goo blog サービス終了のお知らせ 

新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

禅天魔

2014-12-18 09:55:53 | 日記
毎月お手伝いさせていただいている坐禅会。
その坐禅会後の茶話会で、参加者のお1人から次のようなご質問をお受けした。
「日本の仏教宗派はいろいろあるみたいだけど、どの宗派でも坐禅はやるんでしょ?」と。

僕は、次のように答えた。
「そうだといいんですが。実は坐禅をやらない宗派も多いんです。
我々曹洞宗と、臨済宗、それから黄檗宗の3宗を“禅宗”と言ったりします。禅宗なので当然坐禅はします。あとは天台宗、それから真言宗でも坐禅に似た瞑想はします。それ以外の宗派は基本的に坐禅はしません。希に、浄土系のお寺さんなどで、禅宗の指導者を招いて坐禅会をなさっている、というような所などもありますが、一方で、日蓮宗の日蓮さんは、坐禅には批判的だったようです」と。

僕がそう言うと、いつも知ったかぶりの常連のオジイサンが口を挟んできた。
「仏教はそもそも1つでしょ!?坐禅に批判的な宗派があるわけがない!」のだそうだ。
オジイサンは更に、「仏教はどの宗派も不立文字!これが一番大切な教えでしょ!」と言っていた。

「いや、“不立文字”は我々禅宗しか言ってないんですけど」などと正論を言っても、オジイサンは怒りだすだけなので、申し訳ないが、適当に「はい、はい」と言っておいた(笑)

さて、日蓮宗を開いた日蓮さんが“禅天魔”と言って禅を批判した事について、簡単に確認しておきたい。

日蓮さんは、建長寺(臨済宗)の蘭渓道隆さんへの書状に於いて、次のように述べたという。

「念仏は無間地獄の業、禅は天魔の所為、真言は国をほろぼす悪法、律宗は国賊の妄説」と。
見ての通り、浄土宗・浄土真宗・禅宗・真言宗・律宗などの諸宗派を批判している。
ちょっとしたヘイトスピーチのような臭いすら感じる。

ともかく、上の日蓮さんの言葉が、後に日蓮門流に於いて、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」という四箇格言(しかかくげん)となったそうである。

但し、禅天魔の僕は…、あ、いやいや(笑)、禅僧の僕は、「なんだと!」と腹をたてて何か日蓮さんや日蓮宗さんに言い返すつもりは全くない。

我が道元禅師も、他を批判している箇所は見られる。
鎌倉時代、日蓮さんも、我が道元禅師も、みんな自らの宗派の正統性をアピールするのに一生懸命だったのであろう。

そもそも僕は、日蓮宗のお坊さんに知り合いがいるし、僕が生まれ育った家は、日蓮宗寺院の隣で、幼い頃の僕の遊び場は、そのお寺の境内だった。
だから僕は、他宗を批判する気にはならない(但し、新興宗教は除く)。

そもそも道元禅師(1200~1253)や、空海さん(774~835)や、親鸞さん(1173~1262)のようなおぼっちゃんたちと違って、日蓮さん(1222~1282)は、千葉の田舎の漁師の家で生まれた庶民の出だった。
そのせいか激しいところがあるような印象を受ける。
日蓮さんは、『法華経』こそが最高の経典として位置づけ、“お題目”を重視する。
また、『立正安国論』を書いて、かえって“邪教”とされて伊豆に流されたりしたそうである。
う~ん、いろいろご苦労なさったのだろうとお察しする。

尚、日蓮さんの残した著書『立正安国論』によって安心を、『開目鈔』によって教判を、『観心本尊鈔』によって宗旨を、『撰時鈔』によって依師を、『報恩鈔』によって信行を学ぶ事ができるとし、これを五大部というらしい。

更に、日蓮さんの高弟として有名なのは、日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の六老僧。

僕個人としては、森鴎外の『日蓮聖人辻説法』に、日朗さんが登場していたのを記憶している。

甚だ簡単ではあるが、“禅天魔”と言った日蓮さんについて、少しだけ触れてみた。

まあ、鎌倉時代はさておき、現代に於いては、各人お好きな宗教宗派と親しくあれば良いではありませんか(^^)
他宗を批判したり、在日外国人にヘイトスピーチするのは、みっともないからやめようよ(笑)

合掌




◆新・からっぽ禅蔵◆

にほんブログ村

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。