甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

川端さん、三島さん、キーンさん

2023年01月28日 10時00分31秒 | 本読んであれこれ

 川端康成さんの作品はいくつかは読みましたが、それほどのめり込んで読んではいなくて、教養程度でした。三島由紀夫さんの作品は、十代から二十代にかけてたくさん読みましたけど、最近は読んでいません。

 でも、心のどこかに引っかかっていて、大事にしなければいけない、というスイッチは持っています。でも、スイッチを押すことがなくて、たいていは放置したままの日々が過ぎていきます。

 今回、ドナルド・キーンさんの自伝を読んでいて、キーンさんはたくさんの日本の人とつながりを作って行った人なのだと知りましたが、この二人の作家さんとの関係は、とても大事だし、キーンさんの心に残った人たちだったようです。それを改めて知ることができました。

 キーンさんにとって川端さんは、かなり先輩だし、大文学者だし、おそばに行かせてもらうだけでもありがたいし、あれもこれもと取材したい人であった。愛情を欲しているのに、川端さんはどことなくシニカルで、そっけないところもあった(ような感じはあったのかな?)。でも、文学をみんなで築き上げること、文学に関わる者たちを組織して、お互いを切磋琢磨していく、その心意気は感じていた。でなければ、変てこな外人であるキーンさんなんかをそばに寄せ付けなかったでしょう。

 日本文学の研究者であるキーンさんを受け入れ、いろんな機会を与えてくださったのでした。



 三島さんは、ニューヨークでどうにかして彼の作品を舞台化してみたいと一緒にチャンスをうかがったり、次から次と彼の作品を紹介したり、お仕事仲間としてキーンさんは、年下の三島さんを支え、伝え、共に生きている感覚で過ごしていた。

 長い付き合いの最後が、三島さんの自決という形で終わり、あとに残されたキーンさんは、どんなふうにして三島さんの死を受け止めていいのか、わからなくなったことでしょう。

 でも、いなくなっても、仲間であることには変わりはないし、いつまでもチャンスがあるたびに三島さんのことを語り、三島さんとともにあったことを書いてくれています。

 そういうのを改めて読んでみて、今の若い人には、三島さんも川端さんも、読んでいないし、歴史の中の人々くらいでしかとらえられていないだろうなと思ったところでした。

 過去の人たちだから、今の私たちには関係なくて、いかに生きて、いかにして亡くなっていったかなんて、どうでもいいことになっているのかもしれない、と思いました。それが残念でならないのです。



 私は、今さらながら、川端さんも三島さんも、こんなオッサンの私にとっては、大事な作家だし、思い出して読みたいと思っています。そのお二人のことを思い出させてくれたドナルド・キーンさんも見直してしまって、これから古本市に出かけたら、ドナルド・キーンさんの中公文庫をチェックしなくちゃ、と思ったくらい、あれこれ読みたくなりました。

 たぶん、1960~70年前後の日本で活躍し、あれこれと書いてくださった人たちのことをもう一度見直したいと思いました。

 それが自分の生きた時代を見直すことになるかもしれないな、という予想のもとでの読書です。

 もう自分の時代、その前の時代や、この国の流れに関するあれこれを読んでいきたい気持ちはいっぱいです。

 読むスピードはものすごく遅いので、少ししか読めませんけど、とにかく手当たり次第に、気の向くままにあれこれ取り上げて、今につながる私たちの流れみたいなのを見つめたいです。

 気持ちはいっぱいです。でも、努力は足りないな……。


 少しだけ抜き書きしてみます。

 三島さんの遺作『豊饒の海』は、どうしてこんなタイトルなのと質問したら、三島さんから、

 「豊饒の海」は月のカラカラな嘘の海を暗示した題で、強いて言えば、宇宙的虚無感と豊かな海のイメーヂとをダブらせたようなものであり、禅語の「時は海なり」を思い出していただいてもかまいません。

 という返事をもらったそうです。空っぽなのに、名称には豊かで、いろんなねりがあるよ、という形になっているのです。その矛盾する空間の中に入ってみなさい、という三島さんからお誘いでした。

 私は、若い頃に読ませてもらって、ものすごい勢いで読みました。怖いくらいに読まされてしまった。

 それで、少し今は敬遠しているし、まさか昔と同じようになるなんていうことはないと思うんですけど、不思議な世界がそこにあるのは確かなんです。

 さて、それに対してキーンさんは、

 まだ私には、その意味がわかったとは言えなかった。しかし私は何か不安で、不吉なものさえ感じた。「豊饒の海」に水がないのと同じように、世界はまったく意味がないものだという結論に三島は達したというのだろうか。

 これが最後から二番目の手紙で、最後の手紙は彼の死の二日後に届いた。それは、三島と「楯の会」隊員が市ヶ谷へ出かけた後に、彼の机の上に残されていたものだった。三島夫人は、親切にもそれを投函してくれたのだった。たぶん、その手紙は本来なら警察に引き渡すべきものだった。

 ということでした。友だちではあった。でも、友だちだからといって、すべてが分かるわけではないし、三島さんのような人は、永遠にわからない部分は残るし、いつまでも私たちに何かを残してくれているものだと思われます。

 そあいあ人たちがいた。それを私は努力は足りないけれど、知りたいと思っています。せいぜい頑張ります。

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