甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

「三島由紀夫を巡る旅 悼友紀行」1981

2023年10月18日 17時56分49秒 | 本読んであれこれ

 1981年に中央公論社から出ている本でした(私の本はそれの文庫化したもので、2019新潮文庫版)。徳岡孝夫さん(毎日新聞記者)とドナルド・キーンさんという「三島由紀夫」さんつながりの二人が、ミシマさんを語り合う旅をしたそうで、普通の対談本なら話した人の名前とことばが時系列で流れていくのですが、この本はすべて徳岡さんのアレンジで、キーンさんのことばも文の中に取り込まれています。だから、お二人の名前はありますが、文責は徳岡さんでしょう。印税はどうなるんだろうな。

 対談本かなと思ってたら、そうではなくて、徳岡さんが編集した対談になっています。その中でキーンさんが日本との出会いを語る場面があります。従軍通訳としてハワイの基地にいた(はずでした?)のキーンさんは、いろんな日本関係文書を読まされるわけです。暗号などの機密文書ではなくて、そんなに重要な仕事を担当することはなかったのか、単調だったそうです。

 単調きわまる生活のある日、キーンさんが偶然手にしたのは、死闘の島ガダルカナルから送られてきた日本兵の手紙や日記だった。ところどころ血にまみれてたり、塩水に浸かっていたりしていたが、それを解読したときの喜びを、キーンさんは『日本との出会い』の中にこう書いている。

 「交戦中に殺された男の最後の記録を読んではじめて、戦争というものが本当にどんなものかわかりはじめた。……日本軍の兵士たちの耐えた困苦のほどは圧倒的な感動をよびおこした。それに引きかえ、週に一度検閲しなければならないアメリカ軍の兵士たちの手紙には、何の理想もなく、またたしかに何の苦しみもなく、ただただもとの生活に戻りたいということだけが書かれていた。戦争中ずっとこの対照が私の心につきまとってはなれなかった」

 キーンさんの本からの引用であって、実際にその土地で徳岡さんに話をされたときの言葉ではありません。少しずるいんですけど、とにかくキーンさんは、日本の兵士たちの自らの死に向き合い、彼らがその命を落とす意味を手紙の中でももがきながら書いているのに触れ、場違いではあるのだけれど「感動」したそうで、その文章とアメリカの兵士たちのギャップに出会います。

 後のキーンさんのお仕事のテーマとなる、日本人の日記の中の真情とは何か、どうしてこんな日記的なものが生まれてきたのかに出会った最初になるようです。

 〈そうです。ぼくは、非常に近い距離からアメリカの軍隊を見ていました。しかし、理想をいだいて戦っているような米兵には、ただの一度もお目にかかったことがありませんでした。それは確実に言えることです。「もっといい世界のために、自分は戦死してもいい」などという文句は、アメリカの兵士の手紙の中には、こんりんざいなかったのですから。

 日本の兵士は、家族に送る手紙の中ででも、「滅私奉公」とか「悠久の大義」などという言葉を使っていました。ぼくは、日本の軍国主義者の理想を受け入れることは絶対にできなかったが、このような手紙を書き、日記をつけた個々の日本兵士には、敬意をいだかずにはいられませんでした〉

 これは二人で旅している時のキーンさんことばですね。 〈 〉に入っているので、これは実際に徳岡さんが聞いてメモしたことばなのでしょう。

 日本人の兵士たちは書いていた。理想の世界や、自分たちが死んでいったあと、どんな世界・日本社会が生まれて欲しいか、そういうのを読んでいくうちに、キーンさんはどんどん日本に生きる人たちに惹かれていったんでしょう。

 ありがたいけど、それから何十年も見て来られて、友だち(三島由紀夫さん)も亡くして、今の日本をどうとらえておられたのか、それは知りたいけど、そういうの読むチャンスあるかな。また、探していくしかないのでしょうね。


 日本の亡くなった兵士たちの必死の手紙や手帳と、米軍の兵士たちの気の抜けたやる気のない、帰りたい気持ちいっぱいの手紙とのギャップにうんざりしたキーンさんだったそうですが、今もし戦争が起きたとしたら、日本の兵士にさせられた人たちは、太平洋戦争当時のアメリカ兵のようなコメントを書くでしょう。

・どうして戦争なんかに巻き込まれてしまったんだろう。
・自分は誰と戦い、この戦争でどのように生きていったらいいんだろう。
・この戦争に意味はあるのか、戦争が起こる前にちゃんと政府は交渉したのか。
・早く家に帰りたい。家族のもとにいたい。
・自分は死にたくない。たぶん、向こうの兵士たちも同じ気持ちだろう。
・なぜ、こんなにして殺し合わなきゃいけないんだ。
・向こうから仕掛けてきた戦争だから、それに受けて立つしかないのか……。

 あれ、これはウクライナ、ロシア、ガザ、イスラエルその他、紛争が起こっているすべての土地でも共有し合える気持ちでした。共有できないのは指導者と呼ばれる人たちでした。

 どうしたら、指導者の人たちが、誰も殺してはいけないと思えないかなぁ。単純なのに、それができないんですね。カザのハマス組織の人たちも、イスラエルにロケット弾を撃てば、必ず反撃されるというのはわかっていたし、向こうで被害者が出るというのもわかっていた。それでも、撃ってしまった。どうして話し合えないんだろう。向こうにも人の命があることが、どうしたらリアルに感じられて、自制を促すことができるんだろう。



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