なもの
を作る必要はなかったと。大隊長もManilaへ行き
たくて仕様がないらしい。
隣の二中隊の放列へ寄って三時頃帰られる。石井
少尉が来て話をして行ったが比島戦線が終れ
ば野重一は内地に帰るらしいと大隊長が言ってゐ
たと。機械化兵団を作るために内地に帰る
のだと。さうなればうまいが。同時に我々も整理
して貰いたいものだ。
夜整備に行った車輌が帰って来る。600W油が
足りなくて西田の牽引車はstへ置いて来た。明日の晩
残りの車輌を整備にやる。