父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年3月17日

2005-03-17 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
17日 (火) 晴れたり曇ったり 夕方少雨

今朝早く、Manira行は出発する。星野の小型貨車で。
中隊長も一緒に行ったのであとに残ってゐるのは僕一
人で到って呑気だ。午前中は相変わらず退屈する。
午后今井の貨車で段列へピアノを取りに行く。徴
発したピアノでRstが持ってゐたのもを山下軍曹が段
列へ持って行ったのだ。こわれかかったピアノだが退
屈しのぎのオモチャには丁度いゝ。二時半頃帰って
来る。帰って来ての話に、今朝マニラへ行った戦砲隊
の星野の貨車はグアグアで故障してしまって段列へ迎へ
に来て呉れるやうにと丁度うちからピアノを取りに行った
時に連絡して来てゐたさうだ。パンクらしいと言って
ゐたが星野の車は予備タイアがないのでパンクしたら
処置ないだらう。オカゲで戦砲隊の者はマニラへ行
き損ったわけだ。Δから行ったものは宮尾の貨車で先に
行ったさうだ。
今日ディナルビアンに連絡に行った江波戸軍曹が兵站
病院に寄って来て、中西上等兵が死んだ事を知らせて
来る。昨16日十一時に死んだと。中西は数日前に
入院したばかりだったのだがまさか死ぬなんとは思
ひも寄らなかった。病院ではこんなに悪くならない中
に入院させればよかったのに、野重ではいつも重症
にならねば入院させないので困ると言ってゐたとか。中西
は車輌整備に行くとすぐ寝込んでしまひ、それから
ずっと段列で休養してゐたのだが一時大分よくな
って先に入院した菅伍長よりはよかったのだが遂に
駄目だったのか。可哀想な事をした。病名が分らな
いとか言ってゐたがマラリアやデング氏病ではないらしい。
Δの貨車に乗って行った大谷と佐藤は七時頃帰っ
て来る。故障した貨車は段列の九四貨車が行って
おそくなってグアグアを出発、九四貨車にのり代へて
Manilaに出発したさうだ。今夜は泊るだらう。中隊長
からΔから電話あり、マニラ行は今夜一泊明日帰ると。
段列長片岡准尉も発熱して寝てゐるので明日
中西の件につき病院へ僕が行かねばならないかも知
れない。
中隊長からお土産にマンヂウとブドー酒一本、
貰ったか此のブドー酒は前に丸山中尉に貰ったの
と同じだが兵隊に聞いてみると一本、80Centaro位
の安物だと言ふ。がっかりしてしまふ。前のを半分以上
飲んだがどうもよいものではないらしい。サテハ一本80銭の
極安物だったのだ。街頭で売ってゐるものを買ってお
土産では敵はぬ。中隊長自身、安物のウィスキーは絶
対に兵に買はせるな、身体をこはすなんて言っておき乍
らこんなお土産では全く敵はぬ。僕の買ったお土産のウィス
キイは優良なものを苦心して探して買って行ったのに、サテは
中隊長、ウィスキイの味が分らぬのだな。
今夜142iの兵が五名道に迷って来たので泊めてや
る。142iの兵隊は話しブリからしてどうも強さうでない。
今迄はMt.Samatの戦闘に失敗したから今度は
死んでも成功するなんては言ってゐたが。
総攻撃は四月一日からださうだ。又延びた。
これではBataan半島の戦闘は四月一杯かゝって
しまふだらう。雨季が心配。