日日の幻燈

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江戸魚市場めぐり(1)-日本橋魚河岸-

2014-12-02 | 江戸の面影

先日、江島神社で見た新肴場が寄進した石灯籠。「新肴場」って何?ってことで調べてみると、日本橋の魚市場から独立して出来た新しい魚市場とのこと。
え?魚市場って日本橋の魚市場(魚河岸)だけじゃないの?
さらに調べてみると、江戸にはまだ数か所に魚市場(のような場所)があったとか。
ならば行ってみようじゃねぇか!ということで。
まずはお馴染みの日本橋魚河岸から。



【日本橋魚市(江戸名所図会)】

江戸の魚市場の代名詞。というか、ここしか浮かばないほど。当時の絵からもその賑わいのすごさ、凄まじさが伝わってきます。「一日千両の商い」があったといわれるのも納得。
ここ、日本橋に魚河岸が成立したのは1610年頃。はっきりした年代はわからないようですが、まぁ、その近辺。それ以前は日本橋の南側に位置する四日(市)に小規模ながら魚市場に相当する場所があったと思われるそうです。
江戸に幕府が開かれた頃、摂津の漁民・森孫右衛門が徳川家康の招きで一族とともに江戸に移り、将軍家へ献上する魚を獲るための漁業権を得、その献上魚の余りをここで庶民に売った(卸した)のが始まりだとか。
それから関東大震災で壊滅的打撃を受け築地に移転するまでの400年間、魚市場として繁栄を謳歌したのだからすごい。

始祖とされる森孫右衛門をはじめとする森一族、家康に招かれるほどだからただの漁民とは思えない。摂津で相当な力を持っていた海賊(水軍)の出身かもしれないとのこと。江戸に移った当初、漁業の特権を与えられると同時に海上の警備も任せられていたようです。阿波水軍の総帥が森姓だったことからも、摂津近海の水軍の流れかもしれませんね。

【魚河岸跡】

で、現在の日本橋魚河岸跡はこんな感じ。日本橋の上から日本橋川の川岸、かつて魚市場へ押送船で運ばれた魚が荷揚げされた場所を眺めてみました。名残りは何もありません。
魚河岸がなくなった現代でも、東京の真ん中ということで日本橋に人通りは絶えません。それは江戸時代と変わっていませんね。

【日本橋魚市場発祥の地の碑】

日本橋の北側に「日本橋魚市場発祥の地」の碑があります。ここがかつての魚市場であったことを示す唯一のモニュメント。碑の前のスペースが自転車置き場ぽくなっている(もちろん不法駐輪!)のがちょっと残念。

【本船町近辺】

かつて大いに賑わった本船町近辺。ちょうど「江戸名所図会」に描かれたあたりでしょうか。交通量は多いのですが、ここにもかつての魚河岸の面影はまったくなし。何か少しでも残っていないものかと探してみましたところ…。

お!
おお!!
日本橋っぽい看板発見!!!



橋としては日本橋よりも江戸橋に近いポイントにて。いかにも魚河岸の血統を受け継いでいるような感じですが、どうも居酒屋さんらしいです。もちろん新鮮な魚が売りのようですが、江戸前ではなく長崎港から直送の魚…ということでした(ぐる●びによる)。お味はどうかな?実際に食べてないので悪しからず。
この居酒屋さんではまぐろの解体ショーも実演しているようです。



こちらは鰻屋さん。
最近は鰻が獲れないようです。江戸前の鰻、どんな味だったのでしょうか?ちなみにこの鰻屋さんも、江戸時代からこの場所で続いているわけではないようです。


残念ながら魚河岸の喧騒は遠い時の彼方。
今さらこの地に魚市場の復活を…と願っても、居酒屋と鰻屋と寿司屋あたりがせいぜいでしょうか。
町興しに何か企画できないのかな?
魚関係で。
せっかくの魚河岸のネームバリューがもったいない気がするんですよね…。


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