甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

家族会議はキビシー!

2014年03月16日 19時42分56秒 | 中学生までのこと

 土日、大阪の谷町6丁目、神戸の元町に、古本探しの旅に出てきました。都会だけれど、花粉はどこでも飛んでいくので、ずっと鼻水ズルズルで歩いていました。目もかゆいし、顔はしわくちゃでクシャおじさんになって、夕方家に帰ってきました。

 そこで、すぐに風呂に入り、体に付いた花粉を落とし、クシャクシャになった目や頭をほぐして、少しずつ普通の人間になっていくのを感じました。「ああ、もとにもどっている」という感じです。ということは、町を歩いているときは、仮の姿というか、縮こまったオヤジ人形みたいな感じだったでしょうか。

  人心地ついて、ふと昔のアパートのことを思い出しました。


 
 そのアパートは、3つのアパートがお尻を向けながら並んでいるところでした。うちの家はその最奥部にあったので、お尻とお尻がぶつかるようなところにありました。薄暗い感じだったかな。今は3つのアパートそれぞれ、駐車場になったり、酒屋さんになったり、大家さんが全部を自分の家に改装したり、それぞれの形になっているようです。

 その一室、家族会議が開かれます。父が問題提起をします。
「○×△について、おまえはどう思う?」
 
 そのテーマは、子どもたちのいけない点を、何度言い聞かせても聞かないので、
「お父さんに言うからね」と母が宣言していたテーマです。
 もちろん、私は父に言って欲しくないし、できたらそんなことは「なし」にして欲しかったのに、とうとう父の耳に入ってしまった!



 「どう思う?」と、父はふたたび訊くのです。
 どうしてこういうスタイルで話し合うことになったのだろう?
 
 母が言わなくてもいいのに、父に告げ口をして! と、うらめしいような、どこにも逃げられないような気持ちで、何も答えられないまま、私は黙っています。

 たいてい結論は出ているのです。自分が自分の非を認めて、ちゃんと「ゴメンナサイ」を言わなきゃいけなかったんでしょう。でも、私はそれは言わなかった。というか、それでもあえて、自分の何かにこだわっていたと思います。

 だから、いつまでたっても、会議は終わりません。じっと、問い詰められるままです。父の問いかけはつづき、やがて私は自分の非を認め、「ゴメンナサイ」をちゃんと口にするまで許されず、それが終わってやっと、解放されるのでした。そして、父は家族の方針を述べるのです。

 「ウソはいけない。正直でなくてはならない。」「謙虚でなくてはいけない。」
 シンプルな家の方針を述べ、理屈じゃなくて、ただそうなんだと思いました。
 
 子どもの私から見ても、父はウソをつかず、正直で、謙虚な人だったからです。
 
 ただ、時々パチンコに出かけ、あまりもうかったという話は聞かなかったけれど、時々チョコレートを持ってきてくれたり、年に1回くらい酔っぱらって、玄関で母に介抱されていたりするくらいで、あとは真面目にコツコツ生きていたので、父にそう言われたら、息子の自分は何も言えなかったのです。



 そういう家族会議も、たぶん私が中学生になったくらいに、もう開かれなくなりました。私が賢くなったのではなくて、父が忙しかったのか、母がよりパワフルになったからか、とにかく父に説教される場面は減ったと思うのです。ひょっとしたら、記憶間違いかもしれません。自分の都合のいいように書いている気もします。

  というのを、突然、花粉に締め付けられていたところから自分をほぐしつつ、思い出したということでした。どうして家族会議を思い出したのか、それは不明です。

 どうして、思い出したの? 何かにほぐしてもらいたかったのかな?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。