豊臣秀吉の側室淀殿が父(浅井長政)の追善のため、(1594)年成伯法印を開山として建立した。もとは天台宗であったが現在は浄土真宗(遣迎院)派に属する。本堂と左右の廊下の天井は家康から伏見城守備を命じられた鳥居元忠らが自刃したときの板間を用いたものと言われ、俗に(血)天井と呼ばれている。
京阪電車七条駅下車、七条通を東へ行き、三十三間堂の東側です。徒歩約6分
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