南京支局長時代、社屋前で 従軍記者時代(みな故人)
父が大学出たころは「大学は出たけれど」という歌があるくらい不況でした。
夢破れ(司法界希望)伝手を辿って東京から名古屋へきました。
私が生まれた直後のこと(私は一応東京生まれです)
伝手とは同級生(愛知一中時代)の父上が新聞社の社長さん
会社が用意してくれた借家で3人で暮らし始めました。
新米記者はサツ回りから始めるようで、熱田警察署だった。
その借家に住んでかなり過ぎたころ、父は母に
「実はこの家は首つり自殺があった」と告げました。
母もさるもの近所の人から聞いてとうに知っていたと。
母は何も父に言わないところが面白い。二人で化かし合い?
「家賃が安くて助かった」とこのことがばれてからの父の弁でした。
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涼しくなったらあれもやろう、これもと待ち構えていたのですが
テキパキことを運べなくなりました。涼しくなりましたのに。
脱線も多いし、体も言うこと聞いてくれない。
それでも一つでも達成できた日は気分は上々です。
噂があり、怨霊が出ると言われました。
屋根裏や階段で足音がして、肝を潰した
ことがありました。
気にすると幻聴や幻覚が起こるるようです。
今では怖くて住めませんが、いい思い出に
なっています。
季節も良くなったので、外の空気を大いに
吸いたいですね。
夜は真っ暗、周囲の山々と相俟って
肯ける噂です。
一人住まいならなお気持ち悪いです。
「幽霊の正体みたり枯れ尾花」と
言いますから
おっしゃるように気にしだすとあらゆるものが
怖ろしくなるものでしょうね。
最近は図々しくなり平気ですが、
一人住まいになった当初は
コトリ!の音にもおびえました。
貸していた家のご主人がやはり自殺
されてもうびっくりでしたよ。
でも、その後もあまりいいことがなくて
お祓いして貰ってた記憶があります。
昔のことはいろいろと、どんなことでも
懐かしいですね〜
秋だけれど何を着たら良いか迷います。
暑かったりまだ寒いときもあるし〜
大変だったことでしょう。
お祓い後はなにごともなかったのでしょうか。
そうなんです、昨日の夜のことは忘れてしまっているのに
何十年も前のことはたくさん覚えています。
これは私の年齢では正常?なことのようです。
寒暖の差が大きい今の季節、
上手に調節しないと風邪引いても大変!
気を付けましょう。
私はこの宿はとか、この楽屋とか聞いたことがありました。
私は余りはっきりは覚えて無いのですが(#^^#)
レイさんはしっかり覚えておられますねそれに御父上を尊敬されています。
立派な写真も残っていますし。
彼岸花が綺麗ですね。
私は戦後生まれですが、「大学は出たけれど」という歌、
どこかで聞いたことがあるような気がします。
そんな厳しい時代、第一志望の夢は破れたとしても、
良い就職口があり、家族揃って生活できたことは幸せでしたね。
私も断捨離やエンディングノートの作成をしなければと
思っているのになかなかできません。
忘れることが多くて困っています。
幸いにも致命的なことは起きていませんが。
何事もメモしますが、メモ忘れると悲劇です。
秋を感じますよね。
父からは当時のことを何度も聞かされました。
若くて私が生まれたので大変だったと思います。
「終活」私も今頃慌てているのですから
hiroさんはまだまだ先のお話と思います。