70年代、まだ世界は冷戦の時代の中を生きていました。共産主義陣営か、それとも資本主義陣営か、どこの国もどちらかに加担していました。第三世界もあったはずですが、日本ではそうした土地の空気は味わえなかったでしょう。
米国が進める世界秩序の中で、日本としてできる限りのことをしていこうと、ささやかな努力の一つとして日本万国博覧会(1970)みたいなものがありました。
世界は、とりあえず見に来てくれる人たちもいたけれど、欧米の国の一部が主で、中国も、韓国も、台湾も、フィリピンも、ソ連からも、どれくらいの人が来てくれたものか、まだまだ日本は世界の中に自分の位置を見つけられていなかった気がします。
その四半世紀前まで、日本は世界を相手に戦争をして、世界から拒否され、反発され、傷痕と人々への負担だけを残して小さくまとまっていました。
だから、どんなに加工貿易などと称して、世界を相手に工業製品を売り出していくということにしていた、はずなんですが、どれくらいの信用があったのか、それは不明です。少しずつは評価されてたんでしょうか。
70年代は、いろんなクルマが生み出され、家電メーカーが世界に進出し、造船も盛んだっただろうし、繊維製品も世界で買ってもらえるところまで来ていたのかどうか……、それから半世紀が過ぎていますが、今、世界に買ってもらえるものは、クルマも、家電も、せんいも、何もかもが怪しくなっていて、元からあったお米、果物、お肉、そんな第一次産業から生まれるものが珍重される、そんな国になっているような気がします。
ずいぶん、しぼんできたんですね。再び工業国になる可能性はないのでしょうか? 基本的な技術やら、教育を存分に受けられる人と、まるで受けられない人と二極化していて、技術と教育もジリ貧です。人口は減っていくし、生活はこれ以上豊かにはならないし、国土はソーラーパネルでズダズタです。外国資本に風光明媚な土地は買い占められ、やがては自然にふれあうにも、お金を払って自然に触れさせてもらう、そういう時代がやって来るのでしょうか。
何かしようと思っても、政府は莫大で返済不可能な借金を繰り返し、だれもその返済のことを考えないなんて、もうそういうのに慣らされている私たちです。
日本と同じように、ロシアも沈没する船ですけど、あそこには天然資源があるわけですから、政府がなくなっても、国としては成り立っていくでしょう。とにかく、石油などの天然資源を買ってもらう、ただそれだけです。
さあ、水木さん、三度目はどうなるんでしょう。
僕の南方狂は少しも衰えなかった。楽園では、まちがいなく幸福度が高いのだ。生活と欲望のいたちごっこをしているブンメイの日本より、土人たちの方が幸福なのだ。
僕は、多忙な生活のあいまに、南方でのくらしを空想しては、一人でほくそえんだ。
言うのを忘れてましたが、水木さんは「土人」という一般的には差別的な用語とされる言葉を使っています。でも、まったく水木さんには偏見はなく、相手への蔑視もなく、土地の人という意味で使っているようです。
だから、逆にこの「土人」にドキッとする自分の偏見を照らされるようで、何ともないように、水木さんみたいにサラリと、地元の中に溶け込んで見せなきゃいけないのです。……たぶん、それができなくて、私には偏見の壁を作るところがある気がします。ボーフラの浮いた水を飲むなんてとか、芋が主食だなんてとか、なんだかんだと線を引いているのでしょう。それをなかなか乗り越えられない。
五年間のブランクが空きました。さあ、どうなるんでしょう。日本では、少しずつバブルに向かって行く最中だったのかもしれません。
この(空白の)五年間で、楽園はがらりとヘンボウしていた。
道はアスファルト、海にはモーターボート、町のスーパーには何でも売っている、というありさまだった。
我が友トペトロも、前はバナナや芋を常食にしていたのに、今ではライス(米)にカンヅメ。タバコも、以前は自家製のタバコの葉にバナナの枯れ葉をまいて喫っていたのだが、今じゃパイプ。
家は、ヤシの葉で壁も屋根も涼しげに作られていたのに、今では、コンクリートの床に板壁。白ペンキなど塗って、中古のボロ車だが自家用車を持っているものまであり、オーストラリア人の家のようになっているのも多い。
変わってしまいましたね。五年間で競争社会、経済理念が広がり、すべてはお金に換算される社会が生まれていたそうです。
考えてみれば、誰だって、まずいものよりうまいものがいいし、粗末な家より立派な家の方がよく、不便より便利がいい。そして、働いて金を得れば、今はそれが得られるのだ。トペトロたちが働いてそれを得るのを、何も止める理由はない。いや、むしろ、賛成してもいいぐらいなのだが、あのかつてのノンキさ、のどかさがかもしだす不思議な味わいというものが薄れてきたのは、どうしようもなく残念だった。
なんだか、世界中が均一的な価値観に支配され、どこかにあるはずの(現にあった)楽園が一日一日となくなっていく感じだ。
かくして、楽園移住の計画は消滅し、水木さんは、妖怪たちの世界に楽園を探すことになったというのでした。
それで、『ねぼけ人生』という本が出たのは、1982年だったということでした。もう40年も昔の話です。もう楽園はなくなっているんでしょう。きれいな観光地はあるんだろうけど、水木さんが求めた世界はなくなってしまったのです。