甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

夢の夜行列車

2023年06月02日 21時07分04秒 | 鉄道のこと

 昨日の夜に考えて、ものすごくいいアイデアだと思いましたが、たぶん、実現しないだろうと今ではションボリしています。でも、書かずにはいられない。昨日書けなかったのは、室内の様子を描けなかったからでしたね。

 無理かもしれないけど、希望は捨ててはいけないから、細く長く希望していこうと思います。実現すれはばいいんだけど……。

 昨夜考えたのは、つまらないことでした。ただの依怙贔屓の、三重びいきなアイデアです。JR西日本の方は、もっと他のことを考えておられるでしょうし、生意気なことを鉄道会社がしたら政府関係筋に怒られるでしょうし、ジリ貧でやっていくのだと思われます。いや、希望は捨ててはいけない!

 昔、存在した列車を復活させるだけです。それだけのアイデアです。



 1973年10月の時刻表を見ますと、名古屋から23:36発の急行・紀州5号というのがあります。紀勢線の東側(三重県側を走り)紀伊勝浦5:43着、こんな列車が走っていました。[紀伊勝浦から折り返しで6:02発で名古屋11:08着になったでしょうか。名古屋でしばらく休憩して夜にまた出たのかどうか?]

 それから、東京21:30発の急行・紀伊・寝台列車で五両編成です。銀河1号と連なっていて(大阪行き)合計は14両編成でした。紀伊勝浦に9:02に到着です。はるばる半日かけて勝浦に到着でしたか。毎日、この列車で和歌山と東京を行き来する人々がいたんですね。たぶん、新宮・熊野・尾鷲などの紀州の人々は、東京に行くということは一晩かけて行くということだったんでしょうか。つい50年前の話です。

 あともう1つ、名古屋15:22発の天王寺行きという普通列車がありました。本州最南端の串本には23:55着の真夜中。普通ならこれで終わりですが、この列車は和歌山側をトコトコ走り、翌朝の5時にやっと天王寺に着きました。13時間ぷっ通しで天王寺まで乗る人がいたとは思えないけど、和歌山の人には、真夜中に乗って朝早く大阪に着く普通列車がある、というのは皆さんご存じだったのかもしれません。



 名古屋方面から3つもあったんですから、大阪から見たらどうなるんでしょう。

 天王寺23:30発の急行・きのくに15号は5:30新宮到着です。一晩ずっと走っていたんですね。でも、6時間だから、ボンヤリしてたら夜が明けたでしょうか。ちゃんと眠れたかどうか、怪しいです。

 東京から朝の9時に勝浦に届いた寝台急行は、9時間あれこれ準備して、夕方の18:33に出発します。東京には6:30着です。ああ、爽やかに起きられたかなぁ。もう東京到着前からドキドキして早く眼が覚めたでしょうか。これは乗りたかったです。でも、長いですけどね。50年前は、私は大阪にいたので、わざわざ熊野経由で東京なんて、考えもしませんでした。


 普通列車はどうだったでしょう。天王寺22:40発の普通列車の名古屋行きがありました。普通列車なのに、新宮まで寝台車両も連結しています。急行よりも早く5:12新宮着。続いて熊野市6:27着、尾鷲7:19着、もうこの辺りで通学用に変わって、名古屋は13:08着、なんと14時間以上も走ることになります。ずっと同じスタッフが勤務し続けることはなかったと思われますが、列車としては長い間を走っていたことになります。

 50年前に紀勢線を走った3本の夜行列車をふり返りました。

 今の時代には合いません。そもそも需要がなかったから、すべては消滅したのです。夜中に熊野を走ろうとか、朝到着したら熊野だったというお客さんはもういません。そんなに長く鉄道に乗りたくないのです。まあ、昔の車両はトイレは狭くて暗いし、和式だし、そんなとこにしゃがんだら、線路に脇に転がされそうでしたもんね(そんなことは絶対にないんだけど)。

 JR西日本が定期的な夜行列車を近畿地方で走らせようと思ったら、山陽・山陰などを数日かけて高額なお値段でプレミアム感たっぷりで走っているご立派な寝台特急がありますが、普通に使える夜行列車は消滅しました。

 せめて、普通のサービスで、きれいな室内にゆっくりとできて、それなりにリーズナブルで、何度でも乗れる列車って、ないものでしょうか。

 私の提案は、京都を22:00発で、新大阪22:40、天王寺23:00発、そこから停車駅は、和歌山24:00発、紀伊田辺1:30発、串本3:00発、紀伊勝浦4:00発、新宮5:00発、熊野市5:40発、尾鷲6:40着の夜行急行の復活です。ここで折り返します。

 串本に3時は早すぎるかな。もう少しゆっくりして、新宮5:30着、尾鷲に7:00着、これも早すぎるかな。とにかく、時間は検討が必要ですね。

 熊野めぐりのお客さんのリピーターたちを集めて、古道歩き、温泉巡り、霊場巡り、地元の名峰めぐりなどを提案して、あちらこちら行ってもらうんです。お泊りはそれぞれ考えてもらって、列車の一泊と熊野めぐりと、あとはお帰りルートもそれぞれに検討してもらう。

 列車そのものは、寝台を片づけて、清掃して、9時くらいに快速車両として新宮まで運転して、ここでディーゼル車両をはずして、電気機関車をとりつけ、11時から急行運転をして京都まで行く。しかも、コンパートメントだから、二人でゆったり座って、ずっと左手の海を見続けて、16時ころ京都着。ここでまた清掃して22時の出発に合わせる。一編成の新型車両で運営し、うまく軌道に乗れば、もう一編成作ったり、臨時列車を出したり、関西の人々にとって、近くて遠いフロンティアの熊野地方へ何度も何度も来てもらう。



 そういう夢の夜行列車が生まれたらなあ、という私の夢でした。やはり、魅力ないかなあ。何か、もっとカチッとした魅力づくりが必要ですね。深い山もあるし、未知の古道もあるし、いろんなアクティビティもあるんだけど、熊野地方というのは、関西の人々には近くて遠い、自分にゆかりのない土地になっています(平安末期にみんなが憧れて、天皇様・上皇様のみなさんが何度も来られたのに、今ではつまらない土地として切り捨てられています。みんな、そこで何かを得ようとしすぎなんだよな……、何にもないところで、ひたすら歩いたり、ひたすら川下りとか、いろんなことして欲しいんだけどなあ)。

 うちの親たちの世代は、何十年か前に西国三十三か所めぐりでフィーバーして、何度か熊野地方に来てくれました。息子がそちらで仕事をするとは知らずに……。でも、今の若い人たちは、全く視野にははいってないでしょうね。

 ああ、夢の夜行列車、新型車両、コンパートメント型の寝台、できないだろうな。

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