父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年8月31日

2005-08-31 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
131日 (月) 曇り、昼頃夕立、猛烈な雨あり、涼し

昨夜は10時30分から巡察し、一時間半もゝる。南動
哨地区は広いので時間が永くかゝる。ヱ兵所では週番
副官が来てゐたので一寸寄っただけ。就床12時。
気候がよくて実によく眠れる。気持がいゝ。
必ず起床時前に起床して兵の起床状況をみる。
四年兵は満期がのびて怠けてばかりゐるので監視
を厳しくする。
今日の日課は午前は土工作業、途中から雨が降り
だし、中止。午后は内務実施。
午后三時頃、急に電報が来て、四年兵が帰る事になる。
明九月一日八時五分発の軍用列車で市川の東都73部
隊に転属だ。四年兵達は此の報に歓声をあげて喜
ぶ。内務班は大騒ぎだ。僕は早速副官に呼ばれ
て副官業務の申送り、申受けをやる。今日電報が来て、
明日の出発なので聯隊本部事務室は実に忙しい。書記
連中、転手古まいをしてゐる。副官はさっさと帰ってしまふ。副官
業務は申受けた事は申受けたがさて何をやっていゝか分らぬ。
割の悪い仕事を残して行ってゐるのではないかと心配する。
これでは我々の召集解除もいつの事か分らぬ。
今夕はずっと聯隊本部事務室に居きり。週番と、副官代理
と。消防隊長、それに中隊の将校任務、忙しい事。
新井中尉は今日欠勤。明日からは来て貰はぬと中隊が困る。
夜三中隊の坂庭、石野、松生伍長が別れに来る。此の三人
は実にいゝ兵隊だった。
今日の来簡で叔父から比島へ出したのが廻送になって来る。
六月十四日差出のもの。此の手紙で此の前の母からの手紙で
叔父の素晴らしいニュースと言ふのが分った。
飛行機にのせて貰ったと言ふのだ。五十余才の叔父が一大決心で
飛行機に乗ったのだから実にスバらしいニュースに違ひない。
僕でさへも未だにのった事がないのだ。肚者をしのぐ叔父の
元気さ。得意な顔がみえるやうだ。それに、此の頃では
食料国防団の訓練があって時々軍事教練をやっ
てゐるのだとか。大した張り切り方だ。我々本職も負けて
しまふ。
今夜は二時の巡察。辛い。
八月も終った。我々の満期の話も立ち消えか。面白くもない。


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昭和17年8月30日

2005-08-30 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
30日 (日)晴れ 暑し

今日の日課も土工作業、排水工事だ。新井中尉が
指揮をして四年兵許りで実施する。四年兵もまだ満
期にならず、クサッテゐる。だらしなくなるのも無理はない。
午前も本部事務室へは顔を出さず、事務室へ顔を出
すと、副官業務を色々やらされてしまふかと思ってゐたの
だったが午后行ってみた時も副官は何とも言はなかった。
午后、命令で新井中尉が牽引自動車の隊長として、神
武屯附近の特殊術工物、(陣地)に砲を備へる使
役の命令が出る。九月六日から十月下旬まで。これで
はΔ中隊は愈々将校がゐなくなってしまふ。僕は副
官の留守間同代理をせねばならぬし、九月十日頃
でなくては演習の野淵少尉は帰って来ないし、初年兵
が入って来たらその教育はどうするのだ。午后副官に
其の事を質しに行く。副官は、僕が決めたのではないから
知らんよと逃げてゐる。勝手な事ばかり言ってゐる。
僕が副官と初年兵教育を両方やれと言ふのだ。
馬鹿にしてゐる。現役の将校ではあるまいひし、そんな器
用な事が出来るものか。
今日は、殆ど一週間ぶりで入浴する。
此の頃は、すっかり意気が沈滞してしまって、何も手につか
ぬ。手紙を書く気もしないし、本を読み始めてもすぐ倦きて
しまってとても完成出来ない。こんなでは召集解除になって
からも社会へ出て何が出来る事だらう。満期がのびて
こんな気分になってしまったのか、或ひは長い軍隊
生活がこうさせてしまったか、軍隊に来たゝめにこん
なだらしない生活に馴れてしまったのか。情ない。
帰ったならば心気一転、新規巻きなほしで社会
へ第一歩を踏み出すつもりがこんな気分ではとても出来
ない。運転手稼業なぞやめて、堅実な職業に
入りたいと思ってゐるのだ。そのためには、夜学か、出来得れ
ば昼間の学校でも入る事が出来たらと思ってゐるの
だが。新井中尉の行ってゐたとか言ふ、同里の無線
学校は二ヶ年の終業年限で僕のやうに老頭児
にはいゝのではないかと思はれる。或いは電気学校か。
とに角帰ったら、死んだ気になってやりなほしだ。女房
を貰ふのはもう二、三年あとでもいゝ。
三年有余の軍隊生活は我々社会人にとっては大変
な打撃だ。三年あったら専門学校が卒業できる。
勿体ない三ヶ年だ。お国のためでなかったらとても勤めら
れはしない。只お国のためとの一念で勤めて来たのだ。

