4月26日、昨日生活環境を健康にする会主催で「いのちの林檎」上映会を行った。
朝、夜の2回上映で170人の方々に観ていただいた。
ありがとうございました。
また、患者さんにも来ていただいた。
正直途中で気分が悪くなったらどうしようか、倒れたらどうしようかと、本当に心配だった。
会場の後全体を囲って患者さん専用席を設けて対応させていただいた。
患者ではない方々には窮屈な思いをさせてしまいました。
御協力いただきまして本当にありがとうございました。
私たちは、化学物質過敏症の患者、支援者の会だが、皆今までそれぞれいろいろな取り組みをしてきた。
たとえば、代表の木村さんは、化学物質過敏症の病名登録された時の国との交渉を行ってきた人物で、
私が議会で化学物質の健康被害対策を取り上げるきっかけになった岐阜市の小澤祐子さんに引き合わせてくれた。
現在、佐倉市では公共施設を農薬や化学物質をできるだけ使用せず管理する「総合防除」を取り入れ、マニュアルを作って対応している。
他のメンバーも、千葉県の「学校における化学物質対応マニュアル」策定時患者の立場から意見を述べ、盛り込ませたり、
それぞれ居住地の自治体に積極的に働きかけて、対応を求めたりしている。
各地の先進的な取り組みを行っている自治体には、積極的に声をあげて対応を求める患者の方たちがいる。
長野県の標高千メートルの山の中でのテント生活。
足元は竹で組み、風が通り抜ける。
寒そうなのは見ていて痛々しい。
それでも皮膚を覆ってしまうより出している方が楽だという。
上空を飛ぶ飛行機の電磁波に昏倒し、遠くの草刈り機の稼働に反応する。
「いのちの林檎」を初めて観た時、早苗さん、道子さん母子の真摯に生きる姿に感動した。
早苗さんが、体が硬直し、息ができず、昏倒する程の酷い状況の中、車で化学物質、電磁波から逃れるための放浪を繰り返す中で、前向きに日々生きていくことを感謝している姿に、あらためて私たちも何かしなければと、背中を押された気がした。
それがこの映画の上映会をするきっかけだった。
それぞれ化学物質過敏症の発症のきっかけは違う。
新築の住宅やリフォームでシックハウスがきっかけになる割合は大きいが、排気ガスや、アスファルト工事、受動喫煙、教科書のインクが原因だったり、書道の墨汁がきっかけだったりする。
映画の中で頭を押さえながらインタビューに答えていた男性は、
「自動ドアを感知する光に反応して、職場の化学薬品が原因かもしれない。
けいれんやめまい、しびれがあるから、精神的な物ではないと思う」
と言っている。
化学物質過敏症で電磁波過敏症にもなっているのに、原因が分からず悩んでいる姿は多くの患者に共通するのではないだろうか。
また、「現代社会で私たちは化学物質の海の中で暮らしている。
毎年新しい化学物質が作りだされ、数千万種類の化学物質がある。
日常でよく使用されているのは十万種類」
という説明があった。
これで健康被害が起こらないほうが、おかしいだろう。
同じく農薬被害に苦しんでいた奥さんの姿に、何とかしなければと木村秋則さんは無農薬、無施肥で林檎づくりに挑戦した。
現在は木村さんは「命の林檎」として有名だが、無農薬に転換したら虫が大発生。
花も咲かず、無収入で生活にも困り、雑草まで食べてしのぐ生活。
自殺しようとして山をさまよい、失敗した時に、山のドングリはなぜ無農薬、無施肥で立派な実を付けるのだろうと、ヒントを得るきっかけになったことをドラマティックに話された。
山の木の生態と同じ状態にしたら、無農薬、無施肥で林檎ができるんじゃないだろうか。
山のタンポポは背が高い、林檎畑のタンポポも同じ状態にしたら林檎はなるんじゃないだろうか。
花が咲くまで9年、やっとテニスボールの大きさの林檎が実った。
現在の大きなリンゴになるまで、そのあとまた9年かかった。
早苗さんが水も飲めなくなって4日間。
もちろん点滴などできないし、薬も一切使えない状況は、死を意味していただろう。
本当に怖かったと話している。
意識がもうろうとしていた時、母道子さんが何とか手に入れた木村さんの林檎。
口に入れた時のみずみずしさ。
水分を摂取できなかった身体に生きる力を注ぎ込んだ林檎の力。
早苗さんから「木村さんの林檎でいのちを繋ぐことができてから8年がたった」と、木村さんへのお礼のメッセージが伝えられる。
早苗さん、道子さんは長野の標高千メートルの山の中で小さな山小屋で生活をしているところで映画は終わる。
原発事故も早苗さんの体には大きな影響を与えていると思うが、私たちも同じ状況であいかわらず「化学物質の海の中」で暮らしている。
原因が分かれば、対処もできる。
特に妊婦さんや子どもへの影響ははかり知れないので、化学物質過敏症を知ってもらい、健康被害を少しでも防いで欲しいと願っている。
