父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年3月14日

2005-03-14 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
14日 (土) 晴れ 暑し

昨夜は少し腹痛がした。又下痢ではなひかと心配
したが大丈夫らしい。朝八時過ぎまで寝てしまった。
今日も放列は退屈な一日。敵砲兵は少し宛左方の
道路を時々射撃して来る。昼頃隣の第二中隊が
射撃をする。何目標を撃ったのか知らないが十数発
撃ったやうだ。オツリが来るから注意せよと言はれたが別
にオツリも来なかった。掩壕を大部分埋めてしまった
ので敵弾が来ても避ける壕がない。砲手達も気
ぬけがして更に掘り直す気もないやうだ。
朝、野田伍長を段列に連絡にやる。
退屈な一日で身体をもてあます。運動を一寸もやらぬ
で又病人が増えはしないかと心配だ。
夕方七時頃中隊長が方列へ来る。段列の帰りだ
さうだ。来簡数十あったが僕へは一通もない。比島上
陸以来三ヶ月に無んとするが未だ一通の手紙が来
ないとはどう言ふわけだ。家で出さないわけはあるま
ひ。総攻撃が25日に延びた理由を聞いてみる
と、此のBataan戦線では敵情判断を誤って
作戦が間違ってゐたとか言ってゐる。大本営から参謀が
来て、作戦のやりなほしだとか。西海岸へ廻ってゐた10K
15Kの各一ヶ大隊も此の正面へ○し、○に来た24H
も総て此の正面へ持って来るのださうだ。今度は気球
隊も来るし、高射砲も来るし、此の正面が攻撃の重点
となって一挙に押し通すことになるらしい。此の準備のた
めに15日の予定が25日に延びたのだと。早くやって貰
はぬと雨季になって困ってしまふ。雨が降っては此
処では我々砲兵は機動が出来ぬ。
中隊長はぢきに帰る。
今夕七時のラヂオニュースに依るとミンダナオ島でも
未だ全島占領したわけでなくダバオ市の外はまだ
敵と対峙してゐるらしい。此処の第一線は敵が剽
悍な某族で相当苦労をしてゐるとラヂオは伝へて
ゐた。比島戦線はBataanだけでなくまだ全島
征服には相当の余地が残されてゐるのだ。大本営も
比島の作戦にはマゴツイたらしい。

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