父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年3月19日

2005-03-19 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
19日 (木) 晴れ 暑し

日中は退屈で今日は昼寝をする。段列から持って来
たピアノが退屈しのぎになかなかいゝ。こわれたピアノだが
兵が皆いたずらするのでウルサイ事はウルサイが結
構ヒマツブシになる。
古江准尉は朝Δへ行く。功績整理とか、戦時名
ボの整理とか言ってゐた。明日迄かかるとか。
今夕又射撃がある。毎日射撃があった方が兵のため
にもいゝ。あまり何もしないでゐると身体が生になるばか
りでなく却って病気になってしまふ。
今日の射撃は一中隊の射撃担任区域らしく、
300ミリも右に方向を移動して射撃する。敵の鉄条
網を破壊するのだと言ってゐた。砲手全員使用して
右小隊で発射。29発許り撃つ。なかな効果
があったと言って来た。敵が夕食の最中へ弾着して
少なくとも四、五〇名は死傷したらうと言ってゐた。アポアポ
の方面である。
今日も又病人を段列へ下げる。古河と渡辺。
今日のニュースでは比島方面の戦況でミンドロ島に去る
二月二七日に我が陸軍が上陸し既に同島を制
圧したと。此の島の制圧でコレヒドル島とバタン半島の
敵は完全に孤立となり愈々降服か、全滅の一路を
撰ばねばならなくなったと。Mack Arther将軍も壕
州へ逃げてしまった今日、Bataan半島の運命も
愈々近き将来に決する事だらう。

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