朝、夜の2回上映で170人の方々に観ていただいた。
ありがとうございました。
また、患者さんにも来ていただいた。
正直途中で気分が悪くなったらどうしようか、倒れたらどうしようかと、本当に心配だった。
会場の後全体を囲って患者さん専用席を設けて対応させていただいた。
患者ではない方々には窮屈な思いをさせてしまいました。
御協力いただきまして本当にありがとうございました。
私たちは、化学物質過敏症の患者、支援者の会だが、皆今までそれぞれいろいろな取り組みをしてきた。
たとえば、代表の木村さんは、化学物質過敏症の病名登録された時の国との交渉を行ってきた人物で、
私が議会で化学物質の健康被害対策を取り上げるきっかけになった岐阜市の小澤祐子さんに引き合わせてくれた。
現在、佐倉市では公共施設を農薬や化学物質をできるだけ使用せず管理する「総合防除」を取り入れ、マニュアルを作って対応している。
他のメンバーも、千葉県の「学校における化学物質対応マニュアル」策定時患者の立場から意見を述べ、盛り込ませたり、
それぞれ居住地の自治体に積極的に働きかけて、対応を求めたりしている。
各地の先進的な取り組みを行っている自治体には、積極的に声をあげて対応を求める患者の方たちがいる。
長野県の標高千メートルの山の中でのテント生活。
足元は竹で組み、風が通り抜ける。
寒そうなのは見ていて痛々しい。
それでも皮膚を覆ってしまうより出している方が楽だという。
上空を飛ぶ飛行機の電磁波に昏倒し、遠くの草刈り機の稼働に反応する。
「いのちの林檎」を初めて観た時、早苗さん、道子さん母子の真摯に生きる姿に感動した。
早苗さんが、体が硬直し、息ができず、昏倒する程の酷い状況の中、車で化学物質、電磁波から逃れるための放浪を繰り返す中で、前向きに日々生きていくことを感謝している姿に、あらためて私たちも何かしなければと、背中を押された気がした。
それがこの映画の上映会をするきっかけだった。
それぞれ化学物質過敏症の発症のきっかけは違う。
新築の住宅やリフォームでシックハウスがきっかけになる割合は大きいが、排気ガスや、アスファルト工事、受動喫煙、教科書のインクが原因だったり、書道の墨汁がきっかけだったりする。
映画の中で頭を押さえながらインタビューに答えていた男性は、
「自動ドアを感知する光に反応して、職場の化学薬品が原因かもしれない。
けいれんやめまい、しびれがあるから、精神的な物ではないと思う」
と言っている。
化学物質過敏症で電磁波過敏症にもなっているのに、原因が分からず悩んでいる姿は多くの患者に共通するのではないだろうか。
また、「現代社会で私たちは化学物質の海の中で暮らしている。
毎年新しい化学物質が作りだされ、数千万種類の化学物質がある。
日常でよく使用されているのは十万種類」
という説明があった。
これで健康被害が起こらないほうが、おかしいだろう。
同じく農薬被害に苦しんでいた奥さんの姿に、何とかしなければと木村秋則さんは無農薬、無施肥で林檎づくりに挑戦した。
現在は木村さんは「命の林檎」として有名だが、無農薬に転換したら虫が大発生。
花も咲かず、無収入で生活にも困り、雑草まで食べてしのぐ生活。
自殺しようとして山をさまよい、失敗した時に、山のドングリはなぜ無農薬、無施肥で立派な実を付けるのだろうと、ヒントを得るきっかけになったことをドラマティックに話された。
山の木の生態と同じ状態にしたら、無農薬、無施肥で林檎ができるんじゃないだろうか。
山のタンポポは背が高い、林檎畑のタンポポも同じ状態にしたら林檎はなるんじゃないだろうか。
花が咲くまで9年、やっとテニスボールの大きさの林檎が実った。
現在の大きなリンゴになるまで、そのあとまた9年かかった。
早苗さんが水も飲めなくなって4日間。
もちろん点滴などできないし、薬も一切使えない状況は、死を意味していただろう。
本当に怖かったと話している。
意識がもうろうとしていた時、母道子さんが何とか手に入れた木村さんの林檎。
口に入れた時のみずみずしさ。
水分を摂取できなかった身体に生きる力を注ぎ込んだ林檎の力。
早苗さんから「木村さんの林檎でいのちを繋ぐことができてから8年がたった」と、木村さんへのお礼のメッセージが伝えられる。
早苗さん、道子さんは長野の標高千メートルの山の中で小さな山小屋で生活をしているところで映画は終わる。
原発事故も早苗さんの体には大きな影響を与えていると思うが、私たちも同じ状況であいかわらず「化学物質の海の中」で暮らしている。
原因が分かれば、対処もできる。
特に妊婦さんや子どもへの影響ははかり知れないので、化学物質過敏症を知ってもらい、健康被害を少しでも防いで欲しいと願っている。