甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ザギトワさん、コルブトさん

2019年11月28日 05時00分05秒 | ザンネン日記・身辺雑記

 大事なことをしないで、横道にそれてばかり。まあ、それが私というものか。

 本当なら、グッスリスヤスヤ寝てなきゃいけないのに、今朝は三時くらいから起きています。昨夜あんなに眠かったのだから、もっといっぱい寝たらいいのに、汗をいっぱいかいて、「眠れない」とぼやいています。

 それで、こんな時間にパソコンを開いてしまった。

 そしたら、以前栃ノ心さんのことを調べていて、ジョージア(昔はグルジアと言ってましたけど、本当はどっちなんだろう)という国の、何系だったかな。それはもう、民族の十字路だから、いろんな民族がいるのだと気づきました。

 2018冬の平昌(ピョンチャン)オリンピック、フィギュア・スケートのゴールドメダリストとなったザギトワさん、彼女は見るからにロシア系ではないようで、いったいどこの人なんだろう。それでまたPCだったのです。

 こんな夜中に、依然調べたことをまた同じようにやっていました。

 ロシア国内の……共和国の人。ムスリムでタタール系の人。妹さんもスケートで奮闘中とか、いろんな情報が入ってきます。キャラクター好きとか、そんなの全部追いかけてたら、私の人生なんてあっという間に終わってしまう。

 要は、彼女は、マイナーな民族からスケートの選手としてのし上がったようです。ロシアは、それはもういろんな人たちがいますから、1972年のミュンヘンの時のオルガ・コルブトさん、彼女はベラルーシの出身で、現役時代は人に言えない苦労がたくさんあった。引退してから、アメリカに渡り、今もアメリカ在住。

 私は、コルブトさんの生意気そうなところ、気の強そうなところ、それでも、隠せないキュートなところ、そういうところが好きだったと思われます。そんなに熱狂的ではなかったけれど。後々、万引きで捕まったり、暴露本を書いたり、アメリカに渡ってから、彼女はあまり幸せではなかった。でも、元気でおられることが、当時のファンとしてはうれしい。はすっぱな女になんて欲しくはない!

 そのあと、女子の体操でソ連チームを引っ張ったネリー・キム選手は、朝鮮系のお父さんとタタール系のお母さんの血を受け継いでいたそうでした。彼女は1976年のモントリオール、ということは、コマネチさんが頑張りまくったとき、その時にソ連チームを支えていました。そういう人なのだから、ソ連としては大事にしたらいいのに、アメリカへ渡ってしまった。

 いろんな人たちが、いろんな経歴をふまえて今にいたり、また、どこかへ住みかを求めて移動していくみたいで、キムさんは私と同年代で、今はアメリカ在住ということでした。アメリカって、一つの目的地になってたんですね。

 もう5時を過ぎてしまいました。もう寝ません。今日一日せいぜい頑張って、また早く寝ましょう。そしてまた、早く起きるのかな。悪い流れがずっと続いています。

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