十歳の頃、近所のアパートの階段をめぐる遊びをしていた。
たぶん、今ごろの季節、家庭訪問が始まって、担任の先生の案内して、あちらこちらをめぐっているうちに、よそのアパートの階段を上がってみるクセがついたのだろう。
何しろ何でも見てしまいたい、好奇心やスケベ心がいっぱいのクソガキだ。知らないアパートの階段の下に立ち、みんなで相談して、「行く? 行かない?」を決めて、行くとなったら、ひたすら上をめざすし、何だか怒られそうだったら、すぐに逃げ出してこなくてはならないし、つまらない遊びを始めたものだ。
屋上にたどり着けたら、そのままもの干し場までたどりつき、洗濯物なんか見向きもせず、とにかくそんなてっぺんの空間があるものなのかと感心して、みんなでワイワイしていた。1人で行くということは絶対なかった。これはみんなとの肝試しの1つだったのだから。
だから、知っている子が住んでいるアパートではなくて、なるべく無機的な、高層アパートがよかったのだけれど、そういう建物は、まわりにはなくて、せいぜい4階建てで、ベランダなんかあまりなかった。
……ガヴァドンはいなかったけれど。
私の育った町には、市営住宅みたいなのはあまりなくて、みんな民間のアパートだった。よくよく考えてみれば、市営の住宅はあったのだが、それらはみんな平屋の建物で、そこはオケラをつかまえに行くか、放置されている土管の上で遊ぶかする場所であった。
私が地元と関係が薄れた頃、たぶんバブルの前くらいに、たくさんの高層市営住宅が建ち始め、町の雰囲気は無機的へと変わっていくのだが、もっと小さい頃は、もっと猥雑で、小さくて、ゴチャゴチャしていた。
とはいえ、もうその頃には、道はすべて舗装されていたように思う。ウルトラQやウルトラマンが放映された60年代後半の頃は、完全には舗装されていなかったのに、いつのまにか町から土の見えるところはかき消されていた。
少しずつアパートめぐりは刺激の度合いを高めていく。どうしてももっと高い建物に上がってみたいという欲求が募ってきたのである。
……母が初めて大阪で所帯を持った地域をバスは通り越していくのです。
かくして私たちクソガキ集団は、バスに乗り、十階建ての高層マンションというものの見物に出かけるのであった。
そこは、海にも近い地区で、そのど真ん中に高層マンションはあった。「マンション」ということばも、確かこのころに聞いたのだ。アパートの高級なもの、エレベーターがついている、立派で大きな建物を「マンション」と区別するのだと、少しずつ知るようになった。
いつかそういうマンションとやらに住んでみたいが、うちはそんなところに引っ越す予定はないみたいだし、アパートの二間に家族四人が暮らしていた。まあ、他のみんなもそんなもののようだった。
かくして、マンションに入り込む、バスから降りた集団は、おっかなびっくり建物の中に入る。階段を上った記憶はないから、すぐにエレベーターを、さも乗り慣れた雰囲気で、決してクソガキどもが用もないのにエレベーターに乗っているという感じのでないように用心して、乗ったような気がする。
たぶん、昔のエレベーターなので、完全に金属に閉ざされた箱の中だったと思うのだが、どういうわけか、記憶の中ではエレベーターはシースルーで、どんどん上がるにつれて外の風景が見えていたような感じだ。でも、たぶん、それは何度もそういうエレベーターに乗った体験が重なって、初めてのエレベーター体験を美化しているのだろう。
最上階で、海が見えたり、自分たちの住む地域が見えたり、何かあったのだと思う。けれども、まるで記憶はなくて、それなのに1回ではなく、数回上りに来たような印象があるので、何か楽しいことがあったのだと思うが、それが何であったのか思い出せない。
少し前に見た「忍者部隊月光」の影響があったんだと思う。ビルのかげにはあやしい敵がいて、自分たちに襲いかかってくるから、だれにも知られずに自分たちのミッションを行う、大人からすると、何をやっているのかわからないクソガキどもで、自分たちの姿をみたとたんに、隠れたり、逃げていったりするこどもたちがいたのだろう。今なら防犯カメラでチェックされて、警備員さんにつまみだされるところだけれど、昔はマンションでの忍者ごっこも大目に見てくれたのだ。
そして、私は今、イケアに歩いて行くときに、なんとなく見上げてなつかしんでいる。
中味はおぼえてないけど、本編が始まる前の寸劇、あれで十分に引き込まれました。この人たち、人を殺してはいけなかったんですよね。さすが、戦後日本だ!
