甘い生活 since2013

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写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

縄文土器とタローさん

2022年12月08日 21時34分00秒 | 古いカードから

 こんなことを抜き書きしていました。30年以上昔の私は、もう何でも見てやろう精神があったんでしょう。もちろん、限界はたくさんあるので、狭い世界の中であれこれ見たがっていたようです。

 岡本太郎さんが縄文土器について書いておられました。

 私が本当に「日本」を身をもって発見したと思ったのは戦後であった。ある日、偶然、上野の博物館で、初めて縄文土器の異様な美に触れ、全身が膨れ上がった。底の底から戦慄した。日本の根源を突きとめたと思った。無限に渦巻き、繰り返し戻ってくる。そのすごみ。

 上野では今、国立博物館ブームが続いているけれど、きっとたくさんの人が押しかけていると思いますが、縄文土器とは、シンプルなんだけど、情熱が感じられるんでしょう。どうしてこんなに縄目が必要なのか、装飾過多じゃないのか、なんて思うんだろうか。

 それはいわゆる「日本風」とは全く正反対だ。あまりにも異質なので、それまではだれもがこの国の伝統とは考えなかった。単に考古学的資料として扱われ、美術史からも除外されていた。しかし、私はそこに日本人としてビリビリ受けとめる、迫ってくるものを感じ取った。そして私はその感動を文章にして発表した。それはひどく衝撃的な発言と受け取られたようだ。

 誰も注目していなかった縄文土器は、タローさんによって見つけられた。この古い人たちの力をタローさんだからこそ、感じられたんでしょう。

 縄文土器論を私は美学的な問題やただの文化論として書いたのではない。つまりこれから日本人がどういう人間像をとり戻すべきかということのポジティブな提言であり、またあまりにも形式的で惰性的な日本観に、激しく「ノー」を発言したのだ。いわゆる日本的と考えられている弥生式以来の農耕文化の伝統、近世からのワビ、サビ、シブミの平板で陰湿なパターンに対して、太々と明朗で強烈な、根源的な感動をぶつける。
〈岡本太郎「純粋な生命の戦慄」より〉→1994.1.26記録


 その通り、そんなに語るものではないのかもしれないけど、やたら情熱がガンガン伝わってくるんでしょう。コロナが終わったら、国立博物館に行くか、それとも青森を旅するか、なんでしょうね。

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