長年当ブログをお読み下さっている方々は、よくご存知の通り、僕は、元々タイで上座部仏教僧として出家し修行した。
その後、日本に帰国してから、日本の禅僧として出家した。
そうした経験から、タイの上座部仏教僧と、日本の大乗仏教僧との比較は、これまでにも度々ブログにも書いた。
双方の一番の違いは、タイでは200以上もある戒律を厳守する。その点で、大変厳しい。
それに比べると、日本では戒律などほとんど無いに等しい。
例えば、タイ僧侶は絶対に飲酒しないし妻帯もしない。また、定められた僧服以外の服(下着も含む)を着る事も全く有り得ない。
タイ僧侶は、私服も持たないし、ノーパンなのだ。
一方、日本では、戒律は甘いが、その代わり、僧侶間での上下関係が恐ろしく厳しい。
以上のような事は、過去にもブログに書いた。
さて、
タイ僧侶は、自らが厳守している戒律の厳しさについて、いちいち語ったりはしない。
(ちなみに、タイ僧侶は、自らが至った境地についても、自慢げに語ったりはしない。この点、どこかの国の禅マニアのブロガーさんたちとは大違いである。)
ところが、戒律にはほとんど無縁な日本の僧侶の中には、逆に、やたらと戒律について語りたがる方を時々目にする。
僕は、これには苦笑してしまう。
妻帯して、子供を連れて、酒でも飲みながら戒律を語る僧侶がいたら、それはまるでお笑いのコントでしかない(笑)
少なくとも、全く説得力がない。
だから僕は、日本では、あまり戒律の事を語りたくはない。
日本での僕は、妻子はいないが大切なパートナー(彼女)はいるいし、付き合い等々もあって飲酒する事もある。
従って、僕に戒律うんぬんと偉そうに語る資格はない。
もっと言えば、洋服を着て妻子を連れて、家族サービスで遊園地などへ遊びに行く僧侶を批判する資格も、僕にはない。
僕も洋服を着て、湖や海などの水辺へ遊びに行く事があるのだから(笑)
というわけで、写真は、またまた某県にてカヌーを漕いできた時に撮影したもの。
◆新・からっぽ禅蔵◆
その後、日本に帰国してから、日本の禅僧として出家した。
そうした経験から、タイの上座部仏教僧と、日本の大乗仏教僧との比較は、これまでにも度々ブログにも書いた。
双方の一番の違いは、タイでは200以上もある戒律を厳守する。その点で、大変厳しい。
それに比べると、日本では戒律などほとんど無いに等しい。
例えば、タイ僧侶は絶対に飲酒しないし妻帯もしない。また、定められた僧服以外の服(下着も含む)を着る事も全く有り得ない。
タイ僧侶は、私服も持たないし、ノーパンなのだ。
一方、日本では、戒律は甘いが、その代わり、僧侶間での上下関係が恐ろしく厳しい。
以上のような事は、過去にもブログに書いた。
さて、
タイ僧侶は、自らが厳守している戒律の厳しさについて、いちいち語ったりはしない。
(ちなみに、タイ僧侶は、自らが至った境地についても、自慢げに語ったりはしない。この点、どこかの国の禅マニアのブロガーさんたちとは大違いである。)
ところが、戒律にはほとんど無縁な日本の僧侶の中には、逆に、やたらと戒律について語りたがる方を時々目にする。
僕は、これには苦笑してしまう。
妻帯して、子供を連れて、酒でも飲みながら戒律を語る僧侶がいたら、それはまるでお笑いのコントでしかない(笑)
少なくとも、全く説得力がない。
だから僕は、日本では、あまり戒律の事を語りたくはない。
日本での僕は、妻子はいないが大切なパートナー(彼女)はいるいし、付き合い等々もあって飲酒する事もある。
従って、僕に戒律うんぬんと偉そうに語る資格はない。
もっと言えば、洋服を着て妻子を連れて、家族サービスで遊園地などへ遊びに行く僧侶を批判する資格も、僕にはない。
僕も洋服を着て、湖や海などの水辺へ遊びに行く事があるのだから(笑)
というわけで、写真は、またまた某県にてカヌーを漕いできた時に撮影したもの。
◆新・からっぽ禅蔵◆
仏道修行するために出家するんです。
戒律云々は出家後の話しです。
それから、記事に書いた通り、タイでは、戒律の厳守が徹底されていて、しっかりと戒律を守っていますよ(^^)
一方、日本の僧侶は、時には僧服ではなく洋服を着て遊びに出かける事あるんですよ、これが。
禅蔵 合掌