夫とはトルコを旅行中に知り合い、
2003年からトルコに住み始めたが、
結婚はしていなかった。でも、婚約はしていたので
嫁同然と周囲は見ていた。
トルコでは兄弟、親戚、近所との結びつきが強く
何か行事があるごとに集まる。
最初の年アシュレ
で、言葉もろくに出来なかったこともあり、
また、いいところを見せようと
自ら率先して、しかもゴム手袋、エプロンを
持参し、私の役割は皿洗いしかない!と
意気揚々とひたすら皿洗い。
それがまずかった。それからというもの、
毎年のように皿洗いをさせられる羽目となったのだ
トルコ語もまあまあ出来るようになり、
トルコにも慣れ、性格もかなり
図太くなり、トルコでは口で言わないと
分かってもらえないということにも
気づいた。
私と同い年の夫は7人兄弟の下から2番目。
結婚は一番最後。確かに私は嫁としては
新参者だわよ。でもね、年は負けちゃいないのよ!
長男と次男の嫁を除けば、みな私より年下なのだ。
(トルコの田舎では見合いが多く、夫は10歳以上離れていたほうが
いいとされている。というのは、経済的にも安定していると
思われているから)
日本人は童顔ということもあり、なかなか信じてもらえない。
万年皿洗いは続くのである。
また、うちの夫が私の実家に畑があり、父がトラクターを
持っているということを自慢気に吹聴したもんだから、
ラム子→農家の娘→力持ち→何でもやる!
というイメージが作られてしまった。
(畑といっても定年退職した両親が細々と自分たちで
食べる分を作っているというくらいのレベル)
義母と他の嫁と一緒に畑の草取りをさせられたのには参った。
草取りなんて、中学校の行事以来だ。日本の家の敷地の草取りでさえ
したことなかったのだ。私は虫が大嫌いで土いじりも好きじゃない。
両親でさえ、私に畑仕事、草取りをやらせたことはないぞ。
その日、夫に『うちの両親の遺言でね、(←まだ生きている)
農家には嫁がせない、借金の保証人にはなるな!って、言われているの。
私はジャポンだ。私に畑仕事させたら、うちの両親が怒るからね!』
とまくしたてた。それ以来、私は畑仕事はやっていない。
トルコでは1年に数回、家中の絨毯を洗う。
義母もせっせと自宅で洗っていたのだ。
年老いた義母が洗っているのを見てみぬふりは
出来ない。これも嫁の仕事。(今はクリーニング屋に頼むようになった)
(日本の実家の私の部屋のアクリルカーペットは20年近く
敷いたままだぞ
)
うちの義兄弟でただ一人、畑仕事もしない、皿洗いもしない、
絨毯も洗わない嫁が一人いる。彼女は都会育ちで実家には
お手伝いさんもいる。私が○○には頼まないの?と
聞くと、○○は出来ないから、知らないから、皆口々に言う。
えー、私だって、出来ないし、知らないよ、
お嬢様じゃないけどさ
二言目には『私はジャポンだ』
そもそも、
私が羊を1匹飼い始めたもんだから、余計に農作業が
出来るとされちゃったようだ。
最初の年はホテルも手伝っていなかったので、
暇でしょうがなく、犬が欲しかったけれど、
同じ敷地に住んでいた義母が犬嫌いだったので、
羊ならいいだろうと1匹買ってきたのだ。
それがラムちゃん。
義母は私がラムちゃんと散歩に行けるようにと
布で手作りのリードを作ってくれた。
私は嬉しくて、毎日ラムちゃんとあちこち
出かけた。みんなから後ろ指指されて
笑われていたけれど、私はラムちゃんと
一緒で幸せだった。
ラムちゃんが病死して今月でちょうど3年になります。


↑これから毛を刈り始めるところ

2003年からトルコに住み始めたが、
結婚はしていなかった。でも、婚約はしていたので
嫁同然と周囲は見ていた。
トルコでは兄弟、親戚、近所との結びつきが強く
何か行事があるごとに集まる。
最初の年アシュレ
で、言葉もろくに出来なかったこともあり、
また、いいところを見せようと
自ら率先して、しかもゴム手袋、エプロンを
持参し、私の役割は皿洗いしかない!と
意気揚々とひたすら皿洗い。
それがまずかった。それからというもの、
毎年のように皿洗いをさせられる羽目となったのだ

トルコ語もまあまあ出来るようになり、
トルコにも慣れ、性格もかなり
図太くなり、トルコでは口で言わないと
分かってもらえないということにも
気づいた。
私と同い年の夫は7人兄弟の下から2番目。
結婚は一番最後。確かに私は嫁としては
新参者だわよ。でもね、年は負けちゃいないのよ!

長男と次男の嫁を除けば、みな私より年下なのだ。

(トルコの田舎では見合いが多く、夫は10歳以上離れていたほうが
いいとされている。というのは、経済的にも安定していると
思われているから)
日本人は童顔ということもあり、なかなか信じてもらえない。
万年皿洗いは続くのである。
また、うちの夫が私の実家に畑があり、父がトラクターを
持っているということを自慢気に吹聴したもんだから、
ラム子→農家の娘→力持ち→何でもやる!
というイメージが作られてしまった。
(畑といっても定年退職した両親が細々と自分たちで
食べる分を作っているというくらいのレベル)
義母と他の嫁と一緒に畑の草取りをさせられたのには参った。
草取りなんて、中学校の行事以来だ。日本の家の敷地の草取りでさえ
したことなかったのだ。私は虫が大嫌いで土いじりも好きじゃない。
両親でさえ、私に畑仕事、草取りをやらせたことはないぞ。
その日、夫に『うちの両親の遺言でね、(←まだ生きている)
農家には嫁がせない、借金の保証人にはなるな!って、言われているの。
私はジャポンだ。私に畑仕事させたら、うちの両親が怒るからね!』
とまくしたてた。それ以来、私は畑仕事はやっていない。
トルコでは1年に数回、家中の絨毯を洗う。
義母もせっせと自宅で洗っていたのだ。
年老いた義母が洗っているのを見てみぬふりは
出来ない。これも嫁の仕事。(今はクリーニング屋に頼むようになった)
(日本の実家の私の部屋のアクリルカーペットは20年近く
敷いたままだぞ

うちの義兄弟でただ一人、畑仕事もしない、皿洗いもしない、
絨毯も洗わない嫁が一人いる。彼女は都会育ちで実家には
お手伝いさんもいる。私が○○には頼まないの?と
聞くと、○○は出来ないから、知らないから、皆口々に言う。
えー、私だって、出来ないし、知らないよ、
お嬢様じゃないけどさ

二言目には『私はジャポンだ』

そもそも、
私が羊を1匹飼い始めたもんだから、余計に農作業が
出来るとされちゃったようだ。
最初の年はホテルも手伝っていなかったので、
暇でしょうがなく、犬が欲しかったけれど、
同じ敷地に住んでいた義母が犬嫌いだったので、
羊ならいいだろうと1匹買ってきたのだ。
それがラムちゃん。
義母は私がラムちゃんと散歩に行けるようにと
布で手作りのリードを作ってくれた。
私は嬉しくて、毎日ラムちゃんとあちこち
出かけた。みんなから後ろ指指されて
笑われていたけれど、私はラムちゃんと
一緒で幸せだった。
ラムちゃんが病死して今月でちょうど3年になります。


↑これから毛を刈り始めるところ