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昭和17年8月29日

2005-08-29 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
昭和十七年八月二九日

29日 (土) 晴れ 暑し

七時起床。二三日休んだせいか体がだるい。八時頃
出勤する。僕の休んでゐた間、新井中尉が一人でやってゐ
たのだ。御苦労々々々。中隊の日課は土工作業。排水
溝作りが「と」号演習留守間の仕事らしい。
十時頃聯隊本部事務室へ行く。副官が、僕が欠
勤して憤慨してゐるかと思ったら何でもなかった。まだ四
年兵の内地轉属は何時か分らないので僕が副官代
理をやるのはそんなに慌てないでいゝわけだ。何かやらせ
るかと思ったら今日は何もせず。一時間許り事務室にゐたが
どうも副官業務なんてむづかしくて僕には出来さうもない。
各中隊から副官に色々な事を問ひ合わせに来るが皆
僕なぞには分らぬ事ばかりだ。
昼頃から頭痛がして来る。ほんとにマラリアにかゝったのかと
心配する。午后は十四時から慰問演芸がある。
関東軍恤兵部派遣のものでつまらぬものだ。万才と
浪曲。四時頃終る。
入浴をしそこなふ。今日から週番、司令は石井大尉。
又消防隊長にさせられる。此の前は防空演習の時に
も消防隊長で散々苦労させて、又今度もでは全くか
なはぬ。第一ポンプ班は聯隊段列なのに聯隊段列
の週番士官を消防隊長にしないで僕にするなどは以ての
外だ。
今夜は巡察なし。比島へ廻った手紙が廻送されて、六月のが今頃来
た。此方へ出した新しいのも来る。今日のに
は家の写真が入ってゐた。皆元気なのが分って安心する
もう前から、もう直に凱旋できると家へ知らせてやったが
未だに何日の事やら決定しなくて困った。家ではもう明日
にでも帰って来る位に思ってゐるだらう。


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昭和17年8月28日

2005-08-28 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
28日 (金) 晴れ 暑し

朝八時起床。休日だと言ふのに早い起床だ。休日に朝
食を食べるのも珍しい。今朝は朝食を取る。
一日中退屈で困る。大野中尉と二人、退屈で唄を唄っ
たり、大の男が一日をもてあます。
午后中村中尉の部屋で崎山中尉等と世間話。一大隊
本部の澤田曹長等が来てゐた。夕食后中村さんの部
屋で麻雀をやる。Bataanから拾って来たのださうだ。
二回やって二回共大敗してしまふ。もう半年以上も
麻雀をやらないので少し変だ、又合同官舎で麻雀を
始めるやうになると昔の気分がよみがえって来る。もう昔の
気分なぞ要らないのだ。早く召集解除にして呉れゝ
ばいゝ。どうも「と」号演習終了まではだめらしい。
十時頃麻雀を終了。明日から又週番だ。もう二度
と週番なぞそらないで済むと思ってゐたが増田少尉
が演習に行ってしまふし、石川少尉が休暇とかで又
僕の所へ廻って来てしまった。全く敵はぬ。
十一時頃寝る。

 本日記帳を終る。
     八月二十八日
   未だ召集解除が見当がつかぬ。

休日


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昭和17年8月27日

2005-08-27 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
27日 (木) 晴れ 暑し

今日も欠勤。朝、鈴木中尉に認印を渡して欠勤
届を出して貰ふ。今日も一日寝てしまふ。よく眠った。
何でもないのに一日中寝てゐると却って体が変になって
しまふ。腰や膝関節が痛い。
夜は又、皆集って無駄話、鈴木中尉が一升下げて
来たので十二時頃迄大騒ぎ、どうも僕の部屋は集り
易いやうだ。毎晩集らぬ日はない。
初年兵受領には明日出発と決ったと。飯田中尉が行く
事になる。四年兵の満期は未だ分らぬ。初年兵が入って
からになるのだらふ。

  欠勤

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