大学に提出する南泉についての夏期レポートも書き終えたし、ブログでは、前回南泉禅の核心とも言える“異類中行”についても触れた。
このあたりで一応一段落として、『景徳伝灯録』シリーズの続きは、今後また気が向いた時に書こうと思う。
で、今回は今更ながら南泉の師匠 馬祖道一について、少しく簡単に触れておこうと思う。
今回、「禅は馬祖道一から始まった!」と題した。
これは、某参考書の序文の冒頭に「中国の禅は、実質的には馬祖から始まった。」と書かれている事を真似たものである。
日本の禅が、中国の禅をそのまま踏襲したものである事は言うまでもない。
例えば、道元の『正法眼蔵』に書かれている道元の言葉も、実はその多くが中国の禅者が言った言葉を道元が真似ているに過ぎない。概ね中国の禅を無視して、禅を語る事は不可能なのである。
その中国の禅の代表的人物が、馬祖道一だと言っても過言ではない。
馬祖の師は南嶽懐譲で、南嶽と馬祖の間に交わされた問答「磨甎作鏡」は、あまりにも有名だし、道元もその著書『正法眼蔵』「坐禅箴」の中で引いている。
(そこでは道元独自の解釈をしている)
また、以下に挙げる禅者は、全て馬祖の弟子である。
西堂智蔵・百丈懐海(『清規』を制定し、禅宗独立の祖となる)・南泉普願(西堂智蔵、百丈懐海とともに馬祖下の三大士角立と称される)・麻谷宝徹(「風性常住」の公案が有名。また、石頭下の丹霞天然と交流あり。)・五洩霊黙(石頭の侍者も務め、また、洞山良价を接化する)・大梅法常(次の問答が有名。大梅、馬祖に問う「如何なるか是れ佛」。馬祖云く「即心是佛」。)・帰宗智常・マダレ龍居士(ホウコジ)。その他凡そ800人の弟子が馬祖下で修行したという。
馬祖道一(709~788。古くは707~786の説もあり。) 俗姓の「馬」を除かず、出家後にも「馬祖」と称されるのは珍しい。漢州(四川省)の人。資州(四川省)の唐和尚処寂(唐和尚=資州智“言先”のことという説もあり)の下で出家。 次いで渝州(四川省)の円律師より具足戒を受ける。その後、南嶽(湖南省)懐譲のもとに赴く。
馬祖の有名な語に、「即心是仏」「非心非仏」「道は修するを用いず、但だ汚染すること莫かれ。」「平常心是道」などがある。
特に、「即心是仏」なる作用即性の語は、用のみあって体がないとして、後に馬祖の弟子である南泉や、圭峰宗密(780~841。荷沢宗。華厳宗五祖。)から批判を受ける。しかしながら、荷沢神会が言っている「體用不異」〔体用は異ならず〕(『景徳伝灯録』巻三十・「荷澤大師顕宗記」テキスト630頁)の語を引き寄せて考えてみれば“体用一如”として反論も可能だろう。
そもそも、仏教発祥のインド仏教の視点からすれば、体を立てる事自体が仏教的ではないという事にもなる。
因みに馬祖本人は、「即心是仏」(厳密には、即心即仏)は、子供が泣くのを泣き止ませるための方便だと言っている。(『景徳伝灯録』巻六・「馬祖の章」テキスト105頁)。
また、坐禅についてであるが、禅宗史の初期を代表する荷沢神会や馬祖道一は、必ずしも「坐禅をしろ」とは言わない。
まぁ、それでも僕は、日々“異類中行”に只管打坐しているが。
合掌
このあたりで一応一段落として、『景徳伝灯録』シリーズの続きは、今後また気が向いた時に書こうと思う。
で、今回は今更ながら南泉の師匠 馬祖道一について、少しく簡単に触れておこうと思う。
今回、「禅は馬祖道一から始まった!」と題した。
これは、某参考書の序文の冒頭に「中国の禅は、実質的には馬祖から始まった。」と書かれている事を真似たものである。
日本の禅が、中国の禅をそのまま踏襲したものである事は言うまでもない。
例えば、道元の『正法眼蔵』に書かれている道元の言葉も、実はその多くが中国の禅者が言った言葉を道元が真似ているに過ぎない。概ね中国の禅を無視して、禅を語る事は不可能なのである。
その中国の禅の代表的人物が、馬祖道一だと言っても過言ではない。
馬祖の師は南嶽懐譲で、南嶽と馬祖の間に交わされた問答「磨甎作鏡」は、あまりにも有名だし、道元もその著書『正法眼蔵』「坐禅箴」の中で引いている。
(そこでは道元独自の解釈をしている)
また、以下に挙げる禅者は、全て馬祖の弟子である。
西堂智蔵・百丈懐海(『清規』を制定し、禅宗独立の祖となる)・南泉普願(西堂智蔵、百丈懐海とともに馬祖下の三大士角立と称される)・麻谷宝徹(「風性常住」の公案が有名。また、石頭下の丹霞天然と交流あり。)・五洩霊黙(石頭の侍者も務め、また、洞山良价を接化する)・大梅法常(次の問答が有名。大梅、馬祖に問う「如何なるか是れ佛」。馬祖云く「即心是佛」。)・帰宗智常・マダレ龍居士(ホウコジ)。その他凡そ800人の弟子が馬祖下で修行したという。
馬祖道一(709~788。古くは707~786の説もあり。) 俗姓の「馬」を除かず、出家後にも「馬祖」と称されるのは珍しい。漢州(四川省)の人。資州(四川省)の唐和尚処寂(唐和尚=資州智“言先”のことという説もあり)の下で出家。 次いで渝州(四川省)の円律師より具足戒を受ける。その後、南嶽(湖南省)懐譲のもとに赴く。
馬祖の有名な語に、「即心是仏」「非心非仏」「道は修するを用いず、但だ汚染すること莫かれ。」「平常心是道」などがある。
特に、「即心是仏」なる作用即性の語は、用のみあって体がないとして、後に馬祖の弟子である南泉や、圭峰宗密(780~841。荷沢宗。華厳宗五祖。)から批判を受ける。しかしながら、荷沢神会が言っている「體用不異」〔体用は異ならず〕(『景徳伝灯録』巻三十・「荷澤大師顕宗記」テキスト630頁)の語を引き寄せて考えてみれば“体用一如”として反論も可能だろう。
そもそも、仏教発祥のインド仏教の視点からすれば、体を立てる事自体が仏教的ではないという事にもなる。
因みに馬祖本人は、「即心是仏」(厳密には、即心即仏)は、子供が泣くのを泣き止ませるための方便だと言っている。(『景徳伝灯録』巻六・「馬祖の章」テキスト105頁)。
また、坐禅についてであるが、禅宗史の初期を代表する荷沢神会や馬祖道一は、必ずしも「坐禅をしろ」とは言わない。
まぁ、それでも僕は、日々“異類中行”に只管打坐しているが。
合掌