甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

すべては過ぎ去っていくのだけれど……

2020年09月30日 21時34分22秒 | 本と文学と人と

 このバミューダアイランドのペナント、くちゃくちゃになりながら、今もうちにあります。あまり、使い道がなくて、あっち行ったり、こっち行ったり、ただ汚れていくだけで、何だかかわいそう。ペナントって、何をするためのものなんだろう。

 ペナント集め、たぶん、70年代の初めからやりました。万博があったり、小学校の修学旅行があったり、みんなも買ってしまうし、それにつられて、自分も買ったのだと思う。人のふり見て、自分のすることを考えた時代でしたから。

 今は、もう凝り固まっているから、人が楽しそうにモノを買ってたりしても、そんなにうらやましくはないんです。物欲もなくなりつつあります。もう、クルマも、テレビも、ステレオも、ブルーレイも要らない。

 もっと、もっとシンプルな暮らしがしたいのに、日々段ボールは増えていきます。服も、書類も、本も捨てなきゃいけないと思われます。

 バミューダのペナントは、70年代、漁師としてだったか、船員として南米に仕事に出かけていた親戚がいて、その人がアメリカ経由で何日もかけて帰国して、その際にうちに蝶の羽でできた模様の図柄と、このペナントと、あと他にもお土産をもらったと思うんですが、その生き残りです。物持ちがいいというのか、バミューダだから、捨てられなかったのか、どうして私の家にあるのかな。その親戚は今では地元の会社の経営陣の一人として先頭に立って頑張っているみたいなんだけど、もう何年も会ってないかな。


 何だか気持ちは散漫です。

 細々と本などは読んでますが、これは奥さんが見つけてきた島田総一郎さんという、何もかもうまく行かなくて、とうとう自分で出版社を立ちあげ、いくつか本を出している本の中の、興味があって買える範囲のものだから、買った本で、「ブックオフ大学ブラブラ学部」という、少しおふざけも入っているタイトルの本でした。

 名前からして、とことんブックオフにこだわっていて、どんなふうにブックオフが愛され、どんなふうにマニアの人たちがブックオフを利用していたのか、という内容が書かれています。

 ということは、十年ほど前、もう少し昔かもしれないけど、全国各地にできたブックオフという不思議な空間で、そこでビジネスを見つけた人たちの記録も出てくるのです。これは興味深かった。

 一昔前のブックオフは、刺激的な場所ではありました。ちくま文庫から出ている宮沢賢治全集、一冊千何百円の本が、あまり読み込まれてもないきれいな形で、何冊も百円コーナーにある時がありました。もう新潮文庫とかで持ってたし、賢治さんにはあまり興味もなかったし、百円でも買いませんでした。五、六冊はあったでしょうか。でも、しばらくじっと考えて、さすがに、あれは買うべきだろうと、次の日だったか、ふたたび訪れてみたら、一冊も残っていませんでした。私みたいにためらわないで、これだと思ったら、すぐ行動できた人が全部買ってしまったんでしょう。

 後々になって、シブチンの私なのに、ちくま文庫の賢治全集の短歌が載っているもの、定価の1200円で買ったけれど、もう後の祭りでした。

 それから、これはたまたまゲットしたもので、中公文庫の折口信夫全集、これもかなりたくさん並んでいる時があって、今思うと万葉集を訳したものとか、買っておけばよかったのに、一部しか買いませんでした。ああ、みみっちい。どんどん先行投資すればいいのに、私は本を投機の対象にできなくて、つい自分が読むか、読みたいかを基準に買ってしまって、他の本は見捨ててしまったのでした。これは2013年に100円で買いました。

 そうなんです。今から十年ほど前までは、ブックオフは夢が落ちてる場所でした。ものすごい宝物が、信じられない値段で売られていた。その結果、せどりやなるものが生まれ、ブックオフで宝物を安く仕入れて、ネットで高額で売り飛ばすのを仕事にする人たちが暗躍した時代がありました。

 それが、さらに進み、ブックオフの価格は、ネットと連動するような値付けに変わっていったのは、十年ほど前で、せどりやの人たちが荒稼ぎする戦場ではなくなった。それと同時にブックオフに輝きがなくなり、各地のお店はつぶれ、ブックオフという会社も、存亡の危機に立たされ、多角経営化して、本のお店なのか、古着屋なのか、それとも古道具の店なのか、訳が分からなくなっていきました。

 そういう裏話みたいなのが、書かれてたようです。読んでしまってから、ああ、そんな事情があったのかなと思い当たるところもありました。

 やがては、ブックオフさんもしぼんでいくかもしれない。そして、ふたたび、古典的な古本屋さんだけが、生き残っていくのかもしれません。

 でも、危機的状況はあまり変わっていません。みんなが本を読まなくなっているし、本を開いて何かを見つけよう、文字から物語を開いていこう、という体験は、とても後方に押しやられています。もっと単純に素早く情報をやり取りし、動画もサクサクと見るのが当たり前になってきています。

 流れはある程度そうなのかもしれない。でも、それに抗して、まどろっこしい文字から妄想・空想・イメージを広げる作業、何だか大事な気がするんです。でも、それは人から押し付けられるものではなくて、自発的であらねばならないし、そうなると、みんながもっと動画離れして、もっと不動字を求めるようにならなくちゃ。そんな、まどろっこしいことに楽しみを感じてもらえるように、みんなでお互いを刺激し合えたらいいのにな。

 私は、何か人に刺激与えられそうかな? それが問題です。本を開くと、すぐに眠くなってしまうんだから、ダメだよな。

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