たぶん、今ごろの季節、家庭訪問が始まって、担任の先生の案内して、あちらこちらをめぐっているうちに、よそのアパートの階段を上がってみるクセがついたのだろう。
何しろ何でも見てしまいたい、好奇心やスケベ心がいっぱいのクソガキだ。知らないアパートの階段の下に立ち、みんなで相談して、「行く? 行かない?」を決めて、行くとなったら、ひたすら上をめざすし、何だか怒られそうだったら、すぐに逃げ出してこなくてはならないし、つまらない遊びを始めたものだ。
屋上にたどり着けたら、そのままもの干し場までたどりつき、洗濯物なんか見向きもせず、とにかくそんなてっぺんの空間があるものなのかと感心して、みんなでワイワイしていた。1人で行くということは絶対なかった。これはみんなとの肝試しの1つだったのだから。
だから、知っている子が住んでいるアパートではなくて、なるべく無機的な、高層アパートがよかったのだけれど、そういう建物は、まわりにはなくて、せいぜい4階建てで、ベランダなんかあまりなかった。
……ガヴァドンはいなかったけれど。
私の育った町には、市営住宅みたいなのはあまりなくて、みんな民間のアパートだった。よくよく考えてみれば、市営の住宅はあったのだが、それらはみんな平屋の建物で、そこはオケラをつかまえに行くか、放置されている土管の上で遊ぶかする場所であった。
私が地元と関係が薄れた頃、たぶんバブルの前くらいに、たくさんの高層市営住宅が建ち始め、町の雰囲気は無機的へと変わっていくのだが、もっと小さい頃は、もっと猥雑で、小さくて、ゴチャゴチャしていた。
とはいえ、もうその頃には、道はすべて舗装されていたように思う。ウルトラQやウルトラマンが放映された60年代後半の頃は、完全には舗装されていなかったのに、いつのまにか町から土の見えるところはかき消されていた。
少しずつアパートめぐりは刺激の度合いを高めていく。どうしてももっと高い建物に上がってみたいという欲求が募ってきたのである。
……母が初めて大阪で所帯を持った地域をバスは通り越していくのです。
かくして私たちクソガキ集団は、バスに乗り、十階建ての高層マンションというものの見物に出かけるのであった。
そこは、海にも近い地区で、そのど真ん中に高層マンションはあった。「マンション」ということばも、確かこのころに聞いたのだ。アパートの高級なもの、エレベーターがついている、立派で大きな建物を「マンション」と区別するのだと、少しずつ知るようになった。
いつかそういうマンションとやらに住んでみたいが、うちはそんなところに引っ越す予定はないみたいだし、アパートの二間に家族四人が暮らしていた。まあ、他のみんなもそんなもののようだった。
かくして、マンションに入り込む、バスから降りた集団は、おっかなびっくり建物の中に入る。階段を上った記憶はないから、すぐにエレベーターを、さも乗り慣れた雰囲気で、決してクソガキどもが用もないのにエレベーターに乗っているという感じのでないように用心して、乗ったような気がする。
たぶん、昔のエレベーターなので、完全に金属に閉ざされた箱の中だったと思うのだが、どういうわけか、記憶の中ではエレベーターはシースルーで、どんどん上がるにつれて外の風景が見えていたような感じだ。でも、たぶん、それは何度もそういうエレベーターに乗った体験が重なって、初めてのエレベーター体験を美化しているのだろう。
最上階で、海が見えたり、自分たちの住む地域が見えたり、何かあったのだと思う。けれども、まるで記憶はなくて、それなのに1回ではなく、数回上りに来たような印象があるので、何か楽しいことがあったのだと思うが、それが何であったのか思い出せない。
少し前に見た「忍者部隊月光」の影響があったんだと思う。ビルのかげにはあやしい敵がいて、自分たちに襲いかかってくるから、だれにも知られずに自分たちのミッションを行う、大人からすると、何をやっているのかわからないクソガキどもで、自分たちの姿をみたとたんに、隠れたり、逃げていったりするこどもたちがいたのだろう。今なら防犯カメラでチェックされて、警備員さんにつまみだされるところだけれど、昔はマンションでの忍者ごっこも大目に見てくれたのだ。
そして、私は今、イケアに歩いて行くときに、なんとなく見上げてなつかしんでいる。
中味はおぼえてないけど、本編が始まる前の寸劇、あれで十分に引き込まれました。この人たち、人を殺してはいけなかったんですよね。さすが、戦後日本だ!