甘い生活 since2013

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路地の子 2017 上原善広さん

2021年11月27日 10時00分12秒 | 本読んであれこれ

 今朝、目覚めたフトンの中で、やっと最後まで読み切った本です。全部で七章あって、一日一章ずつ読んできて、昨日の夜に最後の章を読んで、今朝残りの「おわりに」というあとがきを最後まで読んだんです。

 著者の上原善広さんはノンフィクションライターです。でも、この本は、ノンフィクションではあるけど、自伝的な要素もあるし、物語的なところがある気がします。まあ、ジャンルはどうでもいいんです。とにかく、おもしろかった。

 1973年生まれの上原さんは、私なんかと一まわり違います。まだ若い方でした。そのお父さんの話が書かれていました。

 にぶい私は、この主人公の上原龍造という人は、善広さんのお父さんのことなんだと気づいたのは、本の真ん中過ぎたあたりでしょうか。それで、「龍造は」と書かれているのは、すべてお父さんのことなのだと気づきます。だったら、いつ「父は」というふうになるのか、と読んでみたら、最後の「終わりに」のところで一部だけ「父は」というふうになっていて、なかなか「父は」と呼ばずに、突き放しつつも愛情をもって語っておられたのだと知りました。



 龍造さんは1949年生まれなんだそうです。私よりいくつか年上です。中学校を出てすぐに、牛肉解体のお仕事を見習いから始めて、そこで少しずつ自分の腕一本でのしあがっていく過程が描かれていきます。

 20代、30代に独立独歩、一匹オオカミでこの産業の中で自分の店を広げていくわけですから、高度経済成長から70年代にかけて、たくさんの人たちがお肉を当たり前に食べる時代に、アメリカからの輸入牛肉や国内の産地の牛などをどのように采配していくかでものすごい儲けになったようです。60年代以前の日本は、貧しくてお肉なんて食べられない時代があったわけですね。そんなことがあったのかというところですけど、そういう事実はあったと思われます。

 80年代のバブルからその後の不景気もあったわけですから、頂点から転落も経験するなど、波乱万丈の人生ではあったようです。バブルからの転落は、事業主としてはみんなが経験した過去なんですから、実感のない私にはどう振り返ったらいいのやら……。

 食肉産業もそうなら、龍造さん自身の人生も波乱万丈で、家族の死、地区外の人との結婚、四人の子どもたち(その末っ子に善広さんもいたそうです)、自らの浮気、離婚、新しい妻との子ども、前の妻(善広さんはお母さんに引き取られて暮らしていきます)の死。

 そういう家族を巻き込んでいった父・龍造という人を、聞かされた話、まわりの人たちへの取材などを組み合わせ、そんなに関われなかった父の現在に至るまでをやっと物語として語れるようになって、本として出すことができたのでしょう。



 44歳になって、父と母の物語を語れるようになった。タイトルにあるように、「路地」とは被差別に生まれた人たちが、自分たちの故郷を呼ぶときの言葉でした。そこに父は生まれ、自分も生まれ、姉兄たちも生まれてきて、父の事業と共に浮沈と混乱があって、かけがえのない人生があった。

 上原さん自身も、これを物語にするまで、いろんなところで差別の実態を見聞きし、レポートし、父に反発し、学生結婚もその妻との離婚も経験したそうです。母の死もありました。お父さんが浮気をするようになってから、お母さんも何人もの愛人を作り、その空気をずっと吸い続けながらも、母といるしかなくて、そのまま大きくなった。けれども、お母さんはいくつかの病気を抱え込み、最後はガンで53歳で亡くなったということでした。

 学生結婚をしたのも、自分の家族が欲しかったからしたのに、その新しい家族との円満な関係を維持することができず、離婚もするし、善広さん自身が自殺未遂までしてしまったんだそうです。



 すべて、お父さんの龍造さんに愛されたいから、そんなことをしてしまったのではないか、というようなことも描かれていましたけど、そういう家族の物語として読まさせてもらった気がしました。

 「路地」って、うちの大阪の実家でも聞きました。というか、大阪は小さいうちがゴチャゴチャしている細い道があるから、それらを「路地(ろうじ)」というのを聞きました。それらすべてが被差別ではありませんが、昔の被差別というのは、それこそ細い道だらけの密集したおうちがあったんでしょうね。それを、大阪でも、和歌山の新宮生まれの中上健次さんも、もっと他の人たちも「路地」というふうに呼びならわして来たんでしょうか。

 今は、こうした問題はなくなりつつありますが、まだ私たちみんなが乗り越えられたかどうか、それはわからないです。

 それは、若い人たちにお願いしていくしかないですけど、割とスイスイと乗り越えてくれるのかな。古い世代がこだわってるだけかも。でも、世の中には、新たな基準で人間を分断しようというのはよくあることだから、その度に乗り越えなくてはいけないんです。私も少しでも何かのお役に立ちたいです。



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