極楽とんぼは風まかせ

東は東、西は西。交わることなき二つとはいえ、
広い太平洋、東の風が吹き、西の風が吹き・・・

子供の情景

2007年09月10日 | 今日の風の吹きまわし
今日は9月の9日。重陽の節句なんだそうな。節句というのは暦の上での区切りだから、夏が一服して、
ちょっと秋の気配がして来るとか、そんな意味なのかな。陰陽では奇数は陽なんだそうだ。9という陽の
数字が二つ並ぶから重陽の節句。偶数の方が陽だと思っていたけど、違うんだ・・・

菊の節句ともいうけど、子供の頃に住んでいたところでは菊は8月に小さな花を咲かせていたような気が
する。夏は毎日のように塩気を含んだ霧がかかるもので、庭の草木はみんな下の方が茶色く枯れていた。
別の土地へ行って、地面までずうっと緑色の植物を見てびっくりしたものだ。生まれて初めて水田に生えて
いる稲を見たのもその頃だったかな。

だいたい、節分だって厳寒の最中。弥生3月桃の節句なんていっても、まだつぼみすら見当たらない冬。
桜も梅もゴールデンウィークを過ぎてしまってからだったし、子供の頃は5月のそのゴールデンウィークに
よく雪が降った。幼稚園の出席表で今でもなぜか覚えているのが6月のページ。しとしとと降る雨に濡れる
アジサイの葉をカタツムリが這っている絵が描いてあった。なにしろ、梅雨などというのは無縁だったし、
カタツムリなんか見たこともなかったから、ある意味で異国の風景のような印象が残ったのかもしれない。
小学校の社会科の教科書だって、農村の風景や山村の風景の挿絵は、北海道の最果てで育つ子供には
めずらしくさえあった。

私が育った風景にあったのは、囲炉裏ではなく石炭ストーブ(古いのはルンペンストーブと呼んでいた)。
石炭は馬車で配達に来ていた。煙突の途中に大きな湯沸しがあって、熱いお湯がいつもたっぷり。でも、
冬中何回かの煙突掃除はどこの家でも父親の大仕事だった。ストーブといえば、夕飯のおかずに食べた
宗八(カレイ)の骨をよくストーブの上でこんがり焼いて食べた。骨せんべいと呼んでたけど、あれは育ち
盛りの子供にカルシウムを摂らせようという両親の知恵だったらしい。そうそう、毛糸の長靴下を履いて
いて、それでも足にしもやけができたっけ。お正月のみかんも箱の中でよく凍ったらしい。

こんなところが私の記憶の中にある「日本」の原風景のひとつなんだけど、あれは高度成長期よりももっと
前の、まだ後進国の方に近くて、NHKのテレビも見られなかった頃の話。半世紀経った今では、北海道に
だってさすがにこんな風景はありえないだろうなあ。今では日本が隅々まで標準化して、日本全国どこへ
行っても「日本の風景」なんだろうか。まあ、あたりまえだといわれればあたりまえなんだろうけど、やっぱり
何となくピンと来ないなあ・・・