川越雑記帳2(川越見て歩き)

これがまあ貝塚跡か紫蘭咲く(小仙波貝塚跡)

龍池弁財天を右に見ながら緩い坂を下り、少し歩いた先の交差点の角に小さな公園がある。
その角に「小仙波貝塚跡」と彫られた石柱が建てられている。
隣に「時の鐘」の描かれたゴミ集積所の看板もある。
奥の方には、大きな説明板が見える。
周囲とは少し段差があり、一応台地の端であることが分かる。


中は舗装されているが、その中央は円形に土が出ていて植物が植らえている。
この時は、シランが咲いていた。


奥の説明板は、陽当りが良すぎるので薄く変色している。
そこには、次のように書かれている。


  小仙波貝塚跡
      (市指定・史跡)  小仙波三・四丁目
 小仙波貝塚は、荒川右岸の台地端上に形成された古東
京湾にのぞむ最も奥の貝塚跡である。縄文時代前期の頃
は北半球が温暖となり氷河がとけて海水面が上昇した時
期で、川越をはじめ上福岡市・富士見市にも貝塚が確認
されている。小仙波貝塚は、昭和の初期に道路建設によ
り破壊され多くは存在しないが、現存する一部からヤマ
トシジミ・カキ貝が出土している。現在の指定地は、元
清水が湧き出ていた場所で、この泉を中心として縄文時
代前期の集落が営なまれていた。縄文時代中期以降にな
ると海は退きはじめ現在の東京湾に近づいていった。
 仙波台地は、約六千年前の貝塚の残された時代から引
き続いて弥生・古墳・奈良・平安の各時代の集落が形成
された地域である。
   平成三年三月
               川越市教育委員会

周囲には低木が植えられているが、私有地との境が分からない。
以前は背の高い木が周囲にあったが、いつの間にかなくなった。
植えられている樹々の間には雑草が生えている。

説明板の後ろには、ハルジオンだろうか白い花が咲いていた。


脇の低い所には、タンポポの花と綿毛があった。


周囲の木で唯一咲いていたのが、アセビ(馬酔木)だった。




以前、赤いブレザーを着たシルバーガイドが、ここで説明をしているのを見たことがある。
喜多院や中院からは少し離れているが、一応観光コースに入っているらしい。

それなら、それなりに整備した方が良いと思う。
せめて、季節の花を楽しめるようにはして欲しい。
また、入口にゴミの集積所があるのも興覚めするが、元々貝塚はそういう場所なのでしょうがないか。

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