この映画は泣けるというよりも、悲しくなる。気分が落ち込む。
もちろん何度放送されようが、決して観ていないのですが、今、放送しているという事実だけで思い出してしまう。節子の姿を見るだけできつい。冒頭で二人が出会う姿があるから、必ずしも悲劇ではないという説明を聞いたことがありますが、多少なりでも救われたとは一切思えない。
もう20年前なんですね。嫌な年齢の時に記憶が刻まれてしまったと思う。完全にトラウマになってしまった。
観て損をするような映画ではないが、一度観れば十分であって毎年のイベントにするような映画でもあるまい。(どうせ、毎日大量に食事を破棄しているコンビニとかのCMが合間に流れているのでしょう。)
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とかもそうですけど、「他人の不幸」を眺める映画というのはどうも昔から好きになれない。
基本的に「他人の悲しみ」を絶賛することに対して抵抗がある。結局、「可哀想」とか言いながらも、本心ではどこかで誰かが悲しんでいるのを望んでいるのではないのか?映画に関わらず、実社会でも。
そんなことを思ってしまう。
もちろん何度放送されようが、決して観ていないのですが、今、放送しているという事実だけで思い出してしまう。節子の姿を見るだけできつい。冒頭で二人が出会う姿があるから、必ずしも悲劇ではないという説明を聞いたことがありますが、多少なりでも救われたとは一切思えない。
もう20年前なんですね。嫌な年齢の時に記憶が刻まれてしまったと思う。完全にトラウマになってしまった。
観て損をするような映画ではないが、一度観れば十分であって毎年のイベントにするような映画でもあるまい。(どうせ、毎日大量に食事を破棄しているコンビニとかのCMが合間に流れているのでしょう。)
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とかもそうですけど、「他人の不幸」を眺める映画というのはどうも昔から好きになれない。
基本的に「他人の悲しみ」を絶賛することに対して抵抗がある。結局、「可哀想」とか言いながらも、本心ではどこかで誰かが悲しんでいるのを望んでいるのではないのか?映画に関わらず、実社会でも。
そんなことを思ってしまう。