父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年3月23日

2005-03-23 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
23日 (月) 晴れ 暑し

八時起床。今日は此処数年来の嬉しい日だ。
大陸へ来て以来の嬉しい日、今日の命令でR本部
附になる。兵器兼瓦斯掛。
午前中は昨日買った品物の整理。
昼頃中隊長から電話で、今聯隊副官から通知
があって僕はR本部附になったからその準備をしてお
くやうにと。あまり突然で驚いたが先づ嬉しかった。
万年小隊長でクサッテゐたのがやっとクサレ縁の
木村隊から足を洗ふ事が出来た。部下は可愛い
が幹部は気に食はぬ。
午后は早速行李の整理をする。此の前敵弾に
やられた軍用行李は棄てゝしまはうと思ったたがマニラ
で買ったTrankが小さくて全部入りきらないので
又修理して使ふ事にした。きれいな土嚢の袋を使って
修理したらうまく出来た。当番兵植村の手功だ。
今日午后は中隊長と古江准尉が戦死者の
遺骨を受領にDinalpianの兵站へ行く。
僕がR本部へ行ったあと誰が三中隊に来るのか
分らなかったが午后二時頃Δから電話があって石
原中尉が僕に電話をかけて寄越す。石原が来る
事になったのだ。何時交替申送りをやるかなど
相談して今夕申告にΔへ行く事にしたが放列
に僕一人きりゐないので今日は申告に行くのをやめた。
夕方古江准尉は帰って来る。段列から工事人員
を六名連れて来る。今度の陣地の工事のためだ。
石原中尉が来ると聞いて古江准尉もがっかりし
たらしい。古江准尉は石原中尉はよく知らんだらう
と思ふが、とに角僕のやうなオトナしい将校は
めったにゐないから僕のあと誰が来たって僕が
ゐたと同じやうな工合には行かない。今迄少し
楽すぎたから少しはウルサイのが来てもいゝだらう。
石原中尉だって別にウルサイわけではないが然し
何かあったときは僕のやうに決して黙ってはゐな
いだらう。とに角戦砲隊の小隊長を出身の
異るものを置くと言ふのはお互に困るのだ。本人
同志も又中隊の団結、成果の点から言っても
感心しない。第一に困るのは中隊長だらう。今迄
のやうにデタラメな指揮をやって居たら石原は遠
慮なく文句を言って行くだらう。所詮、少尉候ホ
者と特別志願とは折りが合わないのだ。石原中尉
もR本のΔ掛から中隊の小隊長に下げられてがっ
かりしてゐる事だらう。可哀想に。第三中隊も此
れから先は今迄のやうにSmoothには行かなくなる
かも知れない。
僕の方は今度R本の兵器掛、ガス掛だと言ふが
全然新しい仕事でどんな事をするのか分らない。
前官の岩本中尉が入院してゐるので申受けを
する事も出来ず困ったものだ。どうせ岩本がやって
ゐた仕事だから大した事はないだらうが。もう我々
長期服務者の召集解除が近くなったのではないの
かな。そのためにどうでもいいやうな職務に廻して
呉れたんだらう。命令を見たわけではないから他の者
中村、下山、大野、木村氏等の面々はどうなったか
分らないが、古江准尉の話を聞くとどうも前からそん
な話があったと言ってゐる。愈々マンキなら有難い
が。あまり嬉しがってゐると、R本へ行って戦傷か
戦死するかも知れない。R本は将校の戦死、傷
が到って多いので安心は出来ない。戦死、傷は
もとより覚悟の前だ。いつも中隊長が分らない
時に思ふ事だが木村隊にゐて苦労するよりも
戦死、戦傷した方がいゝなど思ふ。
噂だけかも知れないが中隊長も異動が
あるらしい。石井大尉がRst長に、木村大尉
がR副官に、家形大尉が三中隊長など
とデマが乱れとんでゐる。
明日の昼頃Δへ申告に行く事にする。
今夜は十二時頃寝る。
今朝は六時に起床して古江准尉及各分隊長
等は新陣地の偵察に行った。一番前の中隊
段列の附近ださうだ。今月一杯に陣地変換
を終えるのだとか。昼頃帰って来る。